第二章・その1

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「おはよう光沢。ちょっと話があるんだけど」


 翌日、俺が学校まで行ったら、飯島冴子が一発目から声をかけてきた。俺、今朝は何もやってないんだが。


「なんだよ? 俺、眠くて、無駄な会話をしたい気分じゃないんだけどな」


 わざとらしく、ダラーっとした調子で言ってやった。べつに嘘は言ってない。昨日は徹夜だったからな。――スマホで徹底的に調べたが、俺の戸籍上の親の名前はわからなかった。わかったのは、とりあえず、学費は卒業するまで振り込まれていたということである。


 ついでに言うと、朝日がピリピリとして、チクチクとして、なんとも居づらい。昼間ってこんなんだったのか。いままで忘れていた。


「昨日のことなんだけど」


 冴子は、なんだか赤い顔で、小さい声で言ってきた。


「だから言っただろう。俺は痴漢を退治しただけだ」


「あ、それじゃなくて。――ていうか、ちょっといい?」


 いいも悪いも返事をするより早く、冴子が俺の腕をつかんだ。そのまま俺を引っ張るようにして教室の外まで歩いて行く。仕方がないから俺もついて行った。


「えーと、あのね」


 階段とは逆方向、非常階段の前まで行った冴子が周囲を見まわしてから俺を見あげた。話を聞いている人間がいないか、確認したんだと思う。


「ズバリ聞くけど、私に何をしたの?」


「は?」


「だから、昨日の帰りに。私、気がついたら女子寮の前で。なんか、あんまり記憶ないし」


 あ、それか。そういえば、こっちも記憶を奪うのを忘れていたな。吸血鬼だったことを思いだしてすぐだったとはいえ、どうも不手際が多いな。これからは気をつけないと。


「まあ、ちょっと、いろいろあってな。それでおまえが気絶したんだ。で、さらにいろいろあって、なんとか逃げだして、おまえは女子寮に置いて、俺は男子寮に戻った。それだけだ」


 昼間は俺も、なんとか普通に行動できるが、催眠術関係の能力はまったく使えなくなる。そこまでは俺も万能じゃなかった。仕方がないから誤魔化そうと思ったのだが、冴子の疑惑の瞳は変わらなかった。


「いろいろあったって、何を?」


「だから、いろいろだよ」


「まさか、私の知らない間にルーフィーとか飲ませたの?」


 知らん単語がでてきた。


「ルーフィーってなんだ?」


「強烈睡眠薬。記憶飛ぶ。レイプされてもわからない。『ハングオーバー!』っていう映画でもでてきた」


「ふうん。――は?」


 こいつ、ひょっとして俺のことを疑ってるのか?


「こいつ、ひょっとして俺のことを疑ってるのか? って目をしてるわね」


「あたり。心のなかでも同じことを思ってた」


「仕方ないでしょ、疑いたくもなるわよ。いままで、こんなことなかったし」


「世のなか、生きていれば、いろいろな体験をするもんだ」


「そうやって一般論で誤魔化そうとしてない?」


 実はしてるんだが、ここは黙秘権の行使だな。口をつぐんだ俺をにらみつけた冴子の顔は赤かった。少しして目を逸らす。


「あのさ。――まあ、ルーフィーは言い過ぎとしても。私、気絶してたんだよね?」


「気絶してるか寝てるのかは判断に苦しむけど、とりあえず意識はなかったな。俺が背負って女子寮まで運んだんだ。礼はないのか?」


「その話が本当なら、ありがとう。――ただ、あの、私、意識なかったら無防備だったんだよね?」


「おう。なんか、ダラーっとしてた。力抜けてる人間を背負うと重く感じるって柔道家から聞いてたけど、本当だったな。結構重かったぞ」


「馬鹿!」


 冴子がすごい形相で俺を見ながら右手を振ってきた。張り手だな。軽くスウェーバックしてスカを喰らわせる。内心、ニヤつきながらだ。よかった。普段の冴子に戻ってきたようである。


「なんだよ、こんなこと言われて頭にくるくらいならダイエットしな」


「私が重かったのは、気絶して脱力してたからでしょ? 言っておくけど、私の体重は47キロです!」


「ヘイヘイ」


 ということは52キロ前後だな。女子高生ってのは、5キロ前後はサバを読むものである。考える俺を冴子がにらみつける。


「何を考えてるのよ?」


「ま、いろいろとな」


「そこの女、殿下に何を話している?」


 というセリフに俺はぎょっとなった。沙織の声だったからな。振りむくと、沙織がいる。昨夜と同じ、黒いタキシードだった。


「おまえ――」


「おはようございます、殿下」


 沙織が俺を見て微笑んだ。


「それにしても、朝から行動するのは、やはり苦しいものですね。もちろん、殿下のお側にいる以上、この程度の肌の痛みはこらえて御覧に入れますが」


「なんで学校にきた?」


 泡を食って訊いたが、沙織は笑顔のままだった。


「殿下とともにいるのが、わたくしの使命であり、わたくしの幸せでもあるからです。ご安心ください。昨夜のうちにこの学校の教育者の住所は調べあげました。ちゃんと催眠術で、わたくしのことは転校生ということで処理させております」


「そりゃよかったよ」


 俺はため息をついた。まあ、これくらいはいいとするか。いまさら言ったって仕方がないし。


 俺の横に立っていた冴子が急に歩きだした。沙織の前に立つ。


「あなた誰?」


 明らかな敵意に満ちた調子だった。沙織もにらみかえす。


「名前を訊くときは、先に自分から言うものではないか?」


「あ、そうか。私は飯島冴子って言うの。光沢のクラスメート。新聞部でね。光沢のことを取材したりしてるの」


「そんな無粋なことは二度とするな下郎」


 沙織が冴子をにらみつけながら言い――悔しそうに舌打ちした。


「やはり、昼間は無理か」


 催眠術で意識を奪おうとして、できないことを再確認したらしい。こっちはこっちで理解してない冴子が妙な顔で沙織をのぞきこんだ。

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