お墓参りツアー 2019 番外編

番外編 白隠禅師に会いに静岡に行った話

 今回は『お墓参りツアー』の番外編。

 

『白隠』という禅僧をご存じだろうか?

 江戸時代に登場した禅僧なのだが、見方によっては思想家とも画家とも政治批評家、漫画家とも見ることが出来る。

 元々、絵師(画家)を目指していたわけではなく、説法などの手段として絵を用いていた。

 要は万能マルチな僧侶だったようだ。

 のちに同じような僧侶で仙厓義梵も様々な絵を残したが、白隠のほうが正直、クセが強い。

 ラーメンで例えると(はい、俗物ですよ)仙厓作品があっさり醤油味なのに対し白隠作品は濃厚とんこつ味なのだ。

 だから、好き嫌いが分かれやすい。

 ただ、クセが強い分、好きになると病みつきになる。

 

 白隠の経歴などはインターネットで検索をすればすぐに出るので(便利な時代)興味を持った方は調べてほしい。(はい、説明放棄)

 代わりに私と白隠の出会いを簡単に書こう。

 出会いはある美術番組(民放です)で【半身達磨図】を見て興味がわいた。

 それまで日本の美術、少なくとも江戸時代までは教科書に載っているようなすっきり、あっさりした線でよく言えば『粋』で悪く言えば『変化に乏しい』。

 だから、白隠の絵は衝撃インパクトがあった。

 考えてみれば、私の棲む群馬県高崎市には黄檗宗(禅宗の一派)のダルマ寺こと「少林山」(寺ではないところに注意)があり何度か参禅した。(今は参禅しないが、毎年年末の大掃除には参加している)

 私の母方の祖父は禅宗ではないが(真言宗だったけど)熱心な信者であった。

 だから、基本的に無宗教の典型的な日本人である私だが仏教(カルトとかは嫌いですけど)には馴染みがあった。

(余談 とは言っても、嫌な経験がないわけではない。私の住む町に、地下鉄サリン事件を起こしたオウム真理教の道場があった。万が一、毒薬を散布されていたら風下に住んでいる確実に死んでいた。だから、反対運動が凄かった)

 そして、当時二十代後半だった私は『思い立ったが吉日』で静岡に行った。


 今、私は四十代になった。

 静岡に行った後、私は何度かリストラや派遣切りに会い『発達障害』『PTSD(心理的外傷)』を患っていることを知った。

 現在、職場で働いているが、精神が色々参っていた。

 私はあまりにも多くのものを背負っている気になった。

 そんな時、偶然見かけたのが白隠が書いた片手の絵だった。

 これも『白隠 隻手』とインターネットで画像検索すれば、たちまち出てくる。

 この絵を見たとき、私は色々思った。

――ああ、この手で頭を撫でられたら気持ちいいんだろうなぁ

――でも、殴られたら泣くほど痛いんだろうなぁ

――ひっぱたかれるのも嫌だなぁ

――先生(「今夜、夢で逢いましょう」に登場した私が『先生』と呼ぶ人たち。詳しくはこちら【https://kakuyomu.jp/my/works/1177354054891514919】)の手みたいだなぁ

 思い立ったが吉日。

 私は、その日のうちに会社に有給休暇を出し十二月初旬に静岡に(出発は始発の五時。静岡着が九時)行った。

 今回はあくまで番外編なので白隠の墓のある松蔭寺のことだけを書こう。

 

「変わったなぁ」

 第一印象が口をつく。

 道が舗装され見たことない建物がある。

 二十年前の、初めて来た私が見たら「え? ここまで変わるの?」と思うほどだ。

 門をくぐり本堂に賽銭を投げ、手を合わせる。

「熱心だね」

 手を解いて振り向くと老婆が声をかけた。

「ええ、まぁ」

 まさか、内心で『そういや、お昼ご飯をどこで食べようか?』などと考えていたとは言えない。

「暖かそうなジャンパーだね、奥さん」

「(いえ、私、未婚で彼氏すらいない四十代ですが)ええ、安物ですけどねぇ」

 私は適当に答えて白隠が眠る墓に行った。

 場所に少し迷ったがすぐに思いだした。

 だが、そこには掃除をしていたであろう年配の人たちが世間話をしていた。

――誰?

 私は奇異の視線を感じながら急いで火のついた線香とお酒(いいのか?)と煙草(ハイライト)を供えた。

 そして、手を合わせた。

 様々な重圧プレッシャーを感じながらほとほと戻ると、あの老婆がまた話しかけてきた。

「誰の墓参りかね?」

「白隠禅師です」

 私の声はだんだん恥ずかしさで消えていく。

「へぇ、白隠さんにねぇ」

「はい」

「この辺じゃあ、見かけない顔だけど……」

「群馬から来ました」

「そりゃ、だいぶ遠くから来たね」

 そんな世間話をしていると、だんだん体の話なってきた。

「私、四十肩で肩が上がらないんですよ」

 そう言って私は両腕をあげた。

 腕は垂直には伸びずほぼ直角で止まる。

 これでもかなり痛い。

 すると、老婆は言った。

「あー、あんた。精神が細かすぎるんだ」

 この言葉に私は驚いた。

 私は容姿から判断されることが多く、「精神が図太い」などと言われることがあった。

 だから、「細かい」と言われて意外だった。

 老婆は自分に言い聞かせるように言った。

「いいかい、世間の言葉に惑わされなさんなよ。御仏の暖かい心に包まれていると思って安心して生きるといいよ」


 それから数日後。

 私は諸事情あって仕事で叱責を受けた。

 今にして思えば、自分に原因があるのだが、その時の私はパニック状態であった。

 家に帰るまで電車の中で泣き、帰り道で泣き、家で慟哭どうこくした。

 泣き叫んだ。

 泣いて、泣いて、泣き叫んだ。

 そして、私は化粧を落とし着替えもせずに寝た。


 翌日。

 意外なことに気が付いた。

 肩が痛くない。

 右肩が少し痛むが左肩は痛みが全くない。

――何故だ?

 私は二つの仮説を考えた。

 一つは私の体が無意識のうちに緊張していて泣いたことで、その緊張が解けて肩が楽になったこと。

 もう一つは、白隠の魂がやってきて私の体を治してくれた。

 馬鹿にしてはいけない。

 私は体に関する知識はさほど持っていないが、それ以外考えられないのだ。

 だって、整体にも行ってないし、特別な薬を飲んでいるわけでもない。

 

 でも、本当になんで治ったんだろう?

 白隠さんが来てくれたのなら、言いたいこと、聞きたいこと、山のようにあったのになぁ。

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