第二章・その7

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 なぜ、こんなところにドラゴンがいる? この大陸のドラゴンは、かつて魔王を倒したあと、大魔導師アーバンが亜人化の術をかけて残らずドラゴニュートに変えたはずだ。いや、いまはそんなことを考えている場合じゃない。


「エヴィン!」


 俺は御者台のエヴィンに声をかけた。


「おーう、なんだい?」


 上機嫌で絶好調って感じの声が帰ってきた。酔っぱらいは気楽だな。


「信じられないと思うが、ドラゴンがでた。大急ぎで馬を開放しな。放っておくと俺たちまで食われちまうぞ」


「わはははは。今度はドラゴンかい。わかったわかった。じゃ、ドラゴンに追いつかれないように、急いで次の街まで行くぞ」


 事態を把握してない能天気声でエヴィンが言い、ぴしい、と鞭を打つ音が聞こえた。駄目だこりゃ。一方のドラゴンは、ぐんぐんシルエットを大きくしている。のんびり空の散歩を楽しんでいるようには見えなかった。美味しそうな獲物を見つけましたよって意図がビンビン伝わってくる。


「とにかく動くなよ」


 俺はエルザに言い、幌馬車のなかを移動して御者台へ顔をだした。エヴィンはワイン片手に手綱を握っている。


「あれを見な」


 俺はエヴィンの肩を揺さぶり、後方の空を指さした。エヴィンが少し赤い顔でこっちをむく。


「あれって、何を言ってるんだ。――うわ!!」


 さすがにこれで気づいたらしい。赤かったエヴィンの顔が一瞬で青くなった。


「なんなんだあれ!? まるで、おとぎ話のドラゴンじゃないか」


「だからさっき、そう言ったじゃないか――?」


 言ってる最中、急に周囲が少し暗くなった。まるで日影に入ったみたいである。草原ばっかりで、樹木もない、こんな馬車道でか? 俺が上を見あげると、ドラゴンのシルエットは想像以上に大きくなっていた。俺たちは、そのシルエットの真下にいたのである。くそ、さっきまで、あんなに遠くに見えたのに。ここまで速く飛べるのか。


「ひええええ! どどどどうすれば」


「だから馬を逃がせ! いいか、ロープを切るぞ」


「ばばば馬鹿を言うな! そんなことしたらおまえ、俺たちはどうやって逃げれば」


「あのドラゴンは馬を狙っているはずだ! でかくて食いでがあるからな。だから馬を逃がせて食わせろ! 俺たちは幌のなかで静かにしてるしかないだろうが!!」


「そうかもしれんけど、じゃ、この鉄鋼は誰が運ぶ!?」


「まだ酔っぱらってんのか! 鉄鋼とか馬とか気にして、自分が食われたら取り返しがつかないんだぞ――」


 言ってる最中、ぶおんという、ものすごい風が上空から降りてきた。ドラゴンの羽が起こす風? いや、呼吸だったのかもしれない。くそ、もうエヴィンを説得している場合じゃないな。


「すまないが、命が大事なんでな!」


 言って俺は走りつづける馬に飛び乗った。


「このロープは切らせてもらうぞ! 俺と関係を持ったせいで、こんなことになったのは謝る――?」


 腰から短剣を抜きながらエヴィンのほうをむき、俺は目を見開いた。ドラゴン。トカゲのような鱗と、蝙蝠のような翼。そして、巨人族をもしのぐその巨体が、俺たちの目の前に迫ってきている。


 ただし、迫っていたのは、馬にではなかった。


「エルザ!」


 俺は幌のなかにいるエルザの名を絶叫した。ドラゴンは、走りつづける馬になど目もむけず、エルザのいる幌に両腕を伸ばしていたのである。


 どう表現したらいいのかわからない、すさまじく低音な咆哮をあげ、ドラゴンが両腕を振った。爪にひっかけられた幌が、紙切れみたいに裂かれて宙に舞う。


「キャー!! ゲイン!!」


 黄色い悲鳴はエルザのものだった。恐怖の表情でこっちへ手を伸ばしている。くそ、こうなったらやるしかない。


「できれば目を閉じておけ!!」


 俺はエルザとヴィンの両方に怒鳴り、馬の上から幌馬車まで駆けた。ドラゴンは、紅蓮に輝く瞳でエルザを見ている。くそ、どういうことだ? 巨大な獣はでかい肉を食らう。だからドラゴンは馬を狙うはずだ。――俺はそう考えていたんだが。しかも、このドラゴンはエルザを見ているだけで、噛みつく様子もない。首をひねりながらも、俺は変貌を意識した。見る間に全身を白い獣毛が覆っていく。


「あと、頭を伏せろ!」


 変貌途中でエルザに言い、俺はドラゴンの前まで駆けた。ドラゴンが、俺に目をむけながら、うるさそうな感じで前足を揮う。


 どがん! という衝撃が走り、同時に俺はドラゴンの腕を押さえこんだ。ドラゴンの表情――と言っていいのかわからんが、それが一変したのはこのときだった。


「貴様、何者だ?」


 ドラゴンの口が開いた。


「まさか、地上を這いつくばるだけの輩に、この私の力をとめられるとは」


「なんだおまえ、しゃべれるのか」


 俺がドラゴンの言葉をさえぎったら、ドラゴンの目つきが驚愕から憎悪へと変化した。こりゃヤバイ。俺はドラゴンの腕から手を離した。


「この私を愚弄するか!!」


 ドラゴンが叫び、自分の腕を振りまわした。おおあぶねえ。捕まっている状態だったら、そのまま地平線の彼方まで投げ飛ばされているところだった。まあ、このドラゴンさんが敵だってのは確認できたが。


 だったら、こっちもやるべきことをやるしかない。


「どこからやってきたんだよ、ドラゴンさん」


 俺はエルザが安全なことを確認しながら、足元の箱を手にとった。


「というか、何が目的なんだい? 偉大なドラゴンさんなら、それはそれは素晴らしい目的があって行動してるんだろうしな。俺も教えてほしいもんだ」


 俺は箱を右手にかかえ、のんびりした感じでエルザまで歩いて行った。この状況で脳内パニックを起こしたのか、エルザは動かない。


「――ああ、俺が怖いか」


 俺は照れ笑いをしながら頭をかいた。かいた頭が痛い。爪が野生化して、人間のものとは殺傷レベルが根本的に違うから仕方がないんだが。

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