第三章・その8

「これはこれは。君も逃げだす気になったか」


「あたりまえでしょう」


 相変わらず、ふてくされたような顔をしながらキャロルが歩いてくる。まずいかな。俺はエルザを後ろにかばいながら、腰の剣に手をかけた。


「ああ、安心して。もう、エルザには何もする気はないから」


 俺とエルザを交互に見て、ため息交じりにキャロルが言ってきた。


「アンソニーがいないんだから、いまさら命令を聞いたって、私にはなんの見返りもないもの」


「そうか、わかった。すると、さっきメアリーが言っていたことが聞こえてたわけか」


「ええ。アンソニーは馬に乗ってひとりで逃げだしたそうね。この組織はもう終わりよ」


「そして生き残った残党を片付けるため、吸血鬼がこの神殿にも乗りこんできてる」


 言っている間にも、神殿の入口のほうからぶっ殺せだのなんだのという怒号が聞こえてきた。俺の背後にいたエルザが、俺の手を強く握ってくる。獣人の俺だけじゃなく、もう常人にも聞こえるレベルの音量だったらしい。


「メアリー」


 俺は近くに立っているメアリーの声をかけた。メアリーが怪訝な顔をする。


「なんでしょうか?」


「さっき、俺のあとをついて逃げると言っていたな? それは構わないが、代わりにひとつ、頼まれてくれ」


「私にできることでしたら」


「この建物から逃げだす抜け道を教えてくれ。実は、さっきから手探りで歩いていてな」


 言いながら、俺はエルザを背負いあげた。


「俺ははじめてこの建物にきたんだ。砦建築の定石から、こっちに抜け道があるだろうくらいは見当がつくが、正確な構造はわかってない。教えてくれたら涙がでるほどありがたいね」


「そういうことでしたか。わかりました」


 メアリーもすぐにうなずいた。


「では、こちらへどうぞ」


 言ってメアリーが走りだした。エルザを背負った俺とキャロルもつづく。


 しばらく走って、メアリーが立ち止まった。目の前に木製の頑丈そうな扉がある。


「ここをあければ、外にでられます。アンテ!」


 最後のは開錠の呪文だったんだろう。ガチャ、と音がして扉が開く。外からは森の匂いがする。間違いなく外だな。メアリーが扉の外へでて行く。


「じゃ、これで、この神殿とはお別れだな。――ああ、ちょっとストップ」


 俺もエルザを背負ったまま扉をくぐりかけ、ちょっと振りむいた。俺の後ろをついてきたキャロルが立ち止まる。


「何?」


「このままだと、吸血鬼連中は普通に追いかけてくるだろう。そしてメアリーを殺す。一緒にいる俺も関係者だと判断されるはずだ。こうなったら問答無用だからな。一度エルフの側に加担した以上、君も例外じゃない」


 俺の言葉に、キャロルが柳眉をひそめた。


「いやな話だけど、たぶん、その通りでしょうね。だから早く逃げないと」


「ただ、吸血鬼のなかでも、下っ端連中なら、太陽の光や、ドラゴンのブレスでなくても、なんとかできると思うんだ」


 笑いながら言う俺に、キャロルが怪訝な顔をした。


「何が言いたいの?」


「たとえば、この神殿が崩壊して、石の塊が一気に崩れ落ちてきたら、下敷きになった吸血鬼たちはどうなる?」


 俺の言葉に、キャロルが目を見開いた。俺の言いたいことに気づいたらしい。


「そういうことね。いいわ。そうしないと私もあぶないし」


「じゃ、そういうことで頼んだぞ」


 言って俺は扉をくぐった。外の夜気が心地好い。振り返ると、キャロルが困ったようにこっちを見ていた。


「早くどこかへ行って」


「変身するところをのんびり見物させてくれよ」


「服が破れるから見られたくないのよ」


「ドラゴンのときは裸だっただろう」


「あのときとは違うのよ!」


「それは失礼」


 俺が言ってる間にも、通りの奥から、赤い目をした連中がふらふらとやってきた。吸血鬼の下僕にさせられたエルフ連中かもしれない。ああなったら、もう味方とは言えないな。


「おいヤバいぞ」


 言って俺は背をむけた。エルザを背負って走る最中、大砲で城砦をぶっ壊すような、派手な音が背後から響いてくる。ちらっと見ると、ちょうど、神殿がガラガラと崩落するところだった。その崩落する神殿のなかから巨大なドラゴンが鎌首をもたげている。派手に翼を振りまわし、神殿の石を崩していく。ひゅん! と俺のそばをでかい石が飛んで行った。あぶないな。


「ゲイン、もっと遠くに行かないと」


「そうだな」


 背中から声をかけてきたエルザに言い、あらためて俺は走った。俺の前を走るメアリーもちらっと振りむき、心配そうな顔をする。


「安心しな。あの程度でドラゴンは死んだりはしない」


「ええ。それは、そうですけれど」


「とにかく走るぞ」


 俺はメアリーを追い越し、そのまま森のなかを走りつづけた。

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