第三章 騎士・その6

「そうか。人間界の竜人族が持つ繁殖本能ね。できるだけ力のある人間と交わって、より強い子孫を残そうという本能が、理性的な恋愛思考にも強い影響を及ぼすとは聞いていたけれど。こんなところで見られるとは思っていなかったわ」


 トリナの言葉に、一瞬だけ、宮古が赤い顔をした。


「それは、確かに、竜人族はそういう本能だって言われてるけど! でも、それだけじゃないから! あたしはプラトニックでも、霧島くんと一緒にご飯を食べたいとか、霧島くんと一緒にデートをしたいとか、霧島くんと一緒に映画を見たいとか、霧島くんと一緒にプールに行きたいとか、霧島くんと一緒にお風呂に入りたいって思っちゃうくらい、霧島くんがラブラブ大好きです!」


「一緒に風呂入ってどこがプラトニックだ。つか、おまえがしゃべると訳がわからなくなるから少し黙ってろ」


 殺し合いやってたはずなのに殺す気が失せてくる。いや、ここでやらないと、あとあと面倒くさくなりそうだし。あらためて、俺は剣を握る手に念を込めた。トリナが悔しそうに後ずさる。


 ま、いいや。とりあえず斬っちまおう。俺はトリナへ駆け寄った。剣を振りあげ――ほぼ同時に俺は膝をついた。


「な、なんだこれ!? 息ができねえ!!」


 という言葉もでなかった。口をパクパクやるが、何も吸いこめない。どうなってやがるんだ!?


「なるべく、屋上からの転落死で楽に片づけたかったのだけれど、これでは仕方がないわね」


 トリナの声だけは普通に聞こえた。俺の呼吸器の周囲だけ真空にして、窒息させようっていう気らしい。ちらっと見ると、俺の背後で宮古も喉を押さえて膝をついていた。まずい。せめて宮古だけでも助けないと。


 俺は立ちあがろうとしたが、身体が異常に重かった。これはチアノーゼか? それでも剣を構えようとした俺の前からトリナが飛び離れる。


「あと十分もすれば、完全に脳死を起こすわ。それまで苦しんでもらうわよ」


 トリナの笑顔は相変わらずだった。まずいな。普通の人間なら、確かに十分で脳死する。宮古はどうだかわからんが。


 そして、どうだかわからないのは俺も同じだった。十分経って、こいつが油断してから不意打ちで――いや、リスクが高すぎる。やっぱり、いま、なんとかするしかない。


 俺は剣を手放した。トリナが眉を寄せる。


「意外に早かったわね。もう剣も持っていられなくなったなんて。いくら力をつけても、所詮は人間――」


 調子よく言いかけ、トリナが表情を変えた。


「あなた、本当にソードファイターなの?」


 トリナの疑問に俺は答えなかった。答えたくたって、呼吸できないんだから答えられないし。そのまま、俺はトリナに近づいた。


「違うわ。あなた、ただのソードファイターじゃないわね」


 トリナの動揺の理由はわかる。かまわず俺は近づこうとし、妙な気配に気づいた。


“忘却の時刻”に入りこんだ奴がいる。それも、すぐ近くに。


「この力と圧迫感。これは、パラレル・ワールド・ウォーで見たことがあるわ」


 俺の動きに驚いてるせいか、トリナが背後から近づく侵入者に気づいた様子はなかった。


 侵入者が、腕を振りあげた。同時にトリナが目を見開く。


「あなた、まさか、勇者――」


 トリナが言いかけた瞬間、背後の侵入者が腕を振り降ろした。同時にトリナの身体が袈裟切りに分断される。


「な!?」


 半分に切られた状態で、それでも死なないトリナが愕然と背後を見た。同時に、ひゅうと空気が肺に入ってくる。トリナの集中が解けたらしい。助かった。膝をついて限界まで息を吸いこむ。ついでに、トリナに一撃を与えた、侵入者にも目をむけてみた。


 知らない顔である。赤みがかったセミロングの髪の、同じく、赤い瞳が印象的な美少女だった。


「あなたは――」


「派手な“忘却の時刻”をつくってくれたおかげで、居場所を特定できたわ」


 言い、知らない美少女が構えた。


「おのれ――」


 鬼女の形相で、トリナが鮮血にぬれた手を美少女にむけた瞬間、美少女の姿が消えた。


 ほぼ同時に、トリナの首が音もなく跳ね飛ぶ。その前に美少女が立っていた。あれは縮地法か? リアルで見るのははじめてだな。美少女は水平に腕を伸ばしている。その手に小剣が握られていた。直後、見る見るうちにトリナの姿が白煙と化していく。もうこっちの世界で実体を保っていられなくなったらしい。


「滅ぼしたのか?」


 俺は美少女に訊いた。いやーそれにしても空気がうまい。深呼吸をしながら背後を見ると、後ろで宮古もケホケホ言いながら立ちあがっていた。


 美少女がちらっとこっちをむいた。


「あいにくと滅ぼしてはいないわ。この剣は聖遺物ではないから。それでも、当分は復活できないでしょうけど」


「そうか。それにしても助かった」


「霧島くん、助けてくれてありがとう。あたし、うれしかった」


 言いながら宮古が後ろから抱きついてきた。振り払うわけにもいかないから、とりあえず無視して美少女のほうをむく。


「俺は『レギオン』日本支部のソードファイターだ。名前は霧島光一」


「私はセイラ・ドーソン。アメリカ本部よ」


「どうもはじめまして」


 東京に乗りこんだ過激派の魔族を追うソードファイターだな。それはいいけど、今日は疲れた。


「話したいこともあるけど、それは明日にしておこうか。じゃ、また。宮古、行くぞ」


「待ちなさい」


 妖魔退治も終わったし、もう問題ないだろうと思って背をむけた俺にセイラが声をかけてきた。


「なんだ?」


「廊下の掃除」


「は?」


「はじゃないわよ。そりゃ、事情はわかるけど、下駄箱からここまで、廊下、泥だらけなんだから。疑われたくなかったら、なんとかして行きなさい」


「そんなわけないだろが。俺は“忘却の時刻”の校舎のなかを歩いてきたんだぞ」


「広範囲に“忘却の時刻”をつくったから、その分、薄かったんでしょうね。とにかく、足跡がついてるわよ。見てきなさい」


 言われて、とりあえず校舎の四階に通じる階段をのぞいてみた。確かに足跡がついてる。冷静に考えたら宮古も土足だった。


「帰るなら、ふたりとも、下駄箱と廊下と階段を綺麗に掃除してからでしょう?」


「「はい」」


 仕方なしって感じで俺と宮古は返事をした。

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