第171話利用価値

 羽柴家の陣に戻るとすぐさま皆に報告した。堤防を作ることに異論はなかったが、ただ作るだけでは何の手柄にならないと半兵衛さんは言う。それどころか上手く主戦場から遠ざけられたらしい。


「柴田さまに花を持たせる気? 秀吉ちゃん、出世は諦めたの?」

「そう生意気な口を叩くのだから、何か策があるのではないか?」


 皮肉をやりこめた形になった半兵衛さんは、少しだけ怒った顔をしたけど、すぐに「もちろんあるわよ!」と言い返す。


「加賀本願寺。覚えているわよね?」


 もちろん覚えている。織田家の加賀国進攻と上杉の越中国進攻で著しく勢力が弱まってしまったと風の噂で聞いていた。


「彼らを利用するのよ」

「おいおい。まさか上杉にけしかけるのか?」


 正勝が驚いたような声で正解を言う。


「ええ。加賀本願寺は凋落したとはいえ、まだ万単位の兵を擁しているはずよ利用価値はあるわ」

「どうやってけしかけるんだい? 銭でも支払うのかな?」


 秀長さんが実に平和的な提案をしたけど、半兵衛さんは意地の悪い顔をした。

 これはあくどい策を考えたときの顔だ。


「加賀本願寺の法主、七里頼周に書状を送るわ。内容は『上杉家が七尾城を包囲している。背後を襲う絶好の機会である』とね」

「それだけで、動くかな?」

「そうね。じゃあこれも加えたらどう? 秀長ちゃん。『越中国を奪い返す機会でもある』って」


 陣の中が静まり返ってしまう。

 もしも、上手くいけば、最上の結果が生まれるのではないだろうか?


「ふむ。上杉家の軍の退路を防ぐことも可能だな」


 秀吉も満足そうに頷く。

 正則と吉継は驚きのあまり口を馬鹿みたいに開けている。


「でもよ。その書状、誰を送り主にするんだ?」


 正勝に言われて気づく。そうだ。もし秀吉を送り主にすると虚報と勘違いされて動かないかもしれない。いや、それどころか罠と思い込んで織田家を攻撃するかもしれない。


「そりゃあ決まっているわ。本願寺の人間を使うのよ」

「はあ? どこに居るんだよ?」


 半兵衛さんが僕を指差す。


「雲之介ちゃん。あなたの家臣に下間頼廉が居るわね。しかもこの戦に従軍している」

「まさか、彼に書かせろっていうのか?」

「彼しかいないのよ。文面はあたしが考えるから。頼廉ちゃんを呼んできてくれる?」


 あまり気乗りしなかったけど、これ以上の策を僕は思い浮かばない。

 仕方ないので、頼廉を陣に呼んだ。


「分かりました。頼周に一筆書きましょう」


 陣にやってきた頼廉は意外にも素直に応じてくれた。


「あら。説得しなくなって良かったけど、どうして協力してくれるの?」

「雨竜殿に協力せよと法主――顕如さまのご命令ですから。それに、あの頼周は危険すぎる。放置しておくことはできません」


 きっぱりと答える頼廉。どうやら迷いはないらしい。


「そんなに危ういのか? 七里頼周は」

「ええ。彼を御するのは到底無理です。織田家にとっての松永久秀殿と言えば、分かりますかな?」


 すんなりと理解できた。いつ背くか分からない野心家なのか。


「仏の道を歩む者としては、あまり言いたくない言葉ですが、七里頼周を葬るためなら、外道に落ちても構いません」


 そういうわけで頼廉に書状を書いてもらった。内容はさっき半兵衛さんが言ったとおりだ。


「この策のことは柴田さまと軍目付に伝えておく。手柄と認めてもらわぬとただ働きになるからな」


 秀吉がぬかりなく皆に言ったところで、羽柴家の軍議は終わった。

 頼廉の書状はなつめたちに届けてもらうことにした。加賀本願寺の残党がどこに居るのか、既に調べはついているらしい。




 翌日。僕たちは手取川の上流にて堤防を作る。

 土嚢は僕が周りの農民に協力してもらって集めた。ただの土くれが銭になると分かると、農民たちは必死で作業してくれた。


「おら! 土嚢を積み上げろ! 怠けるなよ!」


 正勝の陣頭指揮によって堤防が出来上がっていく。それにしてもここからだと手取川の下流が一望できるな。

 堤防の完成によって、水位が下がっていく。数刻かけて足首ほどの深さになった頃、柴田さまの軍団が渡河を開始した。

 そのとき、なつめが僕の元に報告に来た。


「書状は届けたわ。七里頼周は単純ね。加賀本願寺、二手に分かれて進軍しているわ。一隊は上杉家。もう一隊は越中国よ」

「そうか。秀吉に報告を――」

「良い知らせと悪い知らせ、あるけど」


 なんだその二つ合わせると良くも悪くもない知らせは。

 僕は「良い知らせは?」と訊ねる。


「加賀本願寺とぶつかった上杉家はおよそ五百の兵を失ったわ。加えて全体の三分の一が越中国に向かった」

「ふうん。まあ良い知らせだね。じゃあ悪い知らせは?」


 なつめは至極真面目に言う。


「加賀本願寺、壊滅したわ」

「…………」

「あっという間にね。とりあえず法主の七里頼周の身柄は甲賀衆が抑えているわ。戦が終わった後に本陣に連れて行くわ」


 そ、そんなに強いのか? 上杉家は……


「早く羽柴さまに報告したほうがいいじゃないの?」

「そ、そうだな。呆けている場合じゃなかった……」


 急いで秀吉の元に走って向かう。

 傍には秀長さんと半兵衛さんも居た。


「大変だ。加賀本願寺が壊滅した!」


 秀吉はあんぐりと口を開けて、秀長さんは持っていた筆と紙を落とし、半兵衛さんは驚いて何も言えなかった。


「そんな……昨日の今日よ!? いくら一向宗が脆弱でも、まさか……」

「いや。軍神の名は飾りではないようだ」


 取り乱した半兵衛さんより先に秀吉は現状を考える。

 遅れて秀長さんが「どうする兄者!?」と喚いた。


「柴田さまは勝てるのか!?」

「無理だろうな……正勝を呼んでくれ」


 傍に居た兵士に命じて、しばらくすると正勝が「大変な状況らしいな」と焦ってやってきた。


「どうする殿?」

「正勝。堤防を一気に切ることはできるか?」

「あん? 一気は難しいな。でも一ヶ所土嚢を抜けば、水は下流に流れるぜ」


 そのとき、見間違えでなければ、秀吉はこの状況の中、にやりと笑った。


「おそらく柴田さまは負けて手取川まで退くだろう。そして渡河するはずだ。当然、上杉家も追ってくるはず」

「……なるほどね。上杉家が渡っている途中で堤防を切ると」


 半兵衛さんの呟きで気づく。


「上杉謙信は討ち取れないだろうが、ひとまず時は稼げる!」

「下流を見ておこう。時期を見誤ると上杉は止められない」


 慌ただしく動く羽柴家。

 遠くで合戦の音がした。




 結果から言えば手取川の戦いは痛み分けに終わった。

 柴田さまは上杉謙信の采配に翻弄されて、退くしかなかったし。

 上杉謙信は堤防を切って水位が上がった手取川を渡れなかった。

 どちらかというと、こちらの損害が大きかったが、得るものもあった。


 一つは敗戦であったものの、上杉家の勢いを止められたこと。少なくとも織田家は手強いと上杉謙信は思ったらしく、また越中国のことも気になるのか、早々に兵を退いてしまった。


 それとは別に、加賀本願寺をこちらの兵を使うことなく潰せたことだ。織田家の領土になっている加賀国にいまだ強い影響力を持つ加賀本願寺の法主を捕らえたことは値千金だ。


 その法主、七里頼周は縄で縛られて、柴田さま以下織田家の諸将の前に引き出された。

 初めて見たが、いつか朝倉義景が話していたとおりの陰険な顔をしていた。


「貴様が七里頼周か。浅井久政殿を切腹に追いやった悪僧……」


 ああ。そういえば柴田さまも話を聞いていたっけ。


「……そんな過去のことは忘れましたよ」

「ふん。忘れたとしても罪は消えん。これからどうなるか、分かっているな?」


 七里頼周は全身を震わせた後、柴田さまに向かって言う。


「柴田修理亮! 貴殿に問う! 私を部下にするつもりはないか!」


 呆気に取られる諸将を前に、恥ずかしくないのか、堂々と言う。


「私は加賀本願寺の法主! 北陸の人心をまとめるのに必要不可欠だ! しかも私が号令をかければ、数万の門徒があなたの元にひれ伏す! どうだ、まだまだ利用価値があるではないか!?」


 悪僧とはいえ、加賀本願寺をまとめたほどの人物。真に迫る言葉だ。


「……秀吉。お前はどう考える?」


 柴田さまが秀吉に水を向けた。多分、今回の戦の功労者だからだろう。

 どう答えるのか、不安だったけど秀吉はあっさりと答える。


「それは柴田さまが決めること。しかし浅井久政殿を裏切るように朝倉家を唆したこと。石山本願寺を割って加賀本願寺を作ったこと。それを忘れてはいけませぬ」


 柴田さまは立ち上がって、七里頼周を指差す。


「決まりだ。この悪僧の首を撥ねよ」


 七里頼周は悔しそうに「ちくしょう……」と呟いた。

 こうして七里頼周は打ち首となり、その首は晒し首となった。

 結果、加賀本願寺は滅び、加賀の農民たちは誰一人その教えを守ることはなかった。

 おそらく法主を見捨てた仏教など、帰依するのに値しないということだろう。

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