第172話戦の終わり。新たな戦場

 手取川の戦いの後、上杉家は冬が近いことから越後国に退却してしまったようだ。その際、越中国の加賀本願寺を壊滅に追い込み掌握したようだ。

 聞いたところによると『織田家は脆弱であるが、案外小賢しい』と上杉謙信は零したらしい。まあ精強と知られる越後兵と比べて、銭で雇っている常備兵では力の差は歴然なのだろう。

 当面の危機は無くなったので僕たち羽柴家は長浜へと帰還した。今回の戦で秀吉の功が認められれば、柴田さまや明智さまのように方面軍を任されるかもしれない。そうなれば今まで以上に大変になるだろうけど、そこは頑張るしかないな。


 長浜の僕の屋敷に帰ると、はるが雹を抱きながら「お帰りなさいませ、お前さま!」と元気良く出迎えてくれた。おお、しばらく見ないうちに雹が大きくなっている。


「ああ、ただいま。二人とも元気でなによりだ」

「お腹は空いているか? 湯漬けを用意するが……」

「ちょっと空いている。そうだね。頂こうかな」


 屋敷に上がって、はるが用意した湯漬けを食べていると、晴太郎がふらっと帰ってきた。


「お帰りなさいませ。父さま」

「晴太郎もお帰りだな」

「父さま。今回の戦、ご活躍なされたようですね。福島さんと大谷さんがおっしゃっていました」

「大した活躍をしてないよ。二人が大げさに言っているだけさ」

「だとするのなら、あの二人は父さまを好きすぎるでしょう」


 僕の正面に座る晴太郎。

 何か話があるのかと思い、湯漬けが入った椀を置く。


「以前、お話された黒田官兵衛殿を覚えていますか?」

「ああ。最近、毛利家の軍勢を追い払ったと聞く」


 英賀の戦いと言われる戦で、五千の軍勢を五百で打ち破ったらしい。詳細は知らないが、あの切れ者ならできるだろう。


「彼がどうしたんだ?」

「上様が播磨国の大名に人質を送るように命じられたのです。しかし小寺家は要求を躊躇い、代わりに黒田殿がご子息を人質に出したようです」

「……そこまで小寺家に尽くす義理があるのか? 黒田家は城持ちの家老だろう?」


 その気になれば黒田家だけでも織田家に寝返ることができる。

 むしろ黒田家の発展を考えれば、上策と思える。

 主君に忠義を尽くしていると言えば聞こえがいいが、黒田は『日和見主義のどうしようもない人』と自分の主君を評している。見下している人間の代わりに人質を送るだろうか?


「俺には分かりません。しかし黒田殿とその息子の松寿丸が安土に来ているそうです」

「そうか。なら近いうちに会えるかもしれないな」


 単純にしか考えていなかったけど、ここで晴太郎がとんでもないことを言う。


「人質を預かるのは、羽柴家になりませんか?」

「……どうしてそう思うんだい?」


 晴太郎は「これは俺の考えですが」と前置きしてから言う。


「近年、織田家の領土はまったく増えていません。言わば手詰まりです。この状況を打破するには、新しい領土を得るしかないです」

「確かに道理だね」

「であるならば、当面の敵は毛利家になります。武田と上杉は立地や勢力的に攻めるのは難しい。四国は長宗我部家と手を結んでいます。九州は遠すぎます。東国も同じくです」

「それが羽柴家が黒田殿の人質を預かる理由と――ああ、秀吉に中国攻めを任せるのか」


 晴太郎は頷いた。


「羽柴さまは黒田殿を上様に引き合わせた関係でもあります。また先の戦で戦功を上げました。今までの功績を鑑みても、中国攻めを任されるでしょう」

「……難しいな」


 僕の呟きに「何が難しいんですか?」と問う晴太郎。


「筋道を立てて考えれば、これしかないと思いますが」

「そうじゃない。きっと晴太郎の言うとおりになるんだと思う。でもそうなると、荒木村重さまの立場が難しくなる」


 そこは思慮の外だったらしく、晴太郎は「あっ……」と思わず声を出す。


「領土的にも地位的にも、荒木さまに中国攻めを任されるのは道理だ。それを差し置いて、秀吉が中国攻めを任されるのは――火種になる可能性がある」

「まさか、荒木さまが謀反するのですか?」


 僕は「誰々が背くなどと口に出すな」と厳しく言う。

 晴太郎は慌てて「すみません」と謝る。


「もしそうなれば、本願寺と丹波の波多野、そして毛利家と連携できる。厄介だよ」


 秀吉の出世を願わないわけではないけど、はたして上様はどのような決断をなさるのか。

 少し心配だった。




 軽い食事の後、僕は長政に会いに城へ向かった。

 仇である七里頼周の死を伝えるためだ。

 晴太郎に「一緒に城に行かないか」と誘ったが断られた。

 なんでも最近は半兵衛さんのところで兵法書を読むことが多いらしい。僕に言われてから鉄砲以外に様々な勉強をするようになったようだ。


 長浜城に行き、長政に宛がわれた部屋の前に立つ。


「長政、居るかい?」

「雲之介か。ああ、入ってくれ」


 中に入ると長政は書になにやら書き込みをしていた。


「仕事中にすまないな」

「別に構わないさ。それより戦が大変だったようだな。殿も戦功を立てられたと聞くが」

「君に言っておきたいことがあって。とりあえず筆をおいてくれ」


 長政は「七里頼周のことか?」と平静のまま書を書き続ける。


「……知っていたのか」

「殿に教えてもらったよ。なんでも命乞いしたらしいな」

「でも秀吉が断らせた」

「それも教えてもらった。これでようやく、父上の無念も晴れるな」


 僕は「自分で仇を討ちたかったのではないか?」と訊ねた。


「いや。朝倉景鏡が死んだときに、その気持ちは消えた」

「…………」

「嘘じゃないさ。ただ復讐は虚しいと思うようになっただけだ」


 長政はふうっと溜息を吐く。


「景鏡が死んだことで、拙者の気持ちが晴れるかと言えばそうじゃなかった。むしろあいつが義景殿を裏切った理由を知ったことで、逆に虚しくなったよ。あいつなりに越前国を守ろうとしていたんだと」

「でも、だからといって、久政さまが死んでもいい理由にはならないだろう」


 長政は「それでも分かっているさ」と笑った。


「だから虚しいんだ。大義のため、家名のため、領民のため。どんな理由をつけても、人を殺めて良い理由にはならん」


 逆に言えば、人を殺めるのに理由など虚しいということになる。


「もし、太平の世になったのであれば、拙者は僧になりたい。七里のような悪僧ではなく、世を思う善僧になりたい」

「本気で言っているのか? お市さまや茶々たちはどうする気だ?」

「昭政が居るからな。何とかなるだろう」


 そして長政は僕に問う。


「太平の世になったら、お前はどうするつもりだ?」

「……志乃が生きていれば、農民にでもなっただろう。でももう無理だ」


 そう。既に引き返せなくなっていた。


「織田家一門になったんだ。小国の領土経営をさせられるだろう」

「はる殿と婚姻して、後悔していないか?」

「まったくしてないね。むしろ良縁に恵まれたと思う」


 後悔などあるわけがない。

 秀吉について行くと決めたのだから。

 そのために生きてきたんだから。


 長政と別れた後、僕は城内を何の気なしに歩く。

 すると前から小姓を連れた秀吉が見えた。

 秀吉も気づいたようで僕に向けて手を挙げた。


「雲之介。少し留守を任せる」

「上様のところに行くのか?」

「ご明察よ。なんでも手取川の戦いの褒美を直々にくださるという」


 喜色満面な秀吉になんだかホッとする気持ちを覚えた僕。


「それは良かったな。そしたら僕の俸給も増やしてくれよ」

「あっはっは。考えておく。それではな」


 颯爽と去っていく秀吉。

 不安と期待が入り混じった思いを抱きつつ。

 僕は歩みを進めた。




 晴太郎の予想通り、秀吉は中国攻めを任された。

 黒田官兵衛の先導の元、播磨国へ向かうだろう。

 僕にとっては未知である中国、そして播磨。

 はたしてどのような結末が待っているのだろうか?

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