第五章・その6

        3




「思い出していただけましたか?」


 青田先生が笑顔で訊いてくる。何を言いたいのかわかるが、どうこたえたらいいのかわからない。


「まあ、そこそこだけどな。思い出したことは思い出したよ。俺の親父のこととか」


「それは僥倖です」


 青田先生がうれしそうにした。


「では、ご理解いただけたでしょう? これが人間と、吸血鬼と、その他の亜人種というものなのです」


 青田先生が言いながら俺に近づいてきた。俺の背後では、沙織が俺の服をつかんでいる。怯えている感じだった。ま、そうなって当然だろう。俺に近づいてくるのは、中、上位魔族である。


「このような、差別的な、他のものを敵視するような、下等なものどもではなく、偉大なる魔竜王様の後継者として」


「断る」


 俺は短く言った。青田先生が眉をひそめる。


「それは、どういう」


「歯を食いしばれ。女を殴りたくなんかないけど、これはけじめだ」


 言いながら俺はかまえた。俺の行動が理解できないのか、青田先生がとまどった顔で後ずさる。


「あの、どうして」


「いいから歯を食いしばれ。いまから一発行くぞ。321」


 俺は青田先生を殴った。一応、左手にしておいたが、本気は本気だ。剥がれた顔面の皮膚を空にまき散らしながら青田先生がすっ転び、五メートルも地面を転げる。


「さすが」


 俺はつぶやいた。首から上だけが飛ぶと思ってたんだが、ちゃんとつながっている。さすがは、中、上位魔族と言っておこうか。


「あの」


 俺の服をつかんだまま、沙織が不安そうに訊いてきた。


「わたくしには、訳がわかりません。いきなり妖魔ゾムドが、あんな、友好的に、殿下に話かけるなど。一体何が」


「安心しろ」


 俺は沙織にささやいた。


「これだけは信じてくれ。俺は吸血鬼として生きる。おまえたちの仲間だ。裏切ることは絶対にない」


 俺の言葉に、沙織が、はっと表情を明るくした。


「わかりました。信じます。殿下は、やはり風間家の後継者だったのですね」


「後継者っていうのは、少し違うんだけどな」


「は?」


「まあ気にするな」


 沙織に言い、俺は青田先生をにらみなおした。


「なぜです?」


 平然と起き上がりながら青田先生が訊いた。俺のパンチで引き剥がした顔の皮膚は、まだ治る兆候がない。俺はほっとした。俺がぶん殴れば、とりあえず、即回復ってことはないらしい。


「いままでの経験でご理解いただけたはずです。人間が、自分たちとは異なるものを、どれだけ嫌い、差別するのか。そして吸血鬼が、結局は自分たちの立場を守ろうとするだけの俗物であるのか。――本当に、前のときの失敗作は、なぜルーマニアで吸血鬼のような種族を増殖させたのか」


「おまえたちの思い通りに動くのが嫌だったからだろう」


 俺は沙織の手をそっとどけ、青田先生に近づいた。青田先生が悔しそうに、顔の皮膚が禿げた状態で俺を見据える。その額には一対の角が生えはじめていた。本物の魔族の証拠である。それを隠しきれなくなってきたか。


「なぜ、我々魔族の後継者としてではなく、人間の側につくのです? 人間として生きていただき、人間の汚らしさを見ていただいたというのに」


「玉石混交という言葉が人間の世界にはあってな。汚い奴もいるが、まともな奴もいる」


 俺は短く言い、青田先生に顔を近づけた。


「人間の世界には人間の理屈があるんだよ。おまえは、海石榴家の連中を騙して、ずいぶんと殺したな? だったら、そばにいる俺が代理で仇討ちをしないといかん。だからおまえは殴られた。それで納得しろ」


「納得など、できるわけがないではありませんか」


 青田先生が立ち上がった。顔面の怪我が回復してきている、額には角、口には牙。それ以外の見えている表皮は鱗に変形しはじめている。


「やる気か?」


「とんでもないことでございます!!」


 沙織の盾になるように立ちながら詰問した俺に、慌てた顔で青田先生が首を横に振った。


「私は、本来の姿に戻っただけです。殿下を戦う気など、さらさらありません」


「それと同じ気持ちで、海石榴家の精一郎とも話をしてほしかったよ。精一郎は俺を騙し討ちにしようと思っていたみたいだけど、俺は喧嘩が終わったら仲良くしようと思っていた」


「それはなぜでしょうか?」


「罪を憎んで人を憎まず。人間の世界の言葉だ」


「――不思議です」


 青田先生が、顔面の傷を修復させながら不思議そうに首をひねった。


「私は、そこまで殿下の心に干渉してはいないはずです。もう、とっくに、人間として生きるという催眠術は解けているでしょうに」


 沙織の手をとって、背をむけた俺に、青田先生が声をかけた。


「なぜ、記憶が戻ってまでも、そこまで人間として生きようと――否、吸血鬼として生きようとするのでしょう?」


 青田先生の質問はもっともなものだった


「もちろん、尖兵として、人間の形として生み出したと魔竜王様もおっしゃっていられましたが。まさか、本当に我々と袂を分かち、敵の側に立つなど」


「俺がドラ息子だからだろ」


 青田先生に、俺は少しだけ笑いかけてやった。口に力をこめる。


 ぎり、と音を立てて犬歯が伸びた。封印を解くのは簡単だったんだな。俺は、いままで、できないと勝手に思いこんでいただけだったのだ。


「帰れ。魔竜王ドラクールによろしくな」


 俺は背をむけ、不安そうに俺を見る沙織まで歩きだした。背後の青田先生が悲しげに俺を見つめる。


「ドラクール様の血をひく、殿下が」


「俺の名前は光沢鉄郎だ」


 俺は振りむいた。同時に青田先生の気配が消える。俺は暗闇の彼方へ宣言した。


「俺は吸血鬼だ。人間らしく生きようとしている、少し変わった性格だとは自分でも思うがな。少なくとも魔族と仲良くする気はない。そのつもりでいろ」


 魔界へ帰った青田先生に、この言葉が届いたかどうかはわからない。ただ、沙織は聞いただろう。


「帰るぞ。いろいろ中途半端だったけど、とりあえず片付いた」


「あの、光沢様?」


 俺を見る沙織は柳眉をひそめていた。


「光沢様は――」


「魔族と人間の混血――だと思う。俺もはっきりと断言はできないがな」


「では、あの、吸血鬼では」


「吸血鬼だよ。それが原点の、はじまりの吸血鬼だって言うからな」


 そんな俺が、どういう経緯で六大鬼族の、風間家の跡継ぎとして育てられたのか? まあ、この俺の記憶が改竄されたくらいだからな。似たようなことがあったんだろう。何もかも、すべてが偽りだったってことだ。


「俺との婚約、破棄してもいいんだぞ」


「とんでもないことでございます」


 ふと思って沙織に言ったら、慌てた顔で沙織が首を振った。


「わたくしは、光沢様とともに夜を生きます。これからも、いつまでも、永遠に」


 言ってから、沙織がキョトンとした。


「なぜ、そのようなお顔をされるのです?」


 俺は頭をかいた。


「人間というのは、愛の告白をされたら赤い顔をするもんなんだ」


「そうだったのですか」


 歩く俺の横を沙織が並んだ。その背後を桜塚家の部下がつづく。リリスも。そしてダイアナも。


 夜は輝きに満ちていた。

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