第一章・その7
「エルザ。朝だぞ」
窓から日差しが入ってくると同時に目が覚めた俺は、ベッドで寝ているエルザに声をかけた。エルザが少し目をこすってから、こっちを見る。
ちょっとだけ驚いた表情を浮かべてから、笑顔になった。昨日、俺と一緒に部屋に泊まったことを思いだしたらしい。
「おはよう。――えーと」
「俺の名前はゲインだ。魔王を倒した六英雄の獣王と同じ名前だよ」
「あ、そうだったね。おはようゲイン」
エルザが笑いながら返事をし、身体を起こした。寝巻きを脱いで私服に着替える。そのまま部屋をでた俺たちは一階の食堂へ行った。
「朝飯を食ったら、それでこの街をでるぞ。都へ行く馬車に頼んで、乗せてもらったら、あとは都まで、一直線だ」
「うん」
エルザが嬉しそうに言い、俺と並んで椅子に座った。ドラゴニュートのシャイアンが、昨日のことなど何も覚えてないって顔で近づいてくる。
「ご注文は?」
「パンとハムエッグとミルク」
「私はハンバーグとパンとミルク」
「かしこまりましたー」
歌うように返事をして、シャイアンがカウンターへ戻っていった。
「エルザ、都に帰ったら、まずは何がしたい?」
朝飯がくるまでの間、黙っているのもおかしいので、俺はエルザに訊いてみた。エルザが楽しそうに、少し考えこむ。
「えーとね。まず、お父さんとお母さんに抱きついて、ただいまって言う」
「そうかそうか。それから?」
「それから、お母さんの料理を食べる」
「へえ? これから朝ごはんなのに、食いしん坊だな」
「だって、外で食べるご飯と、お母さんのご飯って、違うし。お母さんのシチューが早く食べたいな」
「あー、なるほど。そうか、普通はそうなるよな」
「ゲインは、お母さんの料理が嫌いだったの?」
「あ、いや、俺もお母さんは好きだったよ。ただ、もう天国で寝てるから、お母さんのご飯は食べられないんだ」
「あ、そうなんだ」
エルザが、ちょっと驚いた顔をした――あ、これはまずったかな、と俺は思った。十歳の子供に、親との別れは言うべきじゃなかったかもしれない。
「じゃ、ゲイン、お母さんとお別れするとき、泣いたの?」
「うーん、どうだったかな。昔のことだから、もう、あんまり覚えてないよ。ほら、俺のことより、エルザは、そのあと、どうするんだ?」
「私は、そのあと、お父さんとお母さんのお仕事を手伝いたいなー」
エルザが俺に笑顔をむけてきた。
「ゲインは知ってる? 私のお父さんとお母さんって、お婆ちゃんの跡を継いで、都で魔導師をやってるんだよ。それで、お婆ちゃんたちが倒した魔王の身体を研究してるの。百年も前に倒されたのに、全然腐らないんだって」
「それは不思議だな」
「だから、人間を不老不死にするヒントになるかもしれないって言って、みんな研究してるんだよ」
「お待ちどう様。パンとハムエッグとミルク。それから、ハンバーグとパンとミルクね」
エルザが話してる最中、シャイアンがお盆を持ってやってきた。俺の前にハムエッグ、エルザの前にハンバーグを置く。
「じゃ、ごゆっくり」
「どうも。――あ、ちょっと待ってくれ」
背をむけて行きかけたシャイアンに俺は声をかけた。シャイアンが、ビク、とした感じで動きを止める。
「何か?」
「ちょっとシャイアンに教えて欲しいことがあるんだ」
俺はハムエッグの皿を手にとった。顔に近づけて匂いを嗅いでみる。
「これ、変わった匂いだな。どんなソースをかけたんだ?」
俺は背をむけたままのシャイアンに訊いてみた。シャイアンは動かない。
「――さあ。どうだったかしら。ちょっと訊いてくるから」
「俺はシャイアンに訊いてるんだ。それに、こっちからも、似たような匂いがするな」
俺はエルザの前にあるハンバーグの皿に顔を近づけてみた。エルザが不思議そうにする。
「そんなに変な匂い? 私にはわからないけど」
「俺は獣人だから鼻が利くんだよ。俺がいいって言うまで食べちゃダメだ」
エルザに言い、ハムエッグの皿をテーブルに置いた俺はシャイアンに目をむけた。相変わらず、シャイアンは俺に背中をむけたまま立っている。
「ついでだから、もう少し質問してみようか。俺はいま、シャイアンと声をかけた。君はどうして驚かないんだ? 君は昨日、俺に名前を言ってない。どうして知ってるのって質問くらいはあってもいいはずだ」
「え、何を言ってるの? あのとき、私、名前を言ったじゃない」
「あのときって、どのときだ?」
シャイアンからの返事はなかった。
「それから、これも聞いておこうか。俺は昨日、自分の名前を言った。君は聞いていたな。なんて名前だった?」
「――ああ、ごめんなさい。それは忘れちゃったわ。ここにくるお客さんなんて、何人もいるから」
「それはないだろう。歴史に残っている、ある有名な奴と同じ名前だって、君はあきれてた。たった一日で忘れるなんて、ありえない話だ」
俺は背をむけたままのシャイアンを見すえた。
「正直に言いな。本当のシャイアンはどこにいる?」
無言でシャイアン――の顔をしていた女性が振りむいた。金色の髪に緑の目。もう幻覚魔法で外見を偽る必要もないと判断したらしい。そのまま、ものすごい形相で俺に腕を振りあげる。持っているのは――こん棒? 俺はひょいと左手を突きだした。それで振り降ろしてきたこん棒を受け、右手でシャイアンに化けていたエルフ女に抱き着く。身体を密着させていれば、普通はそれ以上、相手を傷つけられない。
「全員動くな!」
俺は周囲を見まわしながら一喝した。さっきまで、近くのテーブルに座っていた人間たちが立ちあがりかけた状態で、悔しそうに動きをとめる。その外見が、見る見るうちにエルフの姿に変化していった。
「へえ」
さすがに驚いたな。ここにいる連中、全員そうだったのか。それで、俺が食堂にくるまで待ち伏せしていたらしい。
「ちょうどいいから言っておこうか。昨日のあれは、いきなりそっちが殴りかかってきたからやりかえしただけだ。正当防衛だよ」
エルフ女の胴を右腕で締めあげながら、俺は周囲のエルフに宣言した。
「そして今朝もだ。この女はいきなり殴りかかってきた。やられなかったら俺もやりかえしたりはしなかった。違うか?」
「いいからその女を離せ」
「だったら後ろに下がりな」
俺は右腕でエルフ女を締めあげたまま、左手を横に伸ばした。エルザが俺の左手を握ってくる。
「俺は、ただ、この娘を都へつれて行くだけだ。あんたたちが何もしなければ、俺だって何もしない。どうしてこの娘をさらったのか、その理由だってどうでもいい。だからひいてくれないか」
「残念ながら、そうはいきません」
突然、澄んだ声がした。シャイアンに化けていたエルフ女とは違う。声のした方向に眼をむけると、やはり、金色の髪に緑の目をした、それでいて、シャイアンに化けていたエルフ女よりも、はるかに神々しい美貌をした少女が立っていた。
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