第一章・その7
「そうだな。とりあえず、俺は生まれ変わったと思ってくれ。で、性格も変わった。だから、そういうことは二度とやるな」
「はあ」
「つか、このスマホ、どうすっかな。――まあ、明日、俺が拾ったとかなんとか言って警察に届けておくから。スマホはちゃんと金をだして買うようにな」
「わかりました」
言って会釈をしてから、沙織が葛城に目をむけた。葛城は、まだ突っ伏している。まさか、これから食事タイムなんて言いだすんじゃないだろうな。なんて不安に思っていたら、沙織が葛城に手をむけた。
「起きろ」
言葉と同時に葛城がむくっと起きあがった。とはいえ、意識があるような顔はしていない。吸血鬼の催眠術であやつられているらしい。
「殿下、このもの、どうしましょうか? やはり、殺すのは駄目でしょうか?」
「あたりまえだろう」
「では、外に追いだすだけにしておきます」
「そうしてくれ」
反射で返事をして背をむけかけてから、あらためて俺は沙織を見つめた。沙織が赤面する。
「あ、あの、なんでしょうか? 殿下」
俺が真面目な顔をしていたから勘違いをしたらしい。ま、誤解は誤解でいいとして。
「なんで葛城――そいつの名前なんだけど――を追いだすんだ?」
「わたくしたちの生活に、邪魔かと思いましたので。それとも、このものは殿下の使用人だったのでしょうか? そうは見えなかったので」
どうもピントのズレた返事がくる。
「えーとだな。わたくしたちの生活って、どういうことだ?」
「わたくしは、これから殿下と一緒に住もうと思いましたので」
「ぶっ」
「ぶとはなんでしょう?」
「なんでしょうじゃない。帰れ」
「え」
沙織が悲しげな顔をした。こんな顔をされると俺も困っちまうんだよな。
「わたくしとともに住むのはお嫌でしょうか?」
「そういう問題じゃない。――なんて言ったらいいのかな」
人間あがりとは違って、この世に生を受けた時点で吸血鬼だから、こっちの世界の常識なんか通用しないのはわかるんだが、こうも無茶苦茶だと、説明のしようがない。
「とにかく、今日は帰れ。用があったら、またきてくれれば相手をするから」
「ですから、ともに住みたいという用があるのですが」
「それは却下だから。いまは俺の言うことを聞け」
「はい」
沙織はあっさり俺の言葉を受け入れた。俺は六大鬼族の息子でしかも婚約者だからな。そういう相手に服従というのは人間も吸血鬼も同じか。共通点があって助かった。
「では、本日は、これで失礼します。ただ、最後に」
言って沙織が下を見た。つられて見ると、沙織は左手に黒い袋を持っていた。その袋に沙織が右手を入れる。
だしたのは血の詰まった袋だった。なんでか、すぐにわかった。というか、どうも見覚えがある。
「――ああ、ちょっと思いだした。休戦協定のあと、こういうのを飲んでたっけな」
「はい。赤十字からの配布品された輸血パックです。一緒に飲もうと思っていましたので」
「ありがとうな。じゃ、お土産としてもらっておくから」
「喜んでいただけてわたくしも幸せです」
俺は沙織から輸血パックを受けとった。
「それでは、また明日」
沙織が笑顔で会釈し、部屋からでていった。ま、明日は明日ってことでいいだろう。
「それにしても久しぶりだな」
俺は輸血パックを軽く振った。これは常に揺らしておかないと固まってしまう。で、牙で噛みつく――のは無理だから、勉強机にあるカッターで傷つけ、中身を吸ってみた。うまい。二年間、すっかり忘れていたけど、俺は本当に吸血鬼だったんだな、と再認識する瞬間だった。
「えーと、あれ?」
輸血パックの中身を残らず吸いとり、外側をゴミ箱に捨てたころ、葛城が変な声をあげた。
「おい光沢、あの綺麗なお姉さんはどうしたんだ?」
「は?」
と聞き返してから、俺はミスに気づいた。葛城の記憶を消していけって沙織に言うのを忘れていたのである。いまの俺の能力で、こいつの記憶を消せるかな。ま、挑戦して失敗してもデメリットはない。二年ぶりの催眠術を意識しかけた俺の前で、葛城が左右を見まわした。
「いないな。おい光沢、あのお姉さん、どこに行った」
「帰ったよ。おまえが急に倒れたから驚いてな。おまえ、貧血起こしたんだよ」
俺は葛城に大嘘を並べた。嘘を吐くなとは教わったが、嘘も方便とも教わっている。俺の説明を聞いた葛城が、少し残念そうな顔を仕掛け、急に俺をにらみつけた。
「貧血で、俺はどれくらい気絶してたんだ?」
「は? いや、時間なんか測ってなかったから」
「セックスができるくらいか?」
また馬鹿な質問をしてきた。
「何を言ってるんだおまえは?」
「だって、この匂い」
葛城が深呼吸をした。
「ほら、血の匂いだ。おまえ、まさか、あのお姉さんとセックスしたのか? それも初体験だったのか?」
無茶苦茶なことを言ってきやがった。俺が吸った血液パックの残り香から、とんでもない思い違いをしたらしい。
「あのな。おまえが気絶してる間に、その隣でセックスするわけがないだろうが。いきなり目を覚ましたら俺が恥ずかしすぎる」
「じゃ、なんなんだよ、この血の匂いは? ほら、正直に言っちまえよ。男子寮に美しいお姉さんを連れ込んできて、俺が寝てる間に何をやったんだよ?」
面倒臭い野郎だな。俺は眼力に圧をかけた。俺を見つめる葛城の表情が変わる。
「――なんだその眼? いきなり真っ赤に光って」
「今日の、あの美少女の件は忘れろ」
俺は声にも圧力をかけた。エクソシストレベルの訓練を受けた人間でないと、俺の催眠術――本当は少し違うんだが、面倒なので俺たちはこう呼んでいる――には抵抗できない。案の定、葛城が、ぼうっとした顔になった。
「はい。忘れます」
「いい返事だ」
俺は安心した。記憶は半分ほどとり戻した程度だが、とりあえず人心操作は自在にできるらしい。
「では、つづいての命令だ。宿題をやって、歯を磨いたら布団に入って寝てしまえ」
「はい。わかりました」
一礼し、葛城が自分の机で教科書とノートを開いた。あとは放っておいてもいいだろう。つか、俺も宿題を片付けないとな。俺は机にカバンを置き、中身を引っ張りだすことにした。
俺の記憶を改竄した奴を特定するのは、明日になってからだった。
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