第三章 騎士・その5

「おまえらの仲間に真っ赤なヘルハウンドはいるか?」


 俺の質問にも、トリナの笑みが変わる兆候はなかった。


「ノーコメント」


「なるほどな。いないと言わない以上、いるって判断させてもらうぞ」


 やっぱり、あれもそうだったのか。考える俺を見ながら、トリナが不思議そうに俺を見つめた。


「それが何か?」


「そいつから、俺の話は聞いたか?」


「人間の話なんて、わざわざ聞くこともないでしょう?」


「律儀に答えてくれてありがとうよ」


 ということは、こいつは俺の剣技を知らないわけだな。あらためて俺は剣を構えた。示現流の蜻蛉っていう構えなんだが、正式に習ったわけではない。俺の剣術は、あちこちの技をとりいれたごちゃ混ぜ流だった。柳剛流の脛斬りも弧刀影裡流の不意打ち抜刀もやる。間を詰める俺を見て、トリナの笑顔が嘲笑に変わった。


「死ぬことがわかっていて、それでもやるとはね。日本の、神風魂と言ったかしら?」


「とんでもない。俺は勝つ気でやってるんだ」


 言いざま俺は駆けた。トリナが再び手を打ち合わせる瞬間、俺も満身の力を腕に込める。


「せいやあ!」


 という気合いは空気の大振動にかき消された。トリナの両手から生みだされたフォノンメーザー砲が、俺の剣とぶつかり合う。音波同士はすり抜け合うと言うが、爆風がついてくるとなると話はべつだ。目いっぱい踏ん張ったが、俺の身体は五メートルも後方に吹き飛ばされた。さっきと違って、両足で立っていられただけでも僥倖としておこう。


 ヘルハウンド相手のときと同様、俺は剣から衝撃波を生みだしたのた。


「なぜ?」


 少しして、ひっくり返ったトリナが、身体を起こしながら茫然とつぶやいた。さっきと場所が違う。完全に油断していたのか、一〇メートルも跳ね飛ばされたのである。ただのソードファイターが、自分と同じく衝撃波を生みだせるとは思っていなかったらしい。


「なんの魔力も持たないはずのソードファイターが、なぜ、私と同じ衝撃波を生みだせるの?」


 やっぱり言ってきた。トリナが立ちあがる。二発目の衝撃波はこない。俺の能力をつかみかねて混乱しているように見えた。


「同じじゃねえよ。俺のは力任せだ。剣の先端が音速を超えれば、いやでもソニックブームは起こる」


 トリナが目を見開いた。


「まさか、その剣、勇者の使っていた、聖遺物――」


「はずれ」


 俺は剣を振りあげた。いまは目一杯の念を込めている。精神思念体にも効果を及ぼせるから、喰らったらこいつは滅びるはずだ。人質をとるような輩には俺も手加減しないことにしていた。女だから気がひけるが、鬼になるときは鬼になるしかない。


「あばよ」


 トリナにむかって剣を振り降ろそうとした瞬間、俺は吸いこんだ空気に妙な匂いを感じた。その直後、俺の意思とは無関係に肺が咳きこむ。俺は身体をくの字に折った。


「どきなさい!」


 トリナの言葉と同時に俺は突き飛ばされた。これは衝撃波じゃなくて、ただの風だな。ただし、竜巻とか台風レベルの。瞬間的な暴風でバランスを崩した俺の横をすり抜け、まさしく風のような動きでトリナが疾走した。俺の咳はとまらない。吸いこんだ空気に、何かガスでも混ぜられたか? そういえば、宮古もそれで眠らせたと言っていたが。


 左手で口を押さえながら俺が振りむくと、気絶した宮古の前にトリナが立っていた。


「それ以上動いたら、わかってるわね?」


 想像どおりの台詞をのたまってくる。ゲホゲホ言いながら、かまわず俺は剣をむけた。トリナの表情が変わる。


「私が、口先だけで、この娘を傷つけられないと思っているの?」


「思ってるよ」


「人間とは愚かね」


 トリナが腕を上空に掲げた。同時に景色がゆがむ。空気を固めて、何か製造しているらしい。密度の違いが光の屈折率まで変えるのか、まるでガラスのように形が見えていく。――わかった。これは巨大な鎌だな。そういえば、かまいたちって言葉があったっけ、などと関係ないことを俺はちらっと考えた。


「この娘が死ぬのはあなたのせいよ。後悔なさい」


 勝手なことを言って、トリナが空気の鎌を振り降ろした。目に見えぬ刃が宮古の首に打ちつけられ、赤黒い鮮血をまき散らしながら宮古の首が上空に舞う。


 普通なら、そうなったことだろう。


 それこそ、ガラスを割るような派手な音が響いて、トリナの鎌が破壊された。破片の空気が四方に飛び散り、そのまま普通の気体に戻って空間に溶けこんでいく。


「――なんですって?」


「何よ、いきなり。痛いわね」


 ぶっ叩かれたショックで目が覚めたのか、宮古がむくっと起きあがった。訳がわかってない顔で左右を見まわす。


「あ、霧島くん」


 俺を見て、宮古がにこっと笑いかけた。遠目からでもわかるが、頬や額が真珠色に輝いている。俺は苦笑しながら自分の頬を指さした。


「鱗が見えてるぞ」


「え? あ、いけないいけない」


 寝てると、やっぱり擬態が解けるらしい。あわてた調子で宮古が自分の顔をなでた。トリナがすさまじい形相で飛びさがる。


「あなた、まさか竜族だったの?」


 トリナの声に気づいた宮古が顔をあげた。


「あの、こんばんは。はじめまして。えっと、あたし、純粋な竜族じゃなくて、竜人族なんですけど。竜族と人間の混血の」


「馬鹿、宮古、こっちにこい。そいつは魔族で、まだ殺し合いをやってる最中だ」


「え、そうだったの?」


 驚いた顔で宮古が立ちあがった。あわてた調子でトリナにむかって口を開きながら胸を膨らませる。瞬間に吹きだされた紅蓮の劫火――ドラゴンブレス――に、トリナが悲鳴をあげながら飛び退った。それでも少しは炎を浴びたようだが、所詮は人間界の物理的な炎である。鋼鉄をも融解させる一六〇〇度の高温でも、魔族の息の根を止めるには至らない。ま、動きを鈍らせるには十分だろうが。


「おのれ――」


 顔の半分を消し炭にされたトリナから目を逸らし、宮古が黒煙を吐きながら俺にむかって駆けてきた。


「霧島くん、怖かった! 助けてー!!」


「いままで寝てたのに何を言ってるんだ。ほら、決着をつけるから離れてろ」


「あ、うん」


 おとなしく離れた宮古に怪我がないことを軽く見て確認してから、俺はトリナに剣をむけた。トリナは驚愕の表情でこっちを見ている。


「なぜ、ただのソードファイターと竜人族が手を組んで行動している?」


「ただのソードファイターじゃないわ! 霧島くんは、あたしの結婚相手だもの! あたしは、大人になったら霧島くんと一緒に住んで、霧島くんの赤ちゃんを百人生むんだから!」


「何を言って――」


 宮古の返事にトリナがあきれたみたいな顔で言いかけ、何事か気づいたような表情になった。

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