第五章・その5
「「「「「「「「「「がああああ!」」」」」」」」」」
雄たけびをあげて精一郎の部下どもが立ちあがった。桜塚家の護衛が押さえつけていたのに、その腕を薙ぎ払い、見る見るうちに魔獣へと姿を変えていく。ビビって逃げだしたい気持ちを心の奥底に隠しながら、俺は目の前の精一郎の股間に蹴りを入れた。要するに金的蹴りだ。格闘技なら反則だが、これは実戦である。やって卑怯と言うことはない。
つづいて俺は魔道具の特殊警棒を抜いたが、精一郎は黙って見ていた。
「その程度では効かんぞ」
牙を剥きながら精一郎が笑いかける。この野郎、余裕のつもりか。
「ならこれはどうだ!」
俺は構えた特殊警棒を力任せに精一郎の頭へ打ち込んだ。この俺の、夜の本気だ。派手な音を立てて特殊警棒が折れて、その先端がくるくると夜空を舞う。
精一郎は笑ったままだった。
「想像どおりだな。人間あがりがこの薬を飲んだだけで、この俺に匹敵する力を手に入れた。その薬を、六大鬼族の本家筋である、この俺が服用すれば」
「このドーピング野郎!」
俺は折れた特殊警棒の先を精一郎の顔に突き入れた。伸びて折れた特殊警棒が、元に長さに戻っただけである。精一郎の表情は嘲笑のままだった。
「わからんのか? その程度では、もう俺を傷つけることなど――」
言いながら俺にむかって近づきかけ、急に精一郎――じゃなかった。いまは狼の姿をした魔獣か――が、動きをとめた。
「――なんだこれは――?」
立ちくらみと言ったらいいのか貧血と言ったらいいのか、とにかく呆然とした調子で精一郎が言う。何かが精一郎のなかで起こっているらしい。訳がわからんが、これを見過ごす手はない。俺は精一郎の喉へ――いや、貫き手は跳ね返された。眼球も無理だ。どこへ攻撃すればいい? いや、意外に髪の毛つかんで引きずり回す攻撃なら。
「おかしい。この俺の身体から魔力が抜けていく――」
やるだけやってみようと思い、精一郎の、魔獣と化しながらも、まだ残っている髪の毛をつかんだら、ボロッと抜けた。驚く俺の前で、精一郎の身体から、獣毛が見る見る抜け落ちていく。精一郎が膝をつき、自分の身体を抱きしめた。俺の横で同じ光景を見ていた沙織がひきつった声をあげる。
「どういうことなんだ? あの薬を飲めば、短時間とはいえ、さらに強い力を得られるはずなのに――」
どういうことは俺のほうだった。精一郎のような、六大鬼族には合わない薬だったってことか? 訳がわからずに俺は周囲を見た。いや、そうではない。海石榴家の人間あがりは、皆、獣の姿になりかけ、そのまま膝をついていた。吐いてる奴までいる。俺の目でもわかった。あいつらの魔力はどんどん減少して行っている。
要するに、衰弱死しているってことだった。
「おい、どういうことなんだ?」
俺は目の前で荒い息をしている誠一郎に聞いた。第二ラウンドがはじまったと思ったら、その直後に自滅とは。誠一郎が人間と同じ顔で見上げる。
「わからない。あの実験で、問題ないと思って、薬を大量に購入したのに」
「――一度に買ったんじゃなかったのか!」
俺は一瞬で悟った。誠一郎の口の中に指を突っ込む。
「さっさと吐き出せ! 最初の薬と、あとで買った薬は種類が違ったんだ! おまえたち、騙されて痛て!!」
こんな状況でも噛み付いてきやがる誠一郎だった。少しは状況を考えろ馬鹿野郎。
「とにかく、吐ける奴は全部吐きだせ! いまおまえらが飲んだのは吸血鬼にも通用する聖水的な毒のはずだ! 妖魔ゾムドって奴は、おまえらと取り引きをしようなんて思っていたんじゃない! 一服盛って殺そうと思っていただけなんだ!!」
周囲に叫びながら、俺も納得行った。その妖魔ゾムドって奴の計画がだ。まず俺を捉えて、そのことを海石榴家に持ちかけ、それで信用を得た。しかも俺が死なないことを教えつけ、その防御策として、よくわからん薬を与える。これが、実は毒。六大鬼族のうち、海石榴家は消滅だ。六大鬼族のひとつが失せれば、魔族どもの跳梁もはるかにやりやすくなる。いや、それだけではない。うまくすれば、桜塚家と俺の家も。
「ふざけるな――」
誠一郎が噛みつきを緩めた。俺が手を引っ込めたら、誠一郎が血走った目で俺を睨みつける。
「この薬なくして、どうやって貴様を殺せるというのだ――」
「俺はおまえと殺し合いをしようなんて思ってない! とりあえず休戦だ! いいか、おまえは、このままだと」
「ぬああああああ!」
俺の前で誠一郎がのけぞった。ビクビクと痙攣をはじめる。その口から、おぞましい形の――いや、見たことがある――草が伸びはじめる。
「殿下!」
呆然と見る俺の肩をつかんだ手があった。沙織の手である。それがものすごい力で俺を後方へ引き寄せた。
「何を――」
俺が言うより早く、俺の目の前に蔦が伸び上がった。――これは、ユリか? ユリのような植物が、誠一郎の身体を寝床にし、見る見るうちに伸び上がって花を開かせる。
「やはり、にんにくは効くのですね。話には聞いていましたが、まさか、ここまで死者の身体を苗床にするとは思ってもいませんでした」
俺の背後で、呆然と沙織がつぶやいた。――そういうことか。息絶えた精一郎の身体を突き破り、にんにくの葉が生き生きと伸びていく、匂いがないのが幸いだった。吸い込んだら俺も咳き込んでいただろう。それで死んだりはしないと思うが。
「これで邪魔者は片付きましたね」
パチパチパチ、という、わざとらしい拍手の音が聞こえた。なんだ、こんな状況で。俺が音の方向を見ると、白い霧――まだ、海石榴家の忘却の時刻は溶けていなかった――をかき分け、笑顔の美女が姿をあらわす。
「――ああ」
俺は納得した。
「てめえが妖魔ゾムドってことか」
「いかにも」
笑顔でうなずく。なるほど、そういうことだったのか。――俺を監視している冴子は、実はあやつられていた。この件の黒幕と思っていた精一郎は、実は、それすらもあやつられていた傀儡だった。そして、俺が、実は吸血鬼だったということも嘘だったということか。やられたぜ。俺はゾムドを見て、それを思い出したのだ。俺は監視されっぱなしだったらしい。
妖魔ゾムドは、俺の親父の手下だったのだ。
「とりあえず、いままでどおりにあいさつはしておきますよ。青田先生」
俺は顔をしかめたままゾムドに会釈をした。
ゾムドの正体は、普段から学校で俺の行動を監視している、青田先生だったのだ。
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