第六章 悪意ある遺物・その3

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 学校の入口まで行くと“忘却の時刻”が校庭を覆っていた。左手に剣を持ち、右手を校門にかける。


 ひょいとジャンプして校門を飛び越え、あらためて俺は歩きだした。白い霧の前に、黒い服を着た男がいる。


 ドゾだった。


「待っていたぞ」


「待ってくれなんて俺は頼んでなかったんだけどな」


 俺は周囲を見まわした。


「トリナはどうした?」


「あのドラゴン女の息吹で丸焼けになって魔界に帰った。復活するのに、もう少しかかる」


「セイラは?」


 ドゾの背後の“忘却の時刻”にいるんだろうが、念のために確認したら、ドゾの目つきが変わった。


「セイラ姫様と呼べ」


「そりゃ悪かったな。セイラ姫様は?」


「後ろの、“忘却の時刻”のなかで魔方陣を書いておられる。あのミレイユという魔王族の血肉を得る儀式の最中だ」


「ミレイユ姫様と呼べ」


「ふん」


「ふんじゃねーだろが。それからファリーナは?」


「セイラ姫様に訊け」


「じゃ、そうさせてもらうわ」


「その前に」


 言いかけ、ドゾの口元が笑みの形に吊りあがった。俺が剣を抜いたのを見たのである。


「わかっていたみたいだな」


「いや、あんまり。はじめる前に質問していいか?」


「言ってみろ」


「なんで一対一なんだ? トリナは魔界に行ったとしても、セイラ――姫様だったな。そんな目でにらむな。その姫様と、ふたりがかりで俺とやりあえば、ずっと有利に話が進むだろうに」


 不思議に思っての質問だったが、ドゾの目が射抜くように俺を見据えた。


「おまえと、一対一で決着をつけたいと、おれがセイラ姫様に願いでたのだ」


「へえ」


「おまえはおれの指弾を跳ね返した。ただのソードファイターに不覚をとったままでは、セイラ姫様に仕える忠臣として、おれはそばに立つこともできん」


「ずいぶんと堅苦しい奴だな」


「これでも昔から魔王族にお仕えしてきた家柄でな。このままでは先祖に顔向けできんのだ」


「ふうん。中級魔族ってのは、名誉を重んじて、先人に敬意を払う考えが根幹にあるらしいな。つか、そうじゃなかったら、セイラ姫に忠誠を誓ったりはしないか」


 ま、人間も昔はそうだったんだが。悪意ある遺物をつくる魔王族とはえらい違いである。俺は剣を構えた。念を剣に込める。ただ頑丈なだけの俺の剣が、魔族をも斬り殺せる特性を帯びていった。


「何か、はじめる前のきっかけは必要か?」


「おれはいつでもかまわん」


「じゃ、行くぞ」


 俺はドゾにむかって駆けた。間合いに入った瞬間、剣を振り降ろす。同時にドゾの姿が消えた! 例の瞬間移動だ。セイラのような縮地法ではない、本物の異能力である。勘に任せて、俺は振り降ろした剣を背後にむけた。金属と金属を打ち合わせる甲高い音が空気を走り抜ける。指弾を跳ね返し、俺は振り返った。ドゾが遠くに立っている。


 相変わらず、指弾代わりの五百円玉を手にしたまま、ドゾが眉をひそめていた。


「前のときもそうだったな。背後から指弾を撃ったのに、なぜ跳ね返せる? 人間なら、目が見えなければ反応できんはずだが」


「『レギオン』日本支部の念気功。セイラ姫には説明したんだがな」


「なるほどな」


 ドゾが納得したような顔をした。


「おれも、少し調べた。前に見た技は、示現流の蜻蛉と言うそうだな。セイラ姫様には、柳生の兜割りを披露したとか。様々な技を使うようだが、それはすべて、その念の制御が関わっているわけか」


「それほどおかしくもないだろう。いまは空手家がヨガの呼吸法をとりいれてる時代だ。応用が効くなら、誰が何をやったって俺は反対しねえよ」


 言いながら、あらためて俺は剣を振った。金属を打ち合わせる音が――しない! 完全にスカを食ったと思った瞬間、熱い衝撃が腹部を撃つ。そのまま背後に突きぬけた。


 俺は、指弾を跳ね返し損ねたのだ。


「な――」


 なんでだ? という俺の言葉はでなかった。口から鮮血があふれる。俺は、確かにドゾの指弾が見えていた。その軌道に合わせて剣を振ったはずなのに。


 ただ、剣にあたる寸前、突如として指弾の突き進む角度が変わったのだ。


「変化球ははじめての経験だったか?」


 ドゾの言葉を無視し、俺は念気功のむきを変えた。剣に宿らせるのではなく、自分の身体の調整に使う。――よし、なんとか血はとまった。動けるか?


「俺の指弾が直進しかしないと思っていたのは間違いだったな」


 ドゾの言葉が聞こえた瞬間、新しい衝撃が俺の胸を貫いた。衝撃に耐えきれず、膝をつく。剣を杖代わりに身体を支えながら顔をあげると。ドゾが無表情に近づいてきた。


「ふむ、声もでないか。すさまじい使い手だとは思っていたが、所詮は人間だな」


 ドゾの両手があがった。見る見るうちにドゾの魔力が跳ねあがっていく。くそ、いまの状態であんなもんを食らったら、体内の念気功とぶつかり合って爆発しちまうぞ。


「このまま放っておいても死ぬだろうが、やはり介錯が必要だろう」


 俺が声もだせない状態だと思って、好き勝手言いやがって。仕方がない。かなりヤバいが、俺は体内の封印を意識した。


 少しだけ、その封印を緩めた。


「さらばだ」


 ドゾが言うと同時に魔力の込められた指弾が飛び、直後にその指弾が跳ね返された。飛び起きた俺が剣を振り、ドゾの指弾を叩き切ったのである。ドゾの表情が変わる。


「なぜ動ける!?」


 返事をするより早く、俺はドゾへ間を詰めた。力任せに剣を振る。


 ドゾの身体が両断された。もっとも、込めた念の量は最低レベルである。それどころじゃなかったからな。驚愕の表情のまま、ドゾの身体が白い煙と化していった。


「おれの操魔弾を受けて、なぜ人間が――」


「俺を本当に殺したかったら、心臓をえぐりだすか、首を切り落とすべきだったな」


 口元の血をぬぐいながら、俺は白煙と化したドゾに言った。魔界に戻ったドゾの耳に届いただろうか。


「それにしてもあぶなかったな」


 俺は体内の封印を意識した。――大丈夫だ。額をなでても、とくにおかしな兆候はない。


 そのまま五分ほど、俺は立ち尽くした。よし、念気功が効いてきたおかげで、傷もふさがったな。かなり体力を消耗したし、血液を失ってだるいが、なんとか動ける。あと一ラウンドは行けるか? いや、行けなくてもやるしかない。


「残るはセイラだな」


 剣を鞘に収め、呼吸を整え、念気功を練りながら、俺は“忘却の時刻”に侵入した。

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