第四章・その2

 一時間後、冴子を女子寮まで届け、男子寮に帰った俺は私服に着替えて寮の裏口から抜けだしていた。上着の裏側には魔道具の特殊警棒。いつ使うことになるかと思いながら夜道を歩いたが、特に問題もなく、俺はダイアナの住むアパートまでたどり着いた。


「あ、光沢。こんばんは」


 さて、どうやって声をかけようかと思いながらアパートの前でウロウロしていたら、一階の扉が開いてダイアナが顔をだした。人間じゃない気配を感じとったらしい。


「よくきてくれたな」


 動きやすいジャージ姿で、ダイアナが笑いかけた。俺もあいまいに笑い返し、何気なくダイアナの手を見た。ピリピリするような魔力を感じたのである。


 ダイアナは、五〇センチほどの長さの、金属の剣を持っていた。いや、剣じゃなくて日本刀だ。宮本武蔵が二刀流で左手に持つ方のようだった。


「あ、これか? 私の趣味でな。脇差のデザインで特注したものだ」


 ダイアナが言い、刀――脇差というらしい――を、俺の目の前で抜いた。この輝きは、ただの金属光沢ではない。俺の特殊警棒と同じで、明らかに魔道具である。そういう類の処理を受けていることは明白だった。


「すごい趣味だな」


「ちなみに刃引きをしていないから、普通の人間が振りまわしても傷害事件を起こせる」


 あぶないことを言いながら、ダイアナが脇差を鞘に収めた。


「私のエレメンタルは回数制限があるからな。使えなくなっても戦える武器が必要だったのだ」


 言ってダイアナが玄関からでた。鼻歌混じりに俺から背をむけ、扉に鍵をかける。


「さ、行こうか」


「戦う気満々だな」


「貴様だってそうだろう。そのような、すさまじい力を秘めた武器を持っておいて」


 ダイアナが俺の胸元を指さした。俺が特殊警棒をしまっている位置である。俺と同じで、魔道具の気配がわかるらしい。


「では、急ぐぞ。そろそろ吸血鬼どもも目を覚ますころだ。寝起きを襲えば、リリスを奪い返して逃げだすのも難しくないだろう」


 マジで沙織たちに襲撃をかけるつもりらしい。ろくに作戦も立ててないのに。この娘、怖いって言葉を知らないのか。


「ま、いいや。とりあえず行くぞ」


 仕方がないから適当にうなずき、俺はダイアナと一緒に沙織たちの住む廃ビルまで歩くことにした。


 そのまま、二十分の徒歩で、俺たちは沙織の住む廃ビルに到達した。


「さ、ここからだな。私のエレメンタルでも、このビルを跡形もなく燃やし尽くすのは不可能だし、やっぱり、なかに忍び込んで――?」


 首をひねってつぶやくダイアナの言葉が中断された。ま、気持ちはわからんでもない。俺がスタスタ廃ビルにむかって歩きだしたのだから当然だろう。


「馬鹿、光沢。貴様、そんな無防備で」


「いいから一緒にきな。――じゃないな。そこで待ってな」


 ちょっと振りむいてダイアナに言い、俺は廃ビルの入口まで行った。軽くなかをのぞく。暗闇のなかをウロウロ歩いていた人間あがりの護衛たちと目が合った。五人。


「いらっしゃいませ、光沢様」


 その中のひとりが丁寧に頭をさげた。昨夜の沙織の命令を順守しているらしい。俺はホッとした。


「こんばんは。すまないけど、いまから客をつれてくるから、ちょっと、隠れててくれ」


「は?」


「吸血鬼嫌いの人間なんだよ、その客」


「それはそれは」


 返事と同時に、そのへんにいた吸血鬼が壁に張り付き、するするっと天井まで歩きだした。登りだした、ではなく、歩きだした、である。重力完全無視。みなぎる魔力が自然の節理を捻じ曲げているのだ。返事をした護衛の隊長らしいのも壁に張り付く。


「それで、そのお客様というのは、沙織お嬢様がご存じのお方なのでしょうか?」


「ああ。昼間、ちゃんと説明しておいたからな」


「光沢、誰と話している?」


 背後から、ダイアナの小声が聞こえてきた。振りむくと、扉の影から顔をだしている。


「貴様、そんな堂々となかへ入って。本当に大丈夫なのか?」


「安心しな。こっちへこい」


 俺は笑って手招きした。口から牙はのぞかない。目の光は紅蓮に燃えているはずだった。そのまま、自分の目を指さす。


「この目で周囲を見ているんだ。それで、俺たちに危害を与える奴は誰もいないってことはわかっている」


「――そうか。じゃあ」


 俺の言葉にダイアナがうなずき、それでも脇差を抜いてビルのなかに入ってきた。同時に、天井に控えていた吸血鬼が気配を消す。


「じゃ、行くぞ」


「おう。――それにしても、大した胆力だな。これは素晴らしい戦士と知り合いになったものだ」


 俺の背後でダイアナが感心したようにつぶやいた。果たしてそうかな。沙織とリリスの顔を見て、その場で暴れだすダイアナの怒りの形相を想像し、俺は目の前が暗くなった。


 とはいえ、ここまできて、いまさら引き返すわけにもいかない。


「それにしても、どうしてそんなに迷うことなく廊下を歩けるのだ?」


 ビルの二階に通じる階段まで歩く俺に、後ろをついて歩くダイアナが不思議そうに訊いてきた。


「実を言うと、前にきたことがあるんだ」


「ほう」


 ダイアナが驚いたような声をあげた。


「それは、ここに住んでいる吸血鬼を殺しに侵入したのか?」


「いや。ちょっと話して、それで帰った」


「――どういうことだ?」


「世のなか、話せばわかる人間もいるってことだ」


「吸血鬼は人間ではないだろう」


「それは事実だけど偏見だな。まずは話し合うのも手のひとつだ」


「このような世界に身を投じておいて、どこか甘いのだな。貴様と言う奴は」


「俺は人間らしく生きているだけだ。罪を憎んで人を憎まず。日本の教えだ。――それから、前々から気になってたんだけど、何かあるたびに貴様貴様って、俺のことをなんだと思ってるんだ?」


「貴様は、日本の敬語と教わったが? 貴族の貴に、王様の様。あなた様という意味ではなかったのか?」


 ちょっと振りむいたら、ダイアナが不思議そうに返事をした。やれやれだな。


「いつの時代の教科書を読んだんだか。――いま、貴様と言ったら喧嘩をしましょうっていう合図になる。これからは控えろ」


「わかった。あなた様の助言、ありがたく受け止めておく」


「あなた様もやめろ。おまえでいい」

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