第10話 黒い蝶

「ねえ、いつか二人でプラネタリウムを見に行こう」と圭介は言った。

「プラネタリウム? どうして?」

 玲香は地面の土を踏みしめながら歩く。

「昔からの夢なんだ。プラネタリウムに行くのが」

「へえ、ずいぶん質素な夢ね」

 二十歳の僕らは約束をした。東京の大学に通っている僕は週末になるとこうして玲香のいる療養所へ来るのが日課になっていた。玲香は大学を休学していて、僕以外ここへ来る友達はいないようだ。

「時々、夜眠っているとね、頭上をたくさんの黒い蝶が舞っているのが見えるの」

 玲香は落ち葉を踏んで、くしゃりと音がした。

「黒い蝶が見えるの?」

「そう。だから必死になって目を閉じるの」

 二人は施設に戻ると圭介はバックパックに荷物を詰め込んだ。施設の中は部屋が一人一人区切られていて、その一室に玲香は暮らしていた。

「じゃあまた来るよ」

 圭介はバックパックを背負い、手を振る。

「またね。来てくれてありがとう」

 圭介は施設を出て、バスを待つ。施設は広く、バス停から鬱蒼とした森と玲香の住む施設が見えた。

 バスは五分後にやってきて、圭介は乗って席に座った。窓の外には森が見える。東京の外れにあるこの場所はひっそりとしていた。

 バスを降りて電車に乗り、家まで向かう。車内にはスーツを着たサラリーマンが座っていて、まるで玲香の住む場所とは別の世界のようだった。

 家のアパートに帰り、簡単な食事をした後に、風呂に入った。風呂上りにチューハイを飲み、テレビを見ていた。


 次の日、大学に通い講義を受けた。一限から四限までその日の講義は埋まっていた。終わると五時前だった。圭介は家の近くのコンビニで夕方から夜にかけてバイトをした。

 次の日も朝早くに目覚め、圭介は大学に行く支度をした。大学に着くと、圭介の唯一といっていい友人と会った。

「よお」

 友人は圭介の方へやってくる。

「よお」

 圭介も手を振る。

「また今度ラーメンを食べに行こうよ。またおいしい店を見つけたんだ」

 特に社交的というわけでもなく、趣味はラーメンの食べ歩きという友人だ。早見という名前だった。

「またラーメン食べに行くのか?」

「なあ、今日の昼休みなんかどうだ? 学校を抜けて食べに行こう」

「いいけど、時間間に合うか?」

「ここから電車一本で行けるからさ」

 早見は圭介と並んで講義室まで歩いて行った。火曜日の英語の授業は早見と一緒だったのだ。

「週末に玲香のいる療養所まで行ったんだ」

「玲香ってお前と仲良かった女子だろ」

「そうそう。なんだか重い病気らしくてね」

「確か大学にもしばらく来てないよな」

 授業が始まると二人は外国人の講師の言う通りにワークの問題を解いた。あっという間に授業は終わった。

「俺この後、空いているんだ」と早見は言った。

「じゃあ俺の講義来るか?」

「いや、図書室で待っているよ」

 圭介は経済の授業を受けに行った。終わって図書室へ入ると早見が机に座り、本を読んでいた。

「行こうか」

 圭介を目にすると早見は言った。

 電車の窓から世界を眺めた。夏の太陽が輝いて、家々を照らしてた。

 ラーメン屋は道の片隅にあった。二人は醤油ラーメンを注文した。ラーメンが来ると二人は黙々と食べた。ラーメン屋を出てまた電車に乗り、大学の側のホームに着く。二人は大学まで歩いた。

「じゃあまたな」

「うん」

 圭介は早見と別れ、授業を受けに行った。

 その日はバイトもなく、家でテレビを見ていた。


 週末になると、玲香に会いに行った。施設に入り、玲香のいる部屋のドアをノックした。

「やあ、来てくれたんだ」

 玲香は言った。

「これ、おみやげ」

 圭介はクッキーを渡した。

「ありがとう」

 部屋でテレビを見ながら、話し合った。気が付くと、夕方になっていた。

「じゃあ、そろそろ帰るよ」と圭介は言った。

「うん」

「なあ、玲香、俺とプラネタリウムを見に行く約束しただろ?」

「うん。した」

「覚えていてくれよ」


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