第一章 魔王族の末裔・その1
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それから二年後。
「今日もいい仕事だったねー霧島?」
「まーな。割と簡単に片付いたし」
夕方の商店街をぶらぶら歩きながら、俺は小声でヒジリに返事をした。スマホをいじって、依頼をきちんとこなしたと報告する。入れ替わりに口座振り込みの報告がきていた。
俺の隣を、買い物帰りの主婦が歩いて行く。世界は平和そのものだった。
「ただ、明日からは、仕事量は半分以下に減らすからな」
「え、なんで?」
「二学期に入るからだ」
本日は八月三十一日である。早めに宿題は終わらせて、あとはこなせるレベルの細かい妖魔退治を何度も片付けていたんだが、明日からは、また普通の生活に逆戻りだった。土曜、日曜に、小さい仕事を請け負うだけの極貧生活になるだろう。週に一度のご馳走は駅そばのチャーシューメンか大盛り焼肉定食である。
「あーそっかー。人間は大変だね」
脳天気にヒジリが返事をした。第四世代の自立型AIジュエルは気楽なもんだよ。
「ま、仕方ないさ。死ぬまでソードファイターなんて体力仕事をやっていけるわけでもないからな」
「引退したら、ほかの若いソードファイターのインストラクターにでもなるの?」
「そこまで先のことは考えてねえよ。ま、心も鍛えて身体も鍛えて、稼げるうちに稼いでおかないとな。借金も返済しないといけないし」
俺はスマホをしまいながら右手を見た。中指にはめている指輪のジュエルが光っている。
これがヒジリだった。
「そういえば、新学期になったら、また宮古が話しかけてくるよ?」
ヒジリが小声で話しかけてきた。話は終わったと思っていたのに。普通に会話してるとひとりでブツブツ言ってるみたいで格好悪いし、デザインの注文、スマホとかインカムにしておけばよかったか。
「どうするんだよ霧島? また宮古に話しかけられても無視するの?」
「俺は無視なんてしてねーよ」
「でも、まるで眼中にないって顔してるじゃん」
「あたりまえだろ。恋愛なんて冗談じゃねーし」
「なんで?」
「一過性の熱病みたいなもんだろ恋愛なんて」
「その熱病がなかったら子供もできないんだよ?」
「セックスと子づくりのために恋愛するのかおまえは」
「だって僕、AIジュエルだから。恋愛なんて、横から見て楽しむだけだし」
「野次馬は気楽なもんだな」
「そういう性格にプログラミングされてるからね」
「はいはいまいったよ」
俺は右手をポケットに突っこんだ。ま、実際問題、明日から宮古が話しかけてくるんだけど、どうするかな。ほとんどサイコ的に俺が好きだって態度だし。一学期と夏休み中はなんとか逃げてきたけど、二学期もその手で行くしかないか。
さ、今日はこのまま帰ろうかな、それとも、外で牛丼でも食おうかな、とかなんとか考えていたときだった。
「――?」
この気配は。俺は立ち止まった。右手をポケットからだす。ヒジリも気づいたらしい。
「この辺って、妖魔退治の追加依頼があったっけか?」
「少なくとも僕は聞いてないよ。驚いたな」
ヒジリの返事を聞きながら俺は駆けた。魔族の気配を感じる。そして、空から降りてきた白い霧。――これは“忘却の時刻”だな。『レギオン』と、魔王族の間に交わされた休戦協定すら知らない、言葉も通じない妖魔共が、こういう異空間をつくり、誰にも見つからないように獲物を捕食する。これが見えるのは俺たちだけだ。目の前に、外界と遮断された世界が広がりはじめる。
「ヒジリ」
俺はヒジリに声をかけた。
「安心してよ。もう剣は起動させてるから」
ヒジリの返事を聞き、俺は“忘却の時刻”を踏み越えた。目の前に、血みたいに赤い、巨大な犬がいる。いや、これはヘルハウンドか? 本能に任せて行動する妖魔ではなく、一応は理性のある魔族である。とは言うものの、人間型ですらない、最下級の野獣型魔族なんて、俺もはじめて見るからよくわからない。
「普通は黒いって聞いてたんだがな」
黒妖犬とまで呼ばれたりもするのに、珍しいのと遭っちまったな。何かとの雑種か、そうじゃなかったら突然変異なんだろう。記憶をたどってみる。――確か、こういう下級魔族は装甲車とほぼ同レベルの機動性、攻撃力だったか。
だったら、あしらうのも難しくないと俺は思った。去年、陸自との合同演習で八九式戦車を何回か破壊したことがある。
「それにしてもでけーな」
ヘルハウンドがこっちをむいた。ヘルハウンドのむこうに人影がある。銀髪で純白な肌の美少女だった。年齢は、俺と大して変わらないように見える。銀髪は天然ものなのか。少なくとも、日本人ではなかった。ヘルハウンドが魔界からやってきたとき、たまたま居合わせた被害者だと考えていい。
「日本語がわかるか? ま、いいや。もう安心していいぞ」
「GRRR」
ヘルハウンドがうなり声をあげた。俺が怯えてないから何者なのか警戒しているのか? いや、俺の実力に気づいたんだろう。実は大したことないって。
「召喚するよ」
ヒジリの言葉と同時に、右手に硬質な感触が宿った。見るまでもない。俺の剣である。――この瞬間、俺の身体は、死んだひい爺さんに近い特性を帯びた。もっとも、滅ぼす気はなかったが。感謝しろよヘルハウンド。俺は、金にならなければ、無駄な殺しはしないんだ。
「さて、行くか」
言い、俺は念を剣に宿らせた。同時にヘルハウンドの目つきが変わる。ヤバいと気づいたらしい。
「GAAAA!!」
ヘルハウンドが飛びかかってきた。全長は、ざっと十メートルってところだな。
「せいやあ!」
気合いと同時に俺は剣を振った。剣の先端から衝撃波が生まれ、一トンを軽く超えると思われたヘルハウンドが吹き飛ばされる。地面――既にアスファルトではなくなっていた――に叩きつけられたヘルハウンドがものすごい雄叫びをあげた。あれは咆吼じゃなくて悲鳴だな。すさまじい形相でヘルハウンドが飛び起き、俺をにらみつけてくる。瞳が紅蓮に燃えていた。
「見逃してやるから消えな。妖魔じゃないんだし、言ってること、わかるんだろう? 俺とガチでやりあったらただじゃすまねーぞ」
一応、ヘルハウンドに宣言しておいた。これはただのアクシデントである。ヘルハウンドが数秒、俺を睨みつけ、すぐに背をむけた。勝負の結果に固執するほど馬鹿じゃなかったらしい。白い霧の彼方へヘルハウンドが姿を消す。俺もホッとなり、構えていた剣を降ろした。
「もう終了?」
「たぶんな」
ヒジリに言い、俺は顔のむきを変えた。さっき見かけた銀髪の少女が呆然と俺を見ている。
怪我はないようだった。
「じゃあな。何があったのかは知らないけど、もう安全だから――?」
言いかけ、あらためて俺は剣を構えかけた。周囲に目をむける。
「どうした霧島?」
「――いや、なんでもない」
俺は剣を降ろした。気のせいか? いま、ヘルハウンド以外の魔族――いや、魔族じゃない。魔王族の魔力を感じたように思ったんだが。俺は前方にいる銀髪の美少女に目をむけた。
いや、まさかな。
「ま、いいや。ヒジリ、頼む」
「了解」
ヒジリの返事と同時に、俺の右手から剣の感触が消えた。
ヒジリが、俺の剣を送還したのである。本当は専門用語で召還と言うらしいんだが、耳で聞いていると、呼び寄せる意味の召喚と区別できないので、俺は送還と呼んでいた。
「ちゃんと戻しておいたから」
「ありがとよ」
これがAIジュエルの利点である。第二次異世界大戦以降、『レギオン』がこれを開発してくれたおかげで、俺たちソードファイターの行動範囲ははるかに広がったのだ。それでも聖剣を与えられた勇者とは比べるべくもないが。
さ、帰るとするか。
「このことは話すなよ。ヘルハウンドが東京にでたなんて言っても笑われるだけだからな」
ヘルハウンドより言葉が通じるかどうかも怪しい外国の美少女に言い、俺は背をむけた。
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