第189話過去を捨てる者と捨てられない者

「……どうしてうちが巻き込まれるのか、まるで分からないのだけれど」


 不満そうに言ったのは雑賀衆の頭領補佐、蛍さんだった。不満というか困惑していると評せば正確だろう。

 上座に座る頭領の小雀くんはにこにこ笑っていた。今までの経緯を面白いと思ったようだ。


「よくよく考えたら僕のところで匿えないんだよ。若様や長益さまは顔見知りで、予告も無く来ることもあるし」

「だとしても、雑賀衆が巻き込まれる理由が分からないわよ」

「そこをなんとか。あなたからも頼んでください」


 僕は隣に座っている『彼』に水を向けた。

 きょろきょろと雑賀城の頭領の部屋を眺めていたのだけど「うん? 私に不満はないよ」と案外落ち着いていた。


「私は死んだ身だからね。文句なんか言えないよ」

「……あのねえ。こっちが文句あるのよ。だいたい徳川の――」

「ここに居るのは徳川家に関係する人ではないよ」


 蛍さんを遮って僕は「自己紹介をしてください」と彼に言う。


「ああ。申し遅れたね。私は世良田二郎三郎という。以後よろしく」


 世良田さんは少々小太りで眉が太く、公家のような雰囲気を漂わせていた。ま、母親が今川家の出なのだから、血筋が高貴なのだろう。


「よろしくじゃないわよ! さっきから何様よあんた!」

「もう何者でもないよ。私は一度死んだ身だからね」


 蛍さんの怒りを受け流し、世良田さんはそう嘯く。


「小雀くんは、どう思う?」


 このままでは埒が明かないのはこちらも同じだったので、頭領の小雀くんに問う。

 小雀くんは筆を持ち、紙に短く「了承」と書いた。


「はあ!? 小雀、あなた正気なの!?」

「なんだ。字を書けるようになったのか?」


 蛍さんは僕たちに聞こえるように舌打ちをして「了承と否しか書けないわよ」と吐き捨てた。


「元頭領が『これさえ書ければいいだろ』って言ったの……」

「じゃあ世良田さんが雑賀衆に入ることは認められたわけだね」


 にっこりと笑うと不満そうに蛍さんが渋々言った。


「頭領が決めたことだから従うわよ……」

「良かった! これで一安心ですよ!」


 世良田さんも「これで路頭に迷わずに済むな」とこれまたのん気に言う。


「えっと。小雀と言ったか? 感謝いたす」

「ちょっと! 頭領に対してそんな口の利き方を――」

「礼に文字を教えてやろう。流石に二つだけでは不便だからな」


 小雀くんは嬉しそうに笑った。

 二人は良き友になりそうだ。

 一方で蛍さんは頭を抱えた。苦労人なんだろうなあ。合掌。




「雨竜殿。こたびのことは感謝いたす」


 話が終わって、宛がわれた雑賀城の一室で世良田さんが僕に頭を下げた。


「いえ。同じ娘婿として当然のことです」

「だとしても、こうして生きていられるのはあなたのおかげだ」


 僕は「本多さんと服部さん、そして正信のおかげですよ」と言う。


「その三人には十分に礼を言っておいた。もう二度と会えぬからな」

「……徳川家から離れたことを、後悔していますか?」


 意地悪な問いだったけど、世良田さんは「後悔?」と不思議そうに言う。


「ないと言ったら嘘になるな。しかし未練はあっても後悔は少ない。まあ母上が死んだことは残念だ」

「……生き恥を晒すぐらいなら、死んだほうがマシと言っていましたね」

「息子の私からしても、今川にこだわりすぎた……ただそれだけの人生だったのだ」


 目を伏せて言う世良田さん。

 本当は愚かだったと言いたかったんだろうな。


「しばらくは渡した銭を使ってください。小雀くんにはあなたに仕事を与えて稼げるように頼んでおきました」

「何から何まで申し訳ないな」

「本多さんたち三人との約束ですからね」


 すると世良田さんは「約束と言えば」と思い出したみたいだ。


「服部から文をもらっていたな。それはなんだ?」

「……ああ。これは僕の……出生の秘密ですね」


 信康さまの切腹が決まった頃、諸々の打ち合わせをしていたときに服部さんが「思い出した!」と突然叫んだ。

 傍に居た僕と本多さんと正信がぎょっととして見たほどだった。


「出生の秘密? なんだそれは?」

「世良田さん。誰にも言えないから秘密なんですよ」

「ああ。それもそうだな」


 納得した世良田さんだった。


「舅殿に真実は言ったのだったな」

「ええ。世良田さんの言葉、しっかり伝えましたよ」


 世良田さんは上様に『徳川家を大事に思ってください』と頼んでいた。それを聞いた上様は、できた娘婿だったと愉快そうに言っていた。


「舅に知らせて良かったのか?」

「上様が殺すように言ったわけではなく、許可を与えただけに過ぎません。本当は生かしたいと思っていたのでしょう」

「たまに会っていたが、そこまで情の深い方とは思わなかったな」


 誤解されやすいからなあ上様は。


「しかし、恩を返せぬのは心苦しい。何かできることはないか?」


 義理堅い性格なようで、世良田さんは僕に訊ねた。


「そうですね……助けが要るときは素直に求めますから、そのときに応じてくれれば嬉しいです」


 かつて孫市とした約束と似ていた。

 すると世良田さんは「もちろん協力させてもらう」と力強く答えた。


「そのときまでに、応えられるように力をつけなければな」

「頼もしいですね。まあそのときが来なければいいのですが」

「もちろんそうだが、そうなると私が困るな。一生恩を返せない」


 笑い合う僕たち。

 まあ母親を助けられなかったのは残念だったけど。

 それでも最悪でなかったことを素直に喜ぼう。




 数日後。紀伊国から堺に向かった僕。

 目的はなつめと合流するためだ。

 既に丈吉を使いに出していたから、おそらく会えるだろう。


 約束の宿屋の一室でぼんやりと外を眺めていると、音も無くなつめが入ってきた。

 なつめは町娘の姿をしていた。


「雲之介さん。用ってなに?」

「ああ。なつめ。いくつか訊きたいんだけど」


 僕はなつめと正対して訊ねる。


「伊賀の里は大切かな?」

「はあ? 何よそれ? まあ故郷だからそれなりに大事だけど」

「もし滅ぼされたらどうする?」


 意味が分からないなりに、なつめは答えた。


「そりゃ悲しいわよ。でも弟が無事だったら、仕方ないで済ますけど……」

「じゃあ弟さんが伊賀から去ってしまえば、どうなっても仕方ないで済ませるかな?」


 なつめが息を飲む。

 場の空気が固まった。


「……何を命じられたの? いや、何を企んでいるの?」

「まだ調べている途中だけどね」


 僕は今、自分の表情がどうなっているのか、分からない。

 でもなつめが内心怯えているのだから、きっと――


「安心していい。弟さんは長浜に来ている。身の安全は保証する」

「……まさか、伊賀国を攻める気なの?」


 さて。次の言葉が僕の命に関わるだろう。

 認めればなつめは僕を殺す。

 否定でもなつめは僕を殺す。

 嘘も真実も通じない相手に対して、僕は一番残酷で卑怯な手を取った。


「さっきも言ったけど、もう一度言うね。『弟さんは長浜に来ている』分かるよね?」


 予想しなかった言葉に一瞬怪訝そうな顔をして――気づく。


「……人質のつもりなの? 一体いつそんなにずる賢くなったわけ?」

「僕は君の働きを評価している。敵に回したくないし、殺したくない」


 なつめは目を閉じて、そしてふうっと溜息を吐いた。


「……伊賀が滅ぶことは確定しているの?」

「うん。主命の報告ついでに、上様に進言したよ」

「……理由ぐらい聞いてもいいかしら?」


 僕は立ち上がり、開けっ放しにしていた窓を閉めて、それからなつめを見た。


「良秀という伊賀者、知っているかな?」

「……いえ、聞いたこと無いわ」

「まあ二世代前の抜け忍だから、知るよしもないか」


 なつめは「その抜け忍がどうしたのよ?」と問う。


「良秀は、元々長州の出だったらしい。それが何の因果か、伊賀の忍びになったんだ」

「……何を言っているの?」

「才能のある優秀な忍びだったらしい。でも他国の者だったから信用されなくて、それが原因で抜け忍になったみたいだ」

「その人がどうしたって言うのよ?」

「知らなかったけど、長州で自分を称するとき、『私』でも『俺』でもないんだって」


 なつめはますます分からないようだった。

 だから、教えてあげよう。


「長州では、自分のことを『僕』というらしい」

「……えっ?」

「ここまで言えば、分かるよね」


 子は親の血には逆らえないものだ。

 つくづくそう思う。


「良秀は、僕の父だ」


 初めからおかしかったんだ。


「抜け忍となった良秀への報復で、母を犯したのは、伊賀者だ」


 僕は――


「それを笑いながら見るように、強要したのも伊賀者だ」


 ――知りたくなかったけど、知ってしまった以上、変わらなければならない。


「だから、僕は復讐しなければいけないんだ」

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