第一章・その6

「あの、それで、殿下は、いつごろ、わたくしたちの元へ戻ってきてくださるのでしょうか?」


 沙織が不安そうに訊いてきた。俺も少し考える。


「高校を卒業するまでは、人間として、だな。それから先はわからないが」


 俺の返事に、沙織が嬉しそうにした。


「では、一年ほどですね」


「そうなるな。そうそう、俺が記憶を戻したことは誰にも言うなよ」


「は? なぜでしょうか?」


「人間として行動するときに、いろいろ問題が起こりそうな気がするからな。それと、俺にはやらなければならないことがある」


「なんでしょうか?」


「誰が俺の記憶を書き換えたのか。これを突き止めたい」


 俺の言葉に、沙織も興味深そうにうなずいた。


「それは、わたくしも突き止めたいと思います。ならば、桜塚の総力を結集して」


「だから、そういうのはしなくていい」


 沙織の一族が行動すれば、紛争レベルの騒動が起こることは確定的だ。それは避けたい。意識的に面倒を起こすのは人間のやることじゃなかった。


「とにかく、誰が、どういう目的で俺を人間として生活させていたのか、それを探る」


「わかりました」


 沙織が笑顔になった。


「では、殿下のことは何も言いません」


「そうしてくれ。さて、と」


 ドリンクバーで継いできたオレンジジュースを飲み干し、俺は立ち上がった。同時に沙織も立ち上がる。


 俺たちはふたりしてファミレスをでた。沙織が笑顔で俺の横に並ぶ。


「じゃ、またな」


「は?」


 俺が手を振って帰ろうとしたら、沙織が意外そうな顔をした。あ、そういえば、メルアドの交換もしてなかったっけ。いや、それ以前に、こういうときは、家までスコートするのが人間だったな。――沙織の住んでる場所ってどこだ?


「あのな」


「夜はこれからではありませんか」


 帰りを送ってやる――と言おうとした俺よりも先に沙織が言ってきた。


「一緒に、この夜の空気を満喫して」


「悪いけど、明日、学校があるんだ。寝不足だと授業に支障がでる」


「そのような、人間の生活など」


「だから人間として生活するって言ってるだろう」


 俺はスマホをだした。


「それで? 連絡先は?」


「あ、あの」


 俺の持っているスマホを見て、沙織がうつむいた。


「わたくしは、スマートフォンを持っておりません」


「は?」


「そのような、人間のつくった道具を使うなど、小賢しいことだと思っておりました」


「なるほどな」


 六大吸血鬼の家柄なら、そういう考え方をしてもおかしくない。少しあきれた感じで沙織を見ていたら、沙織が慌てた顔で頭をさげた・


「申し訳ありませんでした。あの、すぐに入手しますので」


「できればそうしてくれ。人間の発明も悪くないってわかるようになる」


 俺はスマホをポケットにしまった。


「じゃ、沙織を家まで送ってやるから。いまはどこに住んでるんだ?」


 忘却の時刻のなかで魔族と殺し合いをするような吸血鬼娘など、ひとりで帰してもなんの問題もないだろうが、そこは礼儀の問題だ。


 沙織が顔を赤らめた。リビングデッドも赤面するらしい。


「あちらです」


 指さす方向に俺たちは歩きだした。右へ左へとしばらく歩き、電気のついてないビルにたどり着く。俺の目には廃ビルに見えた。建物全体が巨大な棺桶とでも言えばいいのか。俺の住む寮から一キロくらいの場所である。こんなところがあるとは思わなかった。


「ここか」


「はい。もう大丈夫です」


「そうか。じゃあな」


 俺は背をむけて、今度こそひとりで歩きだした。そのまま寮まで行き――当然、もう閉まってるから、裏口から入る。寮母さんも知らない、鍵のかかっていない扉があるのだ。


「ただいま」


「よう」


 俺が部屋に入ったら、ゲームやってた葛城が顔をあげた。俺のルームメイトである。ゲームを中断し、不思議そうに俺を眺めた。


「こういうのって、はじめてなんじゃないか?」


 俺が定時に帰ってこなかったことを言ってるんだろう。


「何かやってたのか?」


「まあな」


「なんだよ。教えろよ」


「殿下になんと失礼な言葉を。どういうつもりだ貴様」


 という言葉に俺はぎょっとなった。振りむくと沙織がいる! 廃ビルまでエスコートしたはずなのに!!


「あ、あの、殿下」


 沙織が俺を見て、嬉しそうにした。右手を俺に差しだしてくる。スマホが握られていた。


「殿下、早速スマートフォンを入手してまいりましたので、メールアドレスというものを教えていただきたく」


「あのな」


「そっちのお姉さん、光沢の知り合いか?」


「おまえは寝ていろ」


 言いながら沙織が紅蓮に輝く目で葛城をにらみつけた。同時に、ばたっと葛城がたおれる。催眠術で瞬間に意識を奪ったらしい。無茶する奴だな。いや、俺も昔はそうだったか。


「それで、殿下。あの、メールアドレスを」


「それはいいけど、どうやって入ってきた?」


「何をおっしゃるのです」


 沙織は笑顔のままだった。


「わたくしたちは、将来、結ばれる仲ではありませんか。たとえ招待されずとも、殿下のいらっしゃる部屋にでしたら、わたくしは自在に」


「そっちの話じゃない。どこからどうやって入ってきたのかって訊いてるんだ」


「あ、それは、正面からです」


 なんでもない顔で沙織が説明をはじめた。


「もちろん、鍵はかかっておりましたが、何度もノックをしたら、管理人らしい人間の女がでてきましたので、催眠術で言いなりにさせて。それで殿下の住んでいらっしゃるお部屋も聞きだして」


「無茶なことする奴だな。まあいい。次からは、もう少し、問題を起こさないように行動しろよ」


「それはかまいませんが、なぜでしょうか?」


「人間の世界に迷惑をかけるような奴は友達に欲しくないんでな。何度も言っただろう。俺は人間として生きてるんだ」


 言いながら、俺は沙織からスマホを受けとった。


「へえ。この短時間に、ずいぶんといろいろアプリを入れたんだな」


「前の持ち主が入れたものです」


 ひっかかる返事がきた。


「前の持ち主ってなんだ? これ、金をだして買ってきたんじゃないのか?」


「買ったのではありません。ここにくる途中、出会った人間から奪いとりました」


「馬鹿! 返してこい!!」


「は? なぜでしょうか?」


「人間の世界じゃ、そういうことはやっちゃいけないんだよ!」


「――そうなのですか」


 沙織が、少し、しゅんとした顔をした。


「なんだか、不思議な気分です」


「俺も不思議な気分だよ。なんでこんなことわからないんだか」


「あ、あの、そういうことではなくて」


 沙織が、困ったように俺を見つめた。


「休戦協定など糞食らえと唾を吐き、非合法に人間を襲いまくっていた殿下から、そのような言葉を聞くとは思っていなかったもので」


「は? 俺、そんなことをやってたのか?」


「はい。それはもう」


 あたりまえの話をするみたいな顔で沙織が返事をする。俺は相当ひどい奴だったらしい。過去の記憶は永久に思いださない方がよさそうだ。

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