第一章・その4
「うん?」
しばらく寝ていたが、俺は妙な気配を感じて目を覚ました。音をたてないように身体を起こしてベッドのほうをむく。エルザは静かに寝息を立てていた。天使みたいな寝顔だな。両親もかわいがっていたことだろう。早く会わせて安心させてやりたいものだ。
残念ながら、そうはいかなくなったようだが。
こんこん、というドアのノックがした。
「どちらさん?」
エルザを起こさないように小声で返事をしながら、俺は立ちあがった。腰に手を伸ばす。ここは宿だ。やるとしたたら、長剣じゃなくて短剣を使うべきだな。
「私よ」
澄んだ声がした。食堂で話しかけてきたドラゴニュートの少女の声である。
「ああ、君か。名前はなんだっけ?」
「シャイアンよ。忘れたの?」
「そっちこそ忘れたのか。君は俺に名前を言ってない」
俺の返事に、ドアの向こうのドラゴニュート――シャイアンが静かになった。気配は、俺が感じる限り、ひとりなんだが、そんなはずはないだろう。気配を制御できるレベルの相手となると厄介だな。
「あらためて訊こうか。どちらさんなんだ?」
俺の質問に、ドアの向こうの気配が揺らいだ。
「どうか、あけていただきたい」
今度は男の声だった。声を変えられるということは、やはり幻覚魔法か。すると、食堂でやっちまったエルフの仲間と考えていい。ここであけなかったら、ドアをぶち破って入ってくるか、それとも、攻撃魔法で吹っ飛ばしにくるか。
「頼む。私は話をしたいだけだ」
「明日にしてくれ」
「あいにくと、昼は無理なのでね」
「何?」
静かに短剣を抜こうとして、俺は動きをとめた。招かれなければ入れず、昼は無理、か。
「想像していた相手とは違うようだな」
「誓って言うが、荒事を起こす気はない。むしろ、その反対だな。私の話を聞いて損をすることはないと思うが」
「ふむ」
俺はエルザのほうを見た。相変わらず、エルザはかわいらしい顔で眠っている。
「いま、この部屋では十歳の女の子が寝ている。その娘を起こさないと約束できるか?」
「私の名誉にかけて約束しよう」
「信用できる根拠ゼロだな」
もっとも、こういう場でこういうことを言う奴は、意外と律儀に約束を守る。俺はドアをあけた。――ドラゴニュートのシャイアンがいた。ぼうっとした顔で立っている。そして、その背後には、黒い服を着た、黒髪の青年が立っていた。
エルフじゃないのは間違いなかった。そして、生きている感じもしない。
「吸血鬼さんか」
「いかにも」
青年が笑いかけた。口元からは冴えた牙がのぞく。気配を感じなかったはずだ。
「えーとな」
俺は吸血鬼から目を逸らし、シャイアンを見た。さっきと同じで顔に表情がない。
「その娘には何をした?」
「少し操らせてもらっただけだ。この娘の声なら、君がドアをあけてくれると思っていたのでね」
「そんなことをしなくても、礼儀を尽くせば、俺はドアをあけた」
「そのようだな。これは失礼をした」
言って、吸血鬼の青年が、シャイアンの肩に軽く手をかけた。相変わらず、ぼうっとした顔のまま、シャイアンがふらふらと歩いて行く。
「私がかけたのは、極めて短時間しか効果を及ぼさない、簡易的な催眠術だ。あの娘は、いまのことを覚えていない」
吸血鬼の青年が小声でささやいた。
「朝になったら、普通に行動するだろう。気にしないで相手をしてやってくれ」
「そうしよう」
シャイアンが階段を降りていくのを確認してから、俺は吸血鬼の青年に目を合わせた。
「先に自己紹介をさせてもらおう。私はヴィンセントという。吸血鬼だ」
「俺はゲイン。獣人の冒険者だ」
「聞いている。なんでも、夕飯時、一階の食堂で、エルフ連中とやりあったそうだが」
「まあな」
「実は、その点で話したかったんだ。よかったら、いれてもらえるかな」
「いいだろう」
ドラゴニュートのシャイアンに手をかけなかったのだ。この吸血鬼――ヴィンセントの言うことは信頼できる。俺はそう判断した。
俺がドアから離れて部屋の中央に行くと、スーッと、音もなくヴィンセントが部屋のなかに入ってきた。ベッドで眠っているエルザのほうを見る。
「ずいぶんとかわいらしいお嬢さんだな。君の娘かね?」
「とんでもない。依頼を受けて保護した娘だよ。無傷で都までつれていく。だから起こすな」
こいつ、エルフ連中がエルザを誘拐したことを知らないのか? この街じゃ、エルフと吸血鬼が対立してるってシャイアンが言ってたが。
「ふむ」
ヴィンセントがうなずいた。
「ずいぶん似ていないと思ったら、赤の他人か。その赤の他人を守るために命を投げうつ。冒険者とは尊敬に値するな」
「それが俺の仕事だ」
「その仕事について、私からの依頼があるんだ」
「ほう」
俺は椅子に座った。むかいの椅子に手をむける。ヴィンセントも、俺とむかいあうように、椅子へ腰かけた。
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