第二章・その4
ありがたいことに事件が起こることもなく学校は終了し、俺は帰ることにした。カバンに教科書とノートを詰め込み、席から立つ。昨日と同じで冴子が俺の隣に立った。
「じゃ、頼んだわよ」
「おう」
「殿下、このお方は?」
教室をでた俺の右隣りを歩く沙織も一緒についてきた。
「夜はあぶないから、俺が女子寮まで送ってやってるんだ」
隠すようなことでもないから、俺は正直に説明した。沙織が納得したような顔をする。
「だから、昨夜もご一緒だったのですね」
「そ」
「桜塚さんも女子寮?」
俺の左隣を歩く冴子が沙織に質問した。沙織が首を左右に振る。
「わたくしは、べつに家がありますので」
「ふうん。ま、それでも夜はあぶないから、一緒に帰ってもいいかもね。本当に吸血鬼がでたらシャレにならないし」
もうふたりもでてるんだが。とりあえず俺たちは学校をでた。外は夕焼けである。――とりあえず、冴子を女子寮へ送り届けるまでは何事もなかった。
「じゃあな」
冴子に言い、俺と沙織は背をむけた。時刻は夕焼けから夕闇に変わりつつある。俺たちの本当の時間だった。
「殿下、このあとはふたりきりですね」
俺の隣で沙織がささやいた。あふれる妖気の密度が見る見る上昇していく。いや、それは俺も同じか。普通の人間なら悲鳴も上げられずに卒倒している妖気を浴びながらも、俺はなつかしい気分に浸っていた。本当に、なんで忘れていたんだろう。
だが。
「このあとは、お互い、誰に見られることなく、思う存分、お互いの血を」
「悪いけど、ふたりきりになるのは、もう少し先だな」
俺も沙織にささやいた。紅蓮に燃える目で俺を見ていた沙織の表情が変わる。
「なぜでしょうか?」
「まだ聞きたいことがあったのを忘れていたんだ。昨日はバタバタしていたし。というわけで場所を変えるぞ」
十分後、俺と沙織は、昨夜と同じファミレスに入っていた。タキシード姿の沙織を見て、怪訝な顔をする客もいたが、ちらっと沙織と目が合っただけで、すぐに関心をなくした様子で前をむいていく。これも催眠術だな。昨夜はあわてていて気付かなかったが。休戦協定以降、吸血鬼事件が起こらないはずだ。非合法に人を襲っても、目撃者の記憶を奪ってしまえば通報される危険はない。
「あんまり派手に人の記憶を操作するなよ」
夜だから魔力を発揮できるんだが、そこはあえて抑えたまま――抑えておかないと、周囲の人間が気絶してしまう――小声で沙織に忠告した。沙織が怪訝な顔をする。
「それも、人間として生きていくための信念でしょうか?」
「そんなところだ」
俺と沙織はむかいあうようにテーブル席に座った。沙織が恥ずかしそうにモジモジと下をむく。なんかデートみたいだな。
「実は昨日の件なんだが」
俺は沙織に切りだした。
「昨日、言ってたな。おまえは自分から魔族討伐に志願したとか」
「はい、そのとおりです」
「なんでだ?」
「殿下のことがあったからです」
あたりまえのように沙織が説明をはじめた。
「殿下は、魔族討伐に行って、そのまま帰っていらっしゃいませんでした。ですから、魔族討伐にでれば、殿下の情報が入ってくるはずだと考えまして。それで」
「なるほどな」
「期待通りでした。殿下は帰っていらっしゃったのです」
恥ずかしそうにしながらも、笑顔で沙織が俺を見つめてきた。俺に再会できて、よほど嬉しかったのだろう。昨日、今日の件で、沙織が何か企んでいるのではなく、本当に俺と会えて喜んでいるということは確信できた。そして、俺が人間ではないことも。
「それで、桜塚家の当主の娘でありながら、魔族と戦っていたわけか。いろいろと心配をかけてすまなかったな」
「もったいないお言葉です。ただ、わたくしは殿下とのお約束通り、殿下のことは誰にも話しておりません」
この場合の、誰にもというのは、桜塚家とつながりのある吸血鬼族のことだろう。
「ですので、ほかのものたちは、殿下がご存命だったことを知らず、いまも嘆き悲しんでおります」
「あ、そうか。それもあったな。――まあ、仕方がない。もう二、三年は心配させておくしかないな」
吸血鬼にとっては二年も三年も一瞬だ。それよりも。
「いま、魔族どもとは水面下でどうなってる?」
俺は本題に入った。休戦協定にサインしたとはいえ、連中がおとなしくするはずもないのは明白である。第一次、第二次魔界大戦で何があったのか、ちょっと資料を調べれば、誰にでもわかる話だ。ことが公になっていないだけで、俺たちの戦いは続いている。
俺の質問に、沙織も目つきが真剣になった。
「実は、わたくしたちと魔族側とで、交渉をしたことがあったのです」
ニュースで聞いた記憶はない。人間たちには黙って、秘密裏に取り引きしたのだろう。
「そのときに、むこうの代表者が言っていました。――我々は休戦協定を守っているし、下のものにも守るように命令をしている。ただ、どこの世界にも、命令を聞かない犯罪者はいるものだ。そのようなものの暴走を止めることはできない、と」
「ふざけた言い訳だな」
俺はあきれた。沙織もうなずく。
「まったくです。上が命令をすれば、下郎は絶対服従するはずなのに、何を言っていたのでしょう」
「ああ、それじゃない」
俺は苦笑した。吸血鬼にとって、血の親の言葉は絶対だからな。こういうところで会話にズレがでる。
「まあ、とりあえず、魔族側の言いたいことはわかった。で、何か言いかえしたか?」
「はい。わたくしのお父様が。そういうことだったら、その犯罪者の魔族は我々の手で粛清することになるかもしれない。もちろん、好きこのんで粗暴な措置をとりたいわけではないが、加減をしていてはこちらの身もあぶなくなる。これは正当防衛と思っていただきたい。それでよろしいかと」
「なるほど。うまいことを言ったもんだな」
俺はニヤついた。沙織の親父さん――桜塚家の当主とは面識がある。あの当主らしい言葉だ。
「つまり、いくらやっちまっても問題ないわけか」
「はい、ですので、わたくしは昨夜も魔族討伐を」
「そこに、偶然に俺とも出くわしたわけだな」
俺は考えた。俺も同じことをやりにでて、それで、気がついたら記憶を書き換えられて人間として生活していたのだ。やっぱり、やったのは魔族だと考えるべきだろうか。
「わかった。俺もおまえと一緒に魔族討伐にでる」
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