第二章・その6
「なあ、おまえさん、名前はなんて言うんだ?」
鉄鋼が平たく積んである場所にエルザを座らせ、俺も座れる場所を探そうと思ったら、御者台で手綱を握ってるおやっさんが声をかけてきた。
「俺はゲインって言うんだ」
「へえ」
おやっさんが、少し感心したような声をあげた。
「子供に聞かせるおとぎ話の六英雄と同じ名前か。それ、本名かい?」
「べつに珍しい名前でもないだろう」
「ま、それもそうだな。儂はエヴィンって言うんだ」
「じゃ、都まで、よろしくな、エヴィン」
「ああ、そのことなんだがな。おまえさん、普段の仕事は何をしてるんだ?」
「冒険者だよ」
返事をしながら、俺は自分の格好を見た。皮鎧を着て、腰には長剣と短剣が刺さっている。やばい仕事をする奴が絶対に必要とする代物だった。
「見ていてわからなかったのか?」
「わかってたよ。ただ、引退する気はないかって思ってな」
「はあ?」
俺は鉄鋼の箱を乗り越えて、幌から御者台にむかって顔をだした。
「冗談はやめてくれ。そんなことをしたら、俺は明日から、どうやって飯を食えばいい?」
「鉄鋼を運べばいいだろうが」
エヴィンが俺のほうをむいて言ってきた。なんか酒臭い。見ると、足元にワインの瓶があった。
「あんた、飲んでるのか。どうも機嫌がいいと思ったら」
「硬いこと言うな。あとは道に沿って手綱を振ってれば次の街につく。それよりも、おまえさんのことなんだがな。どうだ? 儂の仕事を継ぐ気はないか?」
「――何を言ってるんだあんた?」
「儂は子供がいなくてな。いつかはこの仕事を引退するが、後継ぎがいなくて困ってたんだ。ちょうど、おまえさんみたいに、よく働く奴が欲しいと思ってたんだよ。それにおまえさんも、冒険者なんて、あぶない仕事をいつまでもやるのは難しいだろう。かわいい娘さんもいるみたいだし。ここはひとつ、街のみんなの役に立つ、お堅い仕事に鞍替えしてみようって気にはならないか?」
「ああ、そういうことか」
俺は納得した。エヴィンも、べつに悪気があって物を言っていたわけではないらしい。
「そうだな。あんたが俺を気に入ってくれたのはわかった。それはありがたいけど、この話は断らせてもらうわ」
俺の返事に、ぴしい、と鞭を打ちながら、エヴィンがちょっと悲しそうにした。
「残念だったな。まあ、それは仕方ないが、どうして断るのか、その理由くらいは説明してくれないか?」
「それを説明する前に、間違いの訂正をしておこうか。まず、この馬車に乗っている娘は、俺とは他人だよ。俺は、あの娘を都までつれて行くって依頼を受けただけだ。あんたと同じで、俺にも子供はいない」
「あ、そうだったのか。ずいぶん似てないと思ったら」
「それに、俺の仕事だって、街のみんなの役には立ってる。ちっとばかし物騒で血なまぐさいけどな」
「そうか。――言われてみれば、確かにそうだな」
前方をむきながら、エヴィンが少しだけうなずいた。
「あと、俺はひとつところで仕事ができないんだ」
「そりゃなんでだ?」
「変な噂を立てられるんだよ。あの男、何をやっても平気な顔をしてるぞ。不死身の化物だってな」
「わははは。なんだそりゃ」
エヴィンがカラカラと笑った。同時に、先頭を走っていた馬が道路から外れかける。
「あぶないな。ちゃんとした道を走らせろ」
「おお、すまんすまん。ただ、なんだいまのは? 儂は酒が入ってるからおもしろかったが、普通の人間は笑ってくれないぞ」
「俺もそう思ったから話したんだ。これは酔っ払い相手に言うことだよ」
「なるほどな。それにしても、獣人の冒険者ってのは、そんなに頑丈なのか?」
「俺はそのなかでも特別製でな」
「そうかそうか。じゃ、その特別製の獣人さんを、なるべく早く、都まで届けてあげなくちゃな。ハイヨ!!」
エヴィンが機嫌よさそうに鞭をふるった。周囲に見えるのは、広い草原と、草をむしっただけのような馬車道。何かがどこかに潜んでいるようには見えなかった。
「じゃ、俺は後ろで寝てるから。何かあったら声をかけてくれ」
虚勢を張って食べたハムエッグの睡眠薬が、いまになって、少しだけ効いてきたらしい。俺はエヴィンに言い、幌のなかに戻った。
「じゃ、エルザ、あとは、昼飯になるまで、ここでのんびりするぞ――?」
俺はエルザに言いかけ、そのエルザが、さっき座らせた場所ではなく、幌馬車の後方で、外の景色を見ていることに気がついた。
「どうした? あの街に、何か忘れものでもしたのか?」
都から、理由もわからずにつれてこられて、一刻も早く両親に会いたいだろうに。いざとなると離れる街にも愛着がでるってことか。小さい子供はわからないな、などと思いながら、俺はエルザに近寄って声をかけた。
エルザは無言で首を左右に振った。
「そうじゃないの。あれ」
以前と同じ、なんだか不安そうな感じだった。都に帰れる安堵の声とは正反対である。まさか、何かきたのか? 俺は腰の長剣に手をかけた。
「どこだ?」
エルザに質問しながら、俺は離れていく街をながめた。追手がくる気配はない。昨夜の吸血鬼――は、昼間は行動できないはずだ。朝のエルフ連中――は、メアリーが名誉にかけて言っていた。騙し討ちはしないと。
じゃ、誰だ? というか、どこにいる?
「あそこ、あれあれ」
エルザが指さした。空をである。その指先に目をむけると、なんだか、ミミズがのたくったみたいな、それでいて異常に巨大な黒い影が、うねうねと動きながらこっちへむかって飛んできていた。
「あのね、ゲイン」
さっきと同じく、エルザが不安そうな調子で俺に声をかけてきた。
「奥にいろ」
言いながら、俺はエルザをかかえて、幌馬車の中央に座らせた。
「あの、あれって」
どうしようか考えながら幌馬車の後方へ行く俺に、あらためてエルザが声をかけてきた。
「まさか、あれ」
「たぶんドラゴンだな」
仕方なく、俺も返事をした。
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