第二章・その7

「は?」


 どこかのたちの悪い馬鹿が肝試し感覚で入ろうとしてるのか? 俺は沙織のほうをむいた。なんだか難しい顔をしている。


「こういうときって、どうしてるんだ?」


「こんなことなど、あるはずがないのです」


 沙織は真剣な目をしていた。


「リリスに命じて、このビルは、人間が注意をむけることなどないのです」


「なるほど。そりゃ変だな」


 吸血鬼の居所が、いままで公にならなかったわけだ。それはいいとして。


「何者なんだ?」


 沙織に危害を加えようとするエクソシストだったら、俺も戦わなければならなくなる。さっそく特殊警棒を実戦で使用するときがきたか。


「女です。いま、お見せします」


 入口まで行って何者か確認ついでに叩きのめそうと思っていた俺の前で、リリスが右手を振った。同時に、俺と沙織、リリスの間の空間に映像が現れる。SF映画にでてくる立体映像みたいだった。


 で、その映像を見て俺はあきれた。


「こいつ、飯島冴子って言う、俺の学校のクラスメートだ」


 なんでここにきたんだ? とりあえず、なんとかするしかない。


「この階にいるボディガードたちはおとなしくさせてくれ。できるな?」


「はい、それはもう」


 言って沙織が目をつぶった。何か小さい声でつぶやく。


「ご安心ください。これで人間あがりは、冴子さんの前に姿をあらわしません」


「ありがとうな。ちょっと行ってくるから、ここで待っててくれ」


 沙織とリリスに言い、俺は武器庫をでた。早足でビルの廊下を歩く。さっき見た人間あがりの護衛は――天井に張り付いていた。無言で俺を見つめている。大した忠義ぶりだ。


 冴子はすぐに見つかった。


「おい!」


 俺が声をかけたら、冴子がビクッとした顔で俺のほうをむいた。


「いまの声、光沢? どこにいるの?」


「おまえの目の前だ」


 俺は冴子のすぐ前まで近づいて行った。


「あービックリした」


「何を言ってるんだ。ビックリしたのはこっちだぞ。なんでここに来た?」


「――なんでって、スマホで調べたら、光沢のスマホがこのビルにいるっていうから」


「あ、なるほどな」


 俺のスマホの発信源を追ってきたのか。だったら、注意をむけさせないように魔道士が結界を貼っていても無駄だ。


「俺がここにきたのは、ちょっと用があったからだ。それより、なんで俺がここにいるからって、おまえもきたんだ?」


「――それは――」


 当然の質問だと思うんだが、なんでか冴子は赤い顔をした。


「べつにいいでしょ。光沢には関係ないじゃん」


「あ、そうだったな。俺とおまえは無関係だった。じゃ、無関係な奴は帰れ」


「何を言ってんのよ。こんな、真っ暗なビルに入りこんで。どうせ肝試しのつもりで入ってみたとか、そういうんでしょ? 懐中電灯くらい持ってないの? こんな真っ暗で」


 言われて気づいた。シャンデリアのあった二階はともかく、ここは電気がついてなかったのである。俺は暗闇のなかを普通に歩いていたらしい。


「そういうおまえは懐中電灯くらい用意してなかったのか」


「だって、こんなところに光沢がいるなんて思ってなかったし」


「あ、そうか。ま、いいや。行くぞ」


 と会話をしている俺の背後から、沙織の気配が近づいてきた。振りむかなくてもわかる。


「光沢様」


「ひ!」


 沙織の声と同時に、冴子がひきつったみたいな悲鳴をあげた。こいつは何も見えてないからな。


「いま何か聞こえた! 女の子の声みたいなのが! 怖い怖い怖いマジ怖い! 何かいる!?」


「安心しろ。何かの聞き間違いだ」


「聞き間違いじゃない! 確かに聞こえた女の子の声みたいなの!!」


「光沢様」


「ひい! ほらやっぱり」


「安心しろ、なんでもないから。――ていうか、面倒だから沙織も静かにしてろ」


 後半のセリフは小声で言ったんだが、沙織の表情は変わらなかった。


「あの、催眠術で眠らせてしまえばいいのではないでしょうか?」


 あ、そうだった。人間として生活していると、こういうことを忘れてしまって困る。


「おい冴子、こっちをむけ」


「は?」


 冴子が俺のほうをむき、あらためて表情を変えた。


「何よ光沢。その眼、なんだか真っ赤に。まるで吸血鬼みたいな――」


 言いかけ、急に冴子の顔から感情が失せた。


「いいか、さっきまでことは忘れろ」


「はい」


 ぼうっとした顔で冴子がうなずく。これでいい。


「じゃ、帰るぞ。エスコートするから黙ってビルをでろ」


「はい」


 冴子と俺のやりとりに、沙織が俺の背後で柳眉をひそめた。振りむかなくてもわかる。俺の超感覚も、かなり調子をとり戻してきたらしい。それはいいが、俺の背後で沙織が柳眉をひそめた。


「あの、光沢様?」


「レディが帰るとき、男ってのはエスコートするもんなんだ。これは人間のたしなみだと思ってくれ」


 大体、こんな催眠術で自我を失った状態で帰すわけにはいかない。間違ったことは言ってないと思うんだが、沙織は、少し悲しげな顔をした。


「あの、まさかとは思いますが、光沢様は、冴子さんを」


「とりあえず、今日はもう帰るから。また明日な。特殊警棒はありがとうよ。そのうち、何か礼をする」


 一方的に言い、俺は冴子をつれて廃ビルをでた。

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