第190話哀は愛より出でて愛より哀し

 伊賀攻め――進言してもすぐに行なわれるとは限らない。石山本願寺や荒木家が健在である以上、新たな敵を作るのは得策とは言えないからだ。しかしそうは言っても、丹波国と丹後国が明智さまによって攻略寸前であり、厄介だった毛利家の村上水軍も九鬼嘉隆の大安宅船に壊滅させられた。

 陸路は僕たち羽柴家と味方になった宇喜多家で封鎖しているので、このまま兵糧攻めをすれば自ずと降伏するだろう。

 だからいまひとつ『我慢』すれば、伊賀は攻められるんだ。


 暗い感情を抑えつつ、僕は長浜に帰った。護衛にはなつめが居た。何か思い詰めたような目をしていたけど、結局は僕を殺さなかった。忍びらしくなく、僕に情が移ったようだ。

 伊賀にはなつめの弟以外にも親類や友人が居るはずだが、そこは割り切ったようだ。


 屋敷に帰るとはるが出迎えてくれた。

 喜んだ表情を見せたけど、僕の顔を見てハッとする。


「お、お前さま……? 何かあったのか?」

「ううん。何もないさ。どうかしたのか?」

「……まるで人を殺したような顔をしている」


 そんな物騒な顔をしていたのか。

 気をつけなければ。


「ごめん。怖がらせちゃったかな?」

「い、いや……お前さまもそんな顔をするんだなって思っただけだ」


 僕は「雹は元気かな?」と問う。するとはるは「そんな顔しているときに会わせられない」と厳しく言う。


「とりあえず、ご飯でも食べたらどうだ? 美味しい鯉が手に入ったんだ」

「そうだね。じゃあ頂こうかな」


 僕は自分の部屋に行き、そこで少し考えることにした。

 以前、播磨国で僕は戦の本質について考えた。

 戦とは手段であり、目的ではない。

 であるならば、伊賀攻めは復讐という目的のために行なわれるのか。

 なんという悪行だ。個人の思いと故人の無念のために大勢の人を殺すとは。

 ここまで堕ちてしまったのかと、自分が怖くなる。


 秀吉や上様が言ったように、僕の長所は優しさだったんじゃないのか?

 それを無碍にして無意味な戦など――復讐などして良いのか?


 戦略的に考えてみよう。

 伊賀国は未だに独立している。しかし織田家に仇名すような敵対関係にはなっていない。

 伊賀国という土地を手に入れる必要性はいろいろあるが、一番の旨みは織田家の領内にある独立勢力を一掃できるという点である。


 まったくの無意味ではない――いや、誰に言い訳しているんだ?

 無意味でなくとも不経済であることは変わりない。あんな辺鄙な場所を治める利点など何一つないし、独立勢力と言っても従属させてしまえばいい。

 戦という手段をする絶対的な必要性など、ありはしないのだ。


 僕は認めなければいけない。

 伊賀攻めを進言したのは、僕の勝手な復讐であると。

 もちろん、良秀――真実を知っても父とは言えない――に非がないわけではない。しかし抜け忍とはいえ、無関係の巴さんを嬲るのは、非人道的ではないだろうか?

 それに抜け忍に対してそのようなことをしている伊賀者は罪深いのではないだろうか?

 何より伊賀者自体が罪深いのではないだろうか?


 いやいや、原因を向こうに求めるのはおかしな話だ。

 あくまでもこれは僕が起こす復讐のための戦だと自覚しなければならない。

 たとえ何をしても。

 たとえ何としても。

 僕は自分の我が侭で伊賀国を滅ぼすと決意したことを誤魔化してはいけないんだ。


「お前さま。食事の用意ができたよ」


 そこまで考えて、はるの呼ぶ声がしたので自分の部屋を出た。

 御膳が置かれた部屋で、一人ご飯を食べる。傍にはるがいて、何か言いたげな雰囲気だった。

 僕は「晴太郎はどうしたんだ?」と訊ねた。


「晴太郎はいつものように城で勉強している。握り飯を持たせたから問題ない」

「そうか。あいつも頑張っているんだな」


 ぼそりと呟くと、はるがますます心配そうな顔をする。


「お前さま、一体どうしたんだ? いつも優しいあなたではないようだ」


 図星を突かれてしまったのは否定できない。

 僕はなるべく平静を装って「最近忙しかったからね」と嘘を吐いた。


「ううん。嘘だ。お前さまは忙しくても変わらなかった」

「…………」

「それに嘘を言う人じゃなかった。本当に、何かあったのか?」


 碗を置いて、僕ははるを見た。

 何故か泣き出しそうな顔をしていた。


「はる……僕は、疚しいことはしていないよ」

「本当か……?」

「うん。もしかすると、僕はそれをやるために、織田家に仕官したのかもしれない」


 そう考えるとしっくり来る。

 秀吉によって導かれて、上様と出会ったのも。

 もしかすると、良秀と巴さんのための復讐だったのかも――


 ぱあんと、頬をはたかれた。


 何をされたのか、分からない。

 でも、じんじんと痛む頬を触りながら見た光景は。

 はるが口をきっと結んで、目から涙をはらはらと流している姿だった。


「……何があったのか、分からない」


 はるは泣きながら僕に身を預けた。


「でも、一人でどこかに行くのだけは、やめてくれ」

「…………」

「淋しいよ、お前さま」


 きゅうと胸が締め付けられる。

 何も――言えなくなる。


「もし、地獄に落ちるのなら、一緒について行くから」


 はるは目を合わせずに言う。


「優しいままのお前さまでなくてもいいから、置いて行かないでくれ」

「…………」

「心から、慕っているよ――お前さま」




 はるが落ち着くまで、ずっと居た。

 こんなに取り乱すのは珍しい――それほど僕が怖くておかしかったんだろう。

 はるを布団に寝かせて、眠るまでずっと手を握る。

 頭も撫でてあげた。最大限の優しさを込めて――尽くした。


 少しだけ喋れるようになった雹の面倒を看ていると、晴太郎が帰ってきた。


「おお。父さま。お帰りになられて――何かありました?」

「……やっぱり親子だね。すぐに分かるんだな」


 僕は雹をはるの傍に寝かせてから、晴太郎に全てを話した。

 話していくに連れて、顔を歪ませる晴太郎。


「……酷い話ですね。救いようがない」

「まったくだよ。本当に悲しい」

「それで、父さまは本当に伊賀攻めを進言したんですか?」

「ああ。それに関しては後悔していない」

「……まあ俺もそれについては賛成ですよ。非道な掟を持つような国は滅べばいい」


 意外と苛烈な言葉に、僕は驚くけど、そういうところは志乃に似ているなと思ってしまう。


「でも母さまが生きていたら、どうしてたんでしょうね? 反対なさったのかな?」

「そうかもしれないね」

「ま、少なくとも俺は反対しませんよ」


 晴太郎は立ち上がって部屋から出ようとする。


「そういえば、どうしてはるさんには言わなかったんですか?」

「……知らずに済むのなら、それでいいだろう」

「ふうん。でもそれなら俺に言う必要もないんじゃないですか?」

「もう一人前の大人だから受け入れられるだろうと思っただけだよ」


 晴太郎がくるりと振り返った。

 目がとても冷え切っていて――暗かった。


「意外と臆病なんですね。はるさんはそんなことじゃ父さまを嫌いになりませんよ」

「……臆病なのは否定しないよ」

「気づいていないでしょうけど、はるさんは父さまに物凄く惚れていますから。何を言ってもついて来てくれますよ」


 そしてそのまま、襖を開けて去っていった。

 僕は天井を眺めた。


「なつめ。居るんだろう? 出てきなさい」

「……気配を消しているのに、どうして分かったんだか」


 天井の板を外して、すっと下りてくるなつめ。


「……奥方があんな覚悟を示したのだから、私は何も言えないわ」


 何も言う前にあっさりと言うなつめ。


「いいのか? 今なら僕を殺せるよ」

「殺しても伊賀攻めは阻止できないわ。そのくらい分かっている」


 そしてなつめは、僕に向かって言う。

 決意を込めて言う。


「私、あなたに仕えるわ。故郷は捨てる」

「…………」

「弟のことを配慮してくれたしね。信用はできるし」


 僕は――その言葉を信じた。


「分かった。僕の忍びになってくれ」

「委細承知。任せてね」


 気づかないふりをした。

 なつめの笑みがおかしなことに。

 故郷を滅ぼす元凶に仕える気持ちなんて、僕には分からない。

 だからいつ叛いても――分からない。

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