第五章・その4
「そもそも、貴様をとらえたものも俺の部下ではなかった。考えてもみろ。核シェルターを五分で破壊するような力の主が相手だぞ。俺の部下では手のだしようもなかった」
「ふん」
俺は少し考えた。まあ、それもそうか。そんな化物が相手だったら、俺だって逃げだしてるだろう。
「じゃ、誰が俺を捕まえたんだ? それから、誰が俺の記憶を奪って、北海道じゃなくて関東に放りだしたんだ」
「妖魔ゾムドだよ」
聞いたことのない名前がでた。仕方がないから沙織のほうをむく。沙織は沙織でキョトンとした顔をしていた。
「知ってるのか?」
「はい」
俺の質問に沙織がうなずいた。
「知っているも何も、今宵、わたくしたちが対決する、中、上位魔族の名前です」
「なんだと?」
眉をひそめる俺の視界の隅で、精一郎が笑みを浮かべた。皮肉たっぷりの顔である。
「俺たちは、そいつと取り引きをしたんだ。ゾムドは言っていたぞ。貴様がひとりで魔族退治にきているからつかまえた。殺すなり、記憶を奪うなりすれば、海石榴家にとっても得るものがあるはずだ。交換条件として、関東の一部を我々の狩場として提供してほしい」
なんだかヤバい話の気配がする。精一郎が饒舌に話しはじめた。
「時間は丑三つ時から夜明けまで。面積も大したものではなかったから俺は快諾した。それだけで、我が海石榴家と桜塚家が手を結べるのなら安いものだからな」
冥途の土産に教えてやろう的な口調の精一郎だである。半殺しにされておいて、何を余裕ぶっこいてるんだこの野郎は。
「それだけじゃない。俺たちはゾムドから、奴らの世界の秘薬をもらったんだ。本当にいざと言うとき、服用すれば、通常をはるかに超える力を発揮できるとな」
言いながら精一郎が立ちあがった。
「誰が立ちあがっていいと言った?」
俺は精一郎に足払いをかけた。ごん、と音がして、俺の足が精一郎の足とぶつかる。それだけだった。精一郎は転ばない。
「まさか、この俺が、そんな薬に頼らなければならないとは思わなかったがな。この場ではそんなことも言っていられないだろう。貴様は自分が優位に立っていると思いこみ、俺に時間を与えすぎたんだ」
精一郎が牙を剥いた。そのまま歯を食いしばるようにする。バキ! と音を立てて奥歯が砕けた。
「貴様らも飲め!!」
俺から目を背け、精一郎が背後の部下どもに叫んだ。同時に、バキバキと歯をへし折る音が響く。――こいつ、奥歯に何か仕込んでやがったのか!? それを噛み砕ける咀嚼力が戻るまで、時間稼ぎをしていたらしい。精一郎が笑顔で軽く上をむいた。
ごくん、と音を立てて、精一郎の喉が動いた。
「これで均衡は崩れた」
精一郎が笑みを浮かべながら俺をにらみかえした。その顔がすさまじい勢いで黒い毛におおわれていく。顔も変形していた。――これは狼か。蝙蝠に変身し、狼にも変身できるか。ずいぶんと器用な野郎である。まあいい。やる気なら対抗させてもらおう。俺は宣言なしで眼球突きを飛ばした。がん! という妙な音を立てて俺の指が跳ね返される。
俺は驚いた。精一郎の目玉は、俺の眼球突きを跳ね返したのである。
「ゾムドにもらった薬を、まずは実験的に、人間あがりの部下に飲ませたことがある」
余裕ぶっこいて説明する精一郎の喉に貫き手を突っこんでみた。さっきと違って通らない。電信柱を指で突いたみたいな感じである。――おそらく、海石榴家の手下どもが、かつての俺を殺そうとしたときも、こんな感じだったんだろう。
「そいつは、すさまじい硬度を発揮し、この俺の、普段の状態に拮抗するレベルの魔力を発揮してのけた。もちろん、俺の命令はきちんと聞いたがな」
俺の貫き手など、眼中にない調子で精一郎が説明をつづけた。その身体はどんどん黒い野獣へと変貌を遂げている。
「つまり、ゾムドの秘薬は肉体を強化するが、心を壊したりはしないということだ。本当にいざというときを考えて、奥歯に仕込んでおいたのは正解だった」
言いながら精一郎が身体をくの字に折った。もう、俺の前にいるのは人間の姿をした吸血鬼ではなかった。
黒い、狼の姿をした野獣。いや、魔獣と言うべきか。その魔獣が笑いながら、俺にむかって両腕をあげた。ちらりとだけ背後をむく。
「ものども、かかれえ!」
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