第三章
第三章
「まあ、確かにペースメーカーを埋めこめば、何とか持つのかもしれないですけど、、、。」
みんなの気持ちを代表して、ジョチさんが言った。
「ちょっと危険すぎる作業でもありますね。」
「ええ。それはたしかにそうです。ほかの臓器、特に肺病変が深刻なので、埋め込みの手術に耐えられるかという問題もあります。」
沖田先生もそういってため息をついた。
「そうですよね。僕もそれは反対です。これだけ衰弱してしまった以上、これ以上危険なことはさせたくありません。」
「でも、そうすれば水穂さんも助かるんですよね?」
ジョチさんの発言に由紀子はそう言った。
「それでは直ちにやっていただけないでしょうか!お願いします!」
「軽々しく言うもんじゃありませんよ、由紀子さん。たしかに助かるかもしれないんですけど、それを付けた生活というものは、決して幸福とは限りません。」
由紀子がそう懇願すると、すぐにジョチさんに止められてしまった。一体なぜ!と、由紀子は思ったが、答えはすぐに出る。
「あれを付けてしまうと、明らかに不自由になりますよ。電車なんて、スマートフォンをもって何かしている人ばかりでしょ。その電波が、ペースメーカーの動きをおかしくさせてしまって、問題になっているのを由紀子さんは知らないんですか?他にもいろいろありますよ。最近はやっている、炊飯器や掃除機にも、電波が使われているそうですし。」
「ええー困る。ご飯を食べさせてやれなくなるじゃないか!」
でかい声で杉三が口を挟んだ。
「まあね、炊飯器なんかは、比較的弱いので、よほど近づけなければ電波の弊害を受けることはないでしょうけど。ですが、問題が多いのは、液晶テレビとか、、、。」
「まあ、水穂さんは、テレビは嫌いだからな。それは大丈夫だと思うけどね。」
「あと、店舗や図書館に設置されている、盗難防止装置。そして、何より困るのは、電車などの密閉された空間でのスマートフォンの多用ですよね。それをやめろという訳にはいきませんしね。」
「そうだなあ。バカな僕であっても、スマートフォンは使っているしなあ。」
杉三は、でかい声でそうため息をついた。
「そうなると、みんなスマートフォンの使用をやめなければならなくなるかもしれませんよ。この製鉄所では。たった一人のために、大勢が犠牲になるのはいかがなものかと、大騒ぎになるでしょうね。」
そうなれば確かにそうだ。必ず誰かから、迷惑だと言われるはずだ。
「そして何よりかわいそうなのが、水穂さんがそのつらさを背負って生きていかなきゃならないという事です。」
ジョチさんは、そう結論を出した。
「でも、生きていてくれれば。」
と、由紀子は言った。
「それだけでも、価値があるのではないでしょうか。生きていてくれれば、何か良いことも見つかるかもしれない。スマートフォンがなくたって、生きていくことは十分できますよ。」
「そうかな。」
杉三が、ぼそっとつぶやいた。その言葉にみな一瞬黙り込む。
「いくら言ったって、スマートフォン無しでは生きていかれないよ。そうするんだったら、日本を捨てなくちゃ。」
「ええ、僕もそう思います。それをするなら、青柳先生が訪問しているような、原住民の下で暮らさなければならない。」
ジョチさんもそれに同意する。
「だから、スマートフォンを手放したら、僕らは何も出来なくなっちゃうだろうし。水穂さんにしても、生活できなくなるだろう。僕らは、そういう生活をさせるのも、またかわいそうな気がするんだ。スマートフォンなしでは、生きていくことなんて、もはやできないからさ。」
杉三が、わかりやすく説明するように言った。
「ええ、それにもう一度言いますが、ペースメーカーを植え込むことは、結構な大手術であり、それに耐えられるかという問題もあります。それに、ペースメーカーは永続的に動くのではなく、電池で動いているのですから、それを再起動させるために、手術を定期的に繰り返すという問題もあります。その手術も耐えられるかどうか。」
「なるほど、そういう問題もあるんか。そうなると、また問題があるよな。」
「二人とも、問題が問題がって言わないでください!大事なことは、水穂さんが生きているかどうかで、スマートフォンとか、そんなことは二の次なのではないのですか?」
由紀子はそういって、二人に反抗したが、二人ともそれについて関心があるようには見えないのだった。其れよりも、スマートフォンとか、図書館とか、そういう所にいけないという事ばかり口論していた。そういうことをいうべきではないのではないか。と、由紀子は思うのだが、、、。
「まあちょっとまって下さい。お二方がどんなに口論しても、本人の意思がなければ、どんな医療機器であっても、成功はしませんよ。先ず、本人が目を覚ましたら、それを、聞き出すことから初めて見ては?」
沖田先生が、ジョチと杉ちゃんに向かって、二人の口論を制した。そうだ、本人の意思だ。いくらなんでも、よほどのうつ病とかそういう訳でなければ、死にたいという人はいないはずだ。水穂さんだってきっとそうだろう。由紀子は、本人が、生きたいという意思を示せば、誰が何を示しても、どんなに反対しても、通用すると確信した。
「わかりました。とりあえず、本人も落ち着いていますから、今日はここでしまいとしましょう。とりあえずペースメーカーの件は、本人の許可が出るまで、皆さんは勝手に動いてしまわないようにしてください。特に、勝手な感情で動いてしまわない様に気を付けてくださいませよ。」
沖田先生が、腕に付けた時計を見て、そう発言した。多分、ほかの患者さんのこともあるのだろう。あまり医者としては長居はできないのだ。
「あ、ありがとうございます。それでは、小園さんに、病院まで送る様にしましょうか?」
ジョチさんはそういったが、沖田先生はにこやかにそれを断った。結構ですよ、医者は、そんなに高級な身分ではありませんよ。何て言いながら、にこやかに製鉄所の玄関先から帰っていく。そういうところが、杉三に、笑われてしまうものなのだ。
「やっぱり庶民派だね。帝大さんは。帝大出たとは思えないな。だからこそ帝大さんと呼ぶべきなのかな。」
杉三は、にこやかに笑った。ジョチさんもその様子を見て、ため息をついて笑い返す。
「僕たちも、帰りましょうか。たぶん、暫く目を覚まさないと思うんです。もし、目を覚ましたら、ここの利用者に夕食をたべさせるようにお願いしておきましょう。余り長居をすると、かえって迷惑が掛かってしまうかもしれないですしね。」
ジョチさんがそんなことをいいだした。聞こえてくるのは、水穂さんが、しずかに眠っている音だけある。
「うん。たぶんこれだけ眠っていれば、たぶん大丈夫だと思う。もう苦しむこともないし深くしずかに眠っているもの。晩御飯には持ってきた蕎麦掻食べてもらうようにしよう。もし、またおかしくなったら。」
と、杉ちゃんもそれに同調した。
「わかりました。これ以上おかしくなったというのなら、おそらく危篤状態となるかもしれませんから、そうなったらすぐに、病院に搬送するように小園さんに伝えておきましょう。多分、救急車でどうのこうの
となれば、また変な問題が生じてしまいますから、それは避けましょうね。それに、大部屋に入院させるのも避けた方がいい。」
「ジョチさん、悪いねえ。こういうときは、理事長の権力がものをいうんだな。僕は、称号で人を動かすのは好きじゃないが、こういうときは大いにつかって結構だと思う。」
と、杉三は、申し訳なさそうに言った。まあ確かに、そういう時は、権力を使ってもいいだろう。自分の要求をとおすのではなく、他人のために、其れも弱い人のために何かするのであれば。
「じゃあ、僕たちは、帰りましょうか。小園さんに連絡をしておきますよ。」
ジョチさんは、スマートフォンを出し、電話をかけ始めた。
「すみません。お迎えお願いします。ええ。僕と杉ちゃんは、玄関前で待っています。」
電話の奥で、はあ理事長、もうお帰りですか、もうちょっと水穂さんのそばにいて上げた方がよいのでは?なんていう声が聞こえてきた。
「ええ、余り長居をしてしまうと、それだけでも、水穂さんにとって負担になりますから。」
「でもですねえ。それでは、可哀そうですよ。一人で目が覚めた時、周りに誰もいないと。」
「ええ、小園さん、そうしたいのは山々なんですが、僕はこの後会議があり、もう帰らないといけません。それを逃したら、敬一も黙っていないでしょう。」
ジョチがとりあえず理事長をしている焼き肉屋ジンギスカアンは、深刻な人手不足に悩んでいた。その対策のことで、チャガタイたちも悩んでいたのだ。宣伝の仕方が悪いとか、基本的に障害者を中心に雇っていたため偏見がとれないなど、理由はいろいろあるのだが。
「しかしですねえ。もうちょっと、気にしないでそっちにいてやってもいいんじゃありませんか。時間を
守るのも確かに大切かもしれないですけどね。今は、そういう時じゃないのかもしれないですよ。」
小園さんが水穂さんが大変な状態にあると知っていたのは、ジョチ自身がスマートフォンのアプリである、ラインで様子を伝えていたためであった。とはいっても、映像化したわけではなく、文字で連絡していたため、実質的な内容は小園さんの想像に任されたのであるが。
「そうですが、とりあえず時間は守らないといけないので、帰ります。車を出してください。」
「わかりましたよ。理事長。それでは、車を出しますから、そこで待っていてくださいね。」
と、小園さんは電話の奥でそういっているし、杉ちゃんも帰り支度を始めた。由紀子は、もう少し、彼らが寛大ならいいのになと思わずにはいられなかった。
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