第三章 騎士・その4

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『何者だてめえは?』


 俺はメールを打ちながら右手を確認した。ヒジリの指輪が光っている。


「いつでも行けるよ」


 頼もしい返事もきた。よし、このまま行けるな。


『名乗る必要などないわね』


 学校まで走る途中に返事がきた。こっちも打ち直す。


『ドゾは名乗ったぞ』


 あらためて走ると、少しして返事がきた。


『そう。ドゾは律儀だからね』


 それだけである。仕方がないから、さらにこっちから打った。


『名前はどうした?』


 少しして、また返事がくる。


『人間の世界では、まず、自分から名前を言うものではなくて?』


 面倒くさい野郎だな。つか、しゃべり口調からすると、野郎じゃなくて女か。まあいい。


『霧島光一。「レギオン」のソードファイターだよ』


 打ちこんでから、あらためて俺は駆けた。また返事がくる。だが、俺はスマホを見なかった。


「もうついたぞ!」


 俺は学校の前で怒鳴りつけた。校門から校舎から校庭から、とにかく全体を覆う白色の霧。ずいぶんと派手な“忘却の時刻”だな。校舎のなかや校庭に残っている文化系や体育会系の部活の連中はどうなってるんだろう。少し考えたが、いま、それを心配している暇はなかった。


「ヒジリ、頼むぞ」


「了解」


 俺が右手の指輪にささやくと同時に剣の感触が宿った。そのままズカズカ進んで校門を踏み越える。


 次の瞬間、俺は白い霧の内部に立っていた。周囲は――近づくと、校舎が見えたりするんだが、地面はコンクリでもアスファルトでもなくて、土だ。やはり、俺の知っている世界の学校とは、似て非なるものだな。


「そのまま、校舎の屋上まできてもらいましょうか」


 という声がすぐそばで聞こえた! 泡を食って剣を抜きながら背後に振る。もっとも、俺のフルスイングは思いっきりの空振りだった。冷静になったら、妖魔の気配も感じない。


 声は女のものだった。


「あら、驚かしたようね。ごめんなさい」


 クスクス笑う声が、今度は頭上から聞こえた。こいつ、音声の発生場所を自在に変えられるのか。えらく広範囲の“忘却の時刻“だと思ったんだが、これが理由だな。あっちこっちにスピーカーが置いてあるのと同じだ。


 こりゃ、相当やばいぞ。音声で撹乱されたときの対応方法は『レギオン』の戦闘マニュアルにもない。


「ま、いつもの勘で行くか」


 つぶやき、俺はとにかく歩きだした。乳白色の霧のなかを泳ぐみたいにして突き進み、下駄箱へたどり着く。


 少し考えたが、俺は土足であがった。内履きは踏ん張りが効かない。どうせここは本物の校舎じゃないのだ。


「質問に答えろ。なんで宮古を人質にとった?」


 どうせ聞こえてるんだろう。俺は、ここにはいない敵に詰問した。相変わらず、女の声が笑いながら響いてくる。


「人間の言葉で、こういうものがあったわね。獅子は兎を狩るにも全力を尽くす」


「ンだとこらァ?」


「だから、私も見習ったのよ。使える手は使っておかないとね。万が一、私が不覚をとる可能性も、ゼロとは言えないし。これは保険のようなものよ」


「なるほどな。恐れ入ったよ。それで、どうやって宮古を拉致った?」


「空気にガスを混ぜたら、簡単に倒れたわ」


「なるほどな」


「安心なさい。まだ、後遺症の残るような傷はつけていないから」


「そんなことは俺だって心配してねえよ」


 俺は階段を駆け登って四階まで行った。この扉の先が屋上だが、普段は鍵がかかっている。俺は扉を押してみた。軽く開く。


「ありがとよ。おかげで鍵をぶっ壊さなくて済んだ」


 言ってから、宮古を拉致った敵に礼を言うのもおかしいな、と思ったが、まあいい。俺は屋上へでた。


「へえ、こうなっていたのか」


 俺もはじめて見る屋上だ。その屋上の中央に、赤いマントを羽織った、おとぎ話にでてくる魔法使いみたいな感じの美女が立っていた。――なるほど。こいつは魔族で間違いない。その足元に、ブレザー服の女子が倒れている。


 宮古だった。


「よくきてくれたわね」


 くる途中で聞こえた、あの女の声が響いてきた。この声の主が、前方の魔族ってことで決定だろう。女とはやりたくなかったんだがな。


 女が、持っていたスマホを宮古の前に置いた。


「あらためて、自己紹介をしましょうか? 私の名前はトリナよ」


「スマホでも名乗った。霧島光一だよ」


「ほかに言うことは?」


「そうだな」


 俺は少し考えた。とりあえず、左手に持っていた鞘を足元に置く。


「小次郎破れたりって言葉を知ってる?」


 トリナの挑発を無視し、俺は剣を構えた。


「ちょっと質問だ。もう殺し合っていいのか?」


「ええ。はじまってるわよ」


「そうか。じゃ、行くぞ」


 返事と同時に俺は駆けた。トリナの間合いに入るよりも早く、トリナが両手を目の前につきだす。その手を軽く打ち合わせた。――少なくとも、俺にはそう見えた。


 次の瞬間、俺はすさまじい衝撃を全身に受けて跳ね飛ばされた。五、六回、屋上を転げ、泡を食って起きあがる。右手を伸ばすと、転がった剣が吸い寄せられるように戻ってきた。トリナにむかって構えなおす。


「大したものね」


 俺とトリナの距離は五メートルも離れていたが、声ははっきりと聞こえた。


「普通の人間なら、いまの衝撃で脳も内臓も全身の骨も粉砕されているはずなのに」


「あいにくと、鍛え方が違うもんでね」


 普通に返事ができただろうか? 口のなかで血の味がする。いまのは効いたな。なるほど、こいつは空気をあやつれるのか。手のひらを打ち合わせた音をフォノンメーザー砲に転化させるとか、そういうことをやったんだろう。変なところから声が聞こえたのも、音の発生源を自在に操作できるからだ。


「でも、所詮は人間でしょう?」


 トリナの笑顔は変わらなかった。ネズミをなぶり殺しにする猫そっくりである。


「この衝撃波で、ここから落下したら、どうなるかしらね?」


「そういうことか」


 俺は、トリナが俺をここにおびき寄せた理由に気づいた。衝撃波で吹っ飛んで屋上から落下すれば、俺は墜落死で終わる。そのほうが確実だろうし、省エネで始末できるからな。人質もとったし、こいつ、楽に勝てるならなんでもやるタイプか。女はおっかねえ。


 だが、知らないこともあるようだった。

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