第191話最期の迎え方

 京のとある屋敷――


「あら。久しぶりじゃない。元気そうね……雲之介ちゃん」


 病床につく半兵衛さんを見舞う僕。

 顔が死人のように真っ青だ。いよいよ危ないのかもしれない。


「久しぶりだね。半兵衛さんのほうは、あまり元気よくなさそうだけど」

「はっきり言うわね……何か良くないことでもあったのかしら?」


 病に冒されても、人を見抜く目は衰えていない。

 逆に死の淵に居ることで、ますます冴えているような――


「良秀のことが最近分かりましてね。復讐しようと思っているんです」

「へえ……冥途の土産に聞かせてよ」


 僕は淡々と良秀のことを話した。何の感情も込めなかった。


「そう……本当なら止めるべきでしょうけど、今のあたしには、どうでも良くなっているから、止めないわ……」

「そういうものなのか?」

「そういうものよ。実を言えば、兵法書でも書こうと思ったんだけどね。書くにも体力が要るって分かってやめたわ」

「もったいない。孫子や呉子に匹敵する、優れた兵法書ができそうなのに」

「もったいないって感情も無くなっていくのよ……」


 こほんと咳払いして、半兵衛さんは「話を戻すけど」と僕に言う。


「伊賀攻めをすることで、あなたは必ず後悔するわ」

「うん。分かっている」

「でも、やらなくても後悔すると思うわ。だからやって後悔したほうが、良いのかもね……」

「……みんな、僕のやろうとしていることを否定しないんだね」


 ぼそりと呟いたつもりだったけど、半兵衛さんは「否定しても止まらないんでしょ?」とちょっとだけ意地悪いことを言う。


「見ていると分かるのよ。真っ直ぐに生きているあなたは、何を言われても止まらないって」

「…………」

「でもね。時には曲がることも覚えたほうが良いわ。立ち止まって考えることも重要よ」

「……半兵衛さんは、最後まで僕を導いてくれるんだね」


 思えば最初に出会った頃、『あなたの主君と妻、どっちかしか助けられなかったら、どちらを救う? どちらを切り捨てる?』と問われたことがある。

 当時の僕は答えられなかったけど、今ならようやくその問いの意味が分かる。

 覚悟が足らなかった、僕を導くための問いであると。


「ふふふ。いやね。そんなんじゃないわよ」


 ちょっと照れながら否定する半兵衛さんだったけど、こういうときは肯定であると長い付き合いだから分かっている。


「ちょっと外の空気が吸いたいわ。障子開けてくれる?」


 すっと立ち上がり、僕は障子を開けた。

 外は澄んだ空気をしていて、空も青く、どこまでも突き抜けそうな――


「官兵衛ちゃんは、まだ有岡城に囚われているの?」

「……救出されたという話は聞いていないよ」

「そう……死んでないわよね?」

「分からない。でも生きている気がする」


 勘だけど、素直にそう言えた。


「栗山ちゃんと母里ちゃんがここに来たわよ」

「家臣の二人が? まさか、恨み言を言われたのか?」

「ええ。松寿丸を切腹させたって言ったら、二人とも怒っていたわ」


 半兵衛さんは少しだけ悲しそうに微笑んだ。


「本当は――」


 訊こうとしたのをやめる。

 まだ策が成っていないからだ。


「――なんでもない」

「……ねえ雲之介ちゃん。一つだけ我が侭言っていいかしら?」


 半兵衛さんの頼みごとならなんでも聞くつもりだった。

 僕は――頷いた。


「三木城攻め、今もしているんでしょう?」

「……本当に良いんだね?」


 何を言おうとしているのか、分かってしまう。

 長い付き合いだから――


「良いに決まっているわ。あたしを三木城攻めの本陣まで連れてって」




「……何故、ここに来た?」


 三木城攻めの本陣。

 秀吉は今までにないくらい、深い怒りを込めて、半兵衛さんと僕に問う。


「……そんなに怒らないでよ。お顔が恐いわ」


 対する半兵衛さんはへらへらしている。

 すると秀吉が「雲之介、おぬしどうして連れてきた?」と怒りの矛先を向ける。

 背筋を正して、堂々と答える。


「……最後の我が侭だったから、聞いただけだ」

「……わしがどれだけ、半兵衛を心配していたのか、そして惜しんでいたのか、分かっているはずだ」


 本陣には僕と半兵衛さんと秀吉、そして正勝が居る。秀長さんと長政は但馬国を攻めている途中と聞く。

 そして正勝は――黙ったまま、目を瞑っていた。

 その顔からは表情がうかがえない。


「京で休養を命じたのは――少しでも最期を延ばそうと思ったからだ」

「分かっているわ。それはありがとう」

「分かっておらん! そんなに死にたいのか!」


 秀吉の顔はいつもの笑みではなく、怒りを貼り付けていた。


「まだまだ、半兵衛の力が必要――」

「駄目よ。もうすぐ死ぬわ」


 その言葉に、秀吉は何も言えなくなった。口をもごもごさせて、言葉を発せられない。


「もう死んじゃうのよ。時間切れ。寿命の終わり。ただそれだけなの」

「……ならどうして、ここに来た!」


 秀吉は自分のことではめったに怒らない。

 でも他人のことになると、すぐに感情を露わにする。


「一刻でも永く生きたいと――そう思わないのか!」

「思わないわ。それと、さっきの問いに返すけど、あたしは――」


 僕は半兵衛さんの表情を見逃してしまった。


「――秀吉ちゃんと仲間の傍で、死にたかったのよ」


 秀吉はわなわなと震えだして、がっくりとうな垂れて、そして――


「……愚か者。そのような嬉しくて悲しいことを言うな」


 大粒の涙を零しながら、秀吉は――叱った。


「わしや上様より賢いと思っていたが、よもやこれほどの大馬鹿者だったとは……」

「酷いわねえ! これでも良い死に方考えてるんだから!」


 半兵衛さんは笑っている。

 死に近いのに、笑っている――


「う、うう、うううう――」


 唸り声。

 正勝を見ると――号泣していた。


「うおおお! 淋しいぞ! 死ぬなよ、半兵衛!」

「ま、正勝ちゃん……」

「もっと、もっと、一緒に……!」


 正勝の兄さんが泣いたせいで。

 それまで我慢していた僕も。

 ぽろぽろと泣き出してしまう。


「二人とも泣くから、僕も泣いちゃうじゃないか……」

「雲之介ちゃん……」

「もっとさあ! 明るく見送ったほうがいいだろ! だから我慢していたのに!」


 半兵衛さんは「まだ死なないから大丈夫よ!」と言う。


「みんなを見ていたら元気になっちゃったじゃない! もう、みんな馬鹿ね!」

「あっはっは! おぬしが一番の馬鹿ではないか!」

「そうだねえ。半兵衛さんも泣いているし」

「俺たち、泣いちまって、みっともねえなあ!」


 本陣に笑い声が広がる。

 それはとても愉快な声で。

 兵たちは何事だろうと訝しげに思ったようだった。




 一ヵ月後。

 半兵衛さんは本陣から居なくなってしまった。

 僕の仲間だった半兵衛さんは居なくなってしまった――


 それからさらに二ヵ月後。

 荒木の城、有岡城が落城し。

 黒田官兵衛が救出されたという報告が入った。

 僕は、半兵衛さんの弟、竹中久作と共に、有岡城攻め本陣に向かう――

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