第一章・その8

「みんな、下がりなさい」


 そのエルフ美少女が言うと同時に、俺の周囲を取り囲んでいたエルフたちが無言で俺から遠ざかった。よくわからんが、この美少女の言葉には逆らえないらしい。


「さっきまでの非礼はお詫びします」


 エルフ美少女が言い、ゆっくりと俺の前まで近づいてきた。両手は見えている。


「武器は持っていないようだな」


「そんなものを隠し持つくらいなら、周囲のものにやらせています」


 エルフ美少女がいたずらっぽい調子で言ってきた。それもそうか。


「まずは自己紹介をいたしましょう。私はメアリーと言います」


「俺はゲイン。獣人の冒険者だ」


 俺の返事に、エルフ美少女が驚いた顔をした。


「これはこれは、かつて魔王を倒した六英雄のひとりと同じ名前とは。確かに、一度聞いたら忘れない名前ですわね」


「そうだろう」


 と返事をしてから、俺は眉をひそめた。


「そういうあんたは、この街のエルフのボス、アンソニーの娘と同じ名前だな」


「ええ。本人ですから」


「なるほどね。お会いできて光栄だ」


 あらためて、俺は周囲に眼をむけた。ほかのエルフ連中の表情は変わらない。はったりじゃなさそうだな。


「それはかまわないのですが、どこで私の名前を知ったのですか?」


 少し不思議そうにメアリーが訊いてきた。


「この街にきて、一日あれば、ある程度の情報は入ってくる。それよりも、俺はこの後、どうすればいい?」


「まずは、その娘を離してください。その娘は、私の命令で動いただけです」


「そんなことを言っておいて、おまえらは俺を殺す気だろう」


「そんな気はありませんでした」


「いきなり襲いかかっておいて、どうしてそんな言葉が信用できる?」


「その娘が持っていた武器をお忘れですか? ここは食堂です。その気になれば、ナイフも調達できました。私は、あなたの実力が本物かどうか、テストをしたかったのです」


「ふむ」


 言われてみたら、確かにそうだ。たとえこん棒で殴られても、エルフ女の腕力じゃ、せいぜい頭にこぶができる程度である。


「じゃあ、その料理は?」


 俺はあごでテーブルの料理を指した。


「あんた、それ、食えるか?」


「ええ、かまいません」


 平然と言って、メアリーがテーブルまで近づいてきた。ナイフとフォークを手にとり、ハンバーグを小さく切り、躊躇なく自分の口に入れる。少し噛んで、普通に飲みこんだ。


「ああー、私のハンバーグ。まだ、全然食べてなかったのに」


 俺の横で、エルザが残念そうな声をあげた。


「大丈夫だ。新しいのを注文するから」


 エルザに言ってから、俺はメアリーを見つめた。メアリーは平然と立っている。そのまま少し見ていたが、メアリーに変化は見られなかった。


「これは驚いた。珍しくまちがえたな。即効性の睡眠薬の匂いだと思ってたんだが」


「人間が使う薬の匂いは知っています。ハーブでそっくりの匂いを再現しました。匂いだけで、効能はありません」


「へえ」


 俺は食べかけの状態になったハンバーグに目をむけ、あらためてメアリーを見た。


「じゃ、それはいいとして、なんでそんなことをした?」


「だから言ったでしょう。テストです。あなたの実力を知りたかったのですよ」


「ずいぶんとまわりくどいことをするんだな」


「スタートの言葉がある前でも行動できなければ、本物とは言えませんので」


「これでもずいぶんと外で依頼はこなしてきたんだがな」


「それは頼もしいお言葉ですわね」


 メアリーが少し後ずさり、俺に微笑んだ。


「では、あらためて、ゲインに話があります。聞いていただけますか?」


「聞くって、何をだ?」


「私からの依頼です。決まっているでしょう?」


「ふむ」


 俺はうなずいて、食堂のなかを見まわした。――ここにいるのは、殺気だったエルフ連中ばかりである。話を聞かなかったらどうなるのかは簡単に想像がついた。


 だが。


「それで、話を聞くとして、その見返りは?」


「この店の宿代と食事代。それから、相応の報酬です」


「そうか」


 俺は、手をつないでいるエルザに目をむけた。なんだか不安そうにしている。


「大丈夫だ」


 小声で言ってウィンクし、俺はメアリーにむきなおった。


「実は俺、いま、ここにいる、エルザって娘を都まで送り届けるという依頼を受けてるんだ。悪いけど、俺はふたつ以上の依頼を一度に受けられるほど器用じゃない」


「それは残念ですわね」


 メアリーが少しだけ、表情を曇らせた。


「あなたが話を聞いていただければ、ここで働いていたドラゴニュートの娘も、無傷で戻ってくるのですが」


「ふうん。それも、交渉のひとつの手段だと思っているわけか?」


「そうでなかったらなんだと言うのです?」


「脅迫と言うんだ」


 俺はあきれた。さすがは妖精の貴族様である。自分たち以外の命など、軽いものだと思っているわけか。


「あいにくと、俺とドラゴニュートの娘は昨日会ったばかりの他人だよ。そんな娘がどうなろうと知ったことじゃない」


 俺はメアリーに言った。シャイアンはドラゴニュート――大魔導師アーバンの秘術で人間化された元ドラゴンだ。ブレスは不可能だが、身体の頑丈さくらいは遺伝してるだろう。簡単に殺されたりはするまい。俺は顔にあせりや動揺がでないように、平静を装いながら話をつづけた。


「そういうわけで、離れてもらおうか。そうしないなら、ここにいるエルフ娘さんは相当長い間、腰痛で苦しむことになるぞ」


 俺は右腕に少し力をこめた。人質にとっていたエルフ女が、ひゅうと息を吐く。周囲にいたエルフ連中もさすがに表情を変えた。エルフ娘が強制的に肺から空気を押しだされ、呼吸できなくてもがいてると気づいたらしい。


「てめえ、そいつから手を離せ!」


「だったら、まずはおまえたちが俺から離れろ。俺はエルザをつれて都へ――?」


 言いかけた俺の右腕がひかれた。なんだと思って目をむけると、エルザが不安そうな顔で俺を見あげていた。


「どうしたエルザ?」


「お願いゲイン。あのドラゴニュートのお姉ちゃん、助けてあげて」


「――なんだと?」


 聞き返しながらも、まずったと俺は思った。俺さえ心を鬼にしてシャイアンを見捨てればエルザを都へつれていけると思っていたのだが。まさか、こんなところで障害が立ちふさがってくるとは。


 本当は喜びたい気持ちを押し殺して、俺は困った顔をしてみせた。


「あのな、俺は、エルザを都に送り届けるって依頼を受けてるんだ。エルザのお父さんとお母さんも心配してるんだぞ」


「私だって、あのドラゴニュートのお姉ちゃん、心配なの」


 言って、エルザが左手で、食べかけの状態になっているハンバーグの皿をとった。


「あのね、ゲイン、これ、あげる。だから私の依頼を聞いて。ドラゴニュートのお姉ちゃんを助けてあげて」


「いや、そんなこと言われても」


「お願い」


 エルザは泣きそうな表情だった。


「――わかったよ」


 俺は一度天を仰いでからエルザに笑いかけ、それからメアリーに目をむけた。


「いいか、いまから条件をだす。聞いてくれるか?」


「できることなら」


「それはありがたい。では、その一、まずは部下を遠ざける。その二、君の部下と俺が揉めた話は、なかったことにしてもらう。これについては、今後、喧嘩はなしだ。その三、シャイアンを無傷でつれてくる。その四、替えのハンバーグを持ってくる。その五、君の話は聞こう。ただ、聞くだけだ。それでいいか?」


 思いつく限りのことを言ったが、メアリーの表情は変わらなかった。


「ええ、いまのところは」


「約束は守ってもらうぞ」


 俺は右腕の力を緩めた。人質にとられていたエルフ娘が咳きこみながら、俺から離れる。


「じゃ、話を聞こうじゃないか」


 俺はエルザの手をとったまま、あらためて椅子に座った。

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