日常からのログオフ 2019年版の最終回

 師匠と別れ、私は新宿駅の電光掲示板から家に戻る駄目の電車を探す。

 二十代の頃は電光掲示板の見方も分からず、師匠に頼んで「○○番線だよ」と教えてもらっていたが、現在、電車通勤の身からすれば慣れたものだ。

 この時、スマートフォンのバッテリー残量が十二パーセント。

 結構酷使したらしい。

 事前に切符は買っておいたので(今更思うのだが、Suicaを持っているのだから使えばよかった)並ぶことはなった。

 わざと一本遅らせ、電車(グリーン車)を待つ。

 しかし、土曜日のグリーン車もなかなか混んでいて私は心の中で悲鳴を上げた。

――東京、恐ろしい子!

 列の前だったが、素早く座席を見つけて座らないと他の人に取られてしまう。

『相席は嫌だ』というわがままは言っていられない。

 隣の人に笑顔で会釈をして座る。

 後は『(スマートフォンの)バッテリー、持つかな?』

 この旅(でいいのかな?)の最初、家を出るときは「帰りは、スマートフォンで音楽を聴きながら帰れればいいな」などと思っていたが、そんなどころではない。

 万が一、親などから連絡が来たらすぐに切れる‼

 販売のお姉さんにグリーン券を見せている間も、私は青ざめていた。

 最寄り駅についたとき、バッテリー残量六パーセント。

 切羽詰まってきた。

 速足で家路につく。

 一キロもない我が家への道のりが長く感じた。

 家に到着したとき、バッテリー残量三パーセント。

 急いで充電。

 一息ついて荷物を下ろす。

 今年の旅は終わった。


 ここからは、『何故、旅をするか?』という目的について。

 普段、「そりゃあ、普段の私の妄想があまりに酷いので作者たちに謝らないと死んで会った時に殴られるのが嫌だし、万が一遺族たちが集団訴訟でもした時に『でも、毎年謝りました』というアリバイが欲しいから」などという言い訳にもなってない言い訳をしているが、さて、本心はどうなのだろう?


 私の戯言などを読んでいただいている方は分かっていると思うが、私は自分自身を信じてもいなければ愛してもいなかった。

――みんなから、嫌われて当然なほど、私は醜く愚かなのだ

 こんな諦念が心の中で渦巻いている。

 そのくせ、甘えん坊で怖がりという手のつけようもない。

 しかも、変に好奇心旺盛。

 だから、周りの人を巻き込んで迷惑をかける。

 ますます、自分が嫌いになる。

 それが日常だった。

 だから、そんな日常から距離を置くために『お墓参りツアー』という名前の小旅行をやっているのかもしれない。

 周りには私のことを知る人はない(師匠は除く)。

 私は一押しかけファンであり、一人の観光客であり、一人の旅行者なのだ。

 良くも悪くも私は仕事からも家庭からも離れた一人の名もなき者になる。

 最近は、私嫌いもだいぶ緩和されたが、来年もやります(断言)。


 さあ、来年は何をやろう?

  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る