第二十三章 播磨

第173話神文

 上様から借りた兵を合わせた一万五千の軍で、播磨国へと進軍する羽柴家。

 総大将の秀吉を始め、秀長さん、正勝、半兵衛さん、長政、そして僕の主だった将が居り、また僕の配下にも雪隆くんと島、なつめと頼廉が居る。


 長浜城の留守はねねさまが任されている。人質である松寿丸の教育を兼ねていて、若い将たちも残っている。彼らが教えれば、松寿丸は有能な武将になるだろう。

 晴太郎もついでに教育し直してもらっている。いつ長浜に帰るか分からないけど、立派になった息子と会うのは楽しみだ。


 しかし摂津国を通って播磨国に入ったのは良いが、ここで思わぬことが起きた。

 小寺家の居城、御着城に入城すると思ったのだが、黒田家の居城である姫路城に向かうように言われたのだ。


「すみません。俺が不甲斐ないばかりに……」


 播磨国の街道で合流した黒田はそう言って頭を下げた。

 秀吉は「頭をお上げくだされ」とにこやかに言う。


「小寺殿がわしたちを信用できぬ気持ちはよう分かっている」


 黒田は無反応だったが、傍らに居た栗山善助殿と母里太兵衛殿は冷や汗をかいた。

 まあ強大な軍の指揮者にそんなことを言われたら動揺するよな。


「だがそれは些細なこと。黒田官兵衛孝高殿が味方であれば百人力よ」

「……そう言っていただけて光栄だ」


 脅すような言葉の後に当人を褒めるという硬軟織り交ぜたやり方。相変わらず口が上手いな。

 まあこれで水に流したということだろう。その後は和やかに轡を並べて姫路城に入城した。


「雨竜殿。少しよろしいか?」


 秀吉と少々話した黒田がこちらにやってきた。

 僕は「どうかしたか?」と応じる。


「羽柴殿がどういうお方か、教えてくれないか?」

「……軍師なのだから見抜けばいいだろう?」


 やや皮肉めいて答えると「あんたの目から見た羽柴殿が知りたい」ときっぱり言う。


「なんでも一番最初の家臣と聞く。付き合いが弟の秀長殿と同じくらいとも。だから教えてほしいんだ」

「秀吉は……お人よしで女好きのお調子者だよ」


 正直に答えると黒田は驚いたように言う。


「主君のことを呼び捨てしているのか!?」


 ……そういえば黒田の前で言ったのは初めてか。

 驚くのは無理もない。


「うん。まあね……おっと。あれが姫路城かな?」


 指差す先には城が見えたので、黒田に確認すると「ああ。そうだ」と肯定した。


「話はまた後でしよう。いや、する必要はないかもしれないな」

「……どういう意味だ?」

「少し関われば秀吉がどんな人間か分かるだろう」


 意味深なことを言ったつもりはないが、そう聞こえてしまったのは否めない。現に黒田は思案するような表情になってしまったからだ。

 しかし物事は意外と簡単であり、秀吉に限ってはそれが真実と言うほかないだろう。


 姫路城に入城するとさっそく今後の方針を話し合う。

 評定の間に集まったのは黒田と秀吉、秀長さん、正勝、半兵衛、長政、そして僕だった。


「まず調略で播磨国の小大名や国人を味方につけましょう」


 半兵衛さんが青白い顔で提案する。

 最近、少しやつれた気もするが、大丈夫だろうか?


「そして西の福原城と上月城は戦で落とすわ。あれは宇喜多家の傘下、つまりは毛利家の傘下の城よ。攻め落とすしかない」

「では、当面は調略と民の慰撫、そして軍備の三つを行なうわけだな」


 黒田の言葉に半兵衛さんは頷いた。

 秀吉は僕に訊ねる。


「雲之介。軍備はどのくらい時間がかかる?」

「調略が終える頃には整っていると思う。まあ最短で二週間。余裕を持って三週間かな」

「そうか。まあそのあたりが妥当だな」


 黒田が「軍備はたったそれだけのときで完了するのですか?」と驚く。


「俺の見立てですと、二ヶ月はかかると思いましたが。それに調略も……」

「そこが織田家の強みでもある。他に意見はあるか?」


 すると半兵衛さんが「山名家の城を二つ取りたいのよね」と笑う。


「但馬国の岩洲城と竹田城。いずれあたしたちの支配下に但馬国をおくためにね」


 但馬国をとるという言葉に反応したのは僕と黒田で、声を揃えて「なるほど」と言う。

 秀吉は「どうして但馬国をとることを賛成する?」とまずは黒田に聞いた。


「山名家は名門。それを落とせば中国の小大名が従いやすくなるでしょう。また二つの城を落とせば牽制にもなります」

「ふむ。雲之介は?」

「僕は生野銀山があるからだと思った。それを抑えれば僕たちの力は増すんじゃないかなって」


 それを聞いた秀長さんは「内政官と軍師だと考え方は違うな」と感心したように言う。


「しかし、同じ結論に辿り着くのは見事だね」

「ああ。そうだな。ちなみに半兵衛。お前はどうして提案したんだ?」


 正勝の言葉に半兵衛さんは「うーん、官兵衛ちゃんよりの考えね」と言う。


「生野銀山のことは重要視してたけどね」

「あっはっは。拙者はまったく戦略が分かっていなかったな」


 長政が豪快に笑う。


「うむ。では今後の方針はこうだな」


 秀吉がまとめ始めた。


「まず播磨国の小大名への交渉。これはわしと秀長と正勝が行なう。その間、雲之介と半兵衛、そして黒田殿は民の慰撫と軍備をしてくれ。これらが終わったら但馬国へ出兵。最後に福原城と上月城を落とし、播磨国の平定を終わらせる」


 まあ妥当だろう。問題は期限である。


「まあ遅くても二ヵ月後までには終わらせたい。皆の者、頼むぞ」


 僕たちは黙って頭を下げる。

 すると秀吉が一転してひょうげた声を出す。


「今日はこれから忙しくなる前に宴会をしよう! 秀長! 酒と遊女の手配を頼む!」

「……ほどほどにしろよ兄者」


 呆れる秀長さんは慣れているが、初めての黒田は呆けてしまう。

 まあこれが羽柴家の家風なわけだ。


「黒田殿と雲之介は残っていてくれ。秀長以外の他の者は自由にしていい。兵士にも酒の手配を忘れるなよ」

「ああ。分かっている」


 四人が去った後、秀吉が単刀直入に切り出した。


「なあ黒田殿。織田家の家臣にならないか?」


 黒田は予想していただろうが、何も答えない。

 無表情のまま、秀吉の次の言葉を待つ。


「はっきり言って、小寺家ではおぬしを使いこなせん。上様の下で一緒に働いたほうが黒田家にとっても良いと思うが。今ならば織田家家老として迎え入れられるだろう」


 秀吉が上手いところは羽柴家ではなく、織田家に仕えるように薦めることだ。

 自分と同等の地位に向かい入れるというのが、秀吉の度量の深さでもある。

 しかし黒田は「お言葉ですが」と両手を床について伏す。


「厚意でおっしゃっているのは重々分かりますが、あくまでも黒田家は小寺家の家臣です。お受けできません」


 策ではなく、真心を以って、断られてしまえば何も言えない。

 秀吉は惜しむように「……そうか」と頷いた。


「雲之介。おぬしと似ているな」

「僕と? それはちょっと違うな」


 明らかに違うだろう。


「僕は秀吉が好きだから従っているけど、黒田殿は義理で従っているんだ」

「恥ずかしいことを恥ずかしげなく言うとは。誰に似たのだ?」


 秀吉だよとは言えなかった。

 黒田は「少し疑問があるのですが」と僕たちに問う。


「御ふた方は普通の主従と違うような……どういう経緯で知り合ったのですか?」

「ううむ。話せば長くなるが、決して衆道ではない」

「冗談でもそんなことを言うな」


 黒田は小さく笑って言う。


「正直、羨ましいですね。御ふた方の関係が」

「……ふむ。ではこれはどうかな?」


 秀吉は外で控えていた小姓に紙と筆を持ってくるように命じた。

 紙と筆を取ると「初めて書くが」と言いつつ書き始める。


「黒田殿――いや、官兵衛殿を兄弟のように大切にするという神文を書こう」


 神文、つまり誓約書をこの場で書くのか。


「なっ――ま、まことですか!?」

「嘘偽りがないことを証明するために、こうして神文を書くのだ」


 僕は「良かったな。黒田殿!」と笑った。

 戸惑う黒田は「雨竜殿はよろしいのですか?」と言う。


「初めて書くと羽柴殿はおっしゃった。すなわちあなたはもらっていないことになるが」

「うん? 貰っても貰わなくても、僕は秀吉のことが好きだよ?」


 黒田は目をぱちくりさせて、それからふっ、と笑った。


「雨竜殿は誠の武士だな。俺の家臣に欲しいくらいだ」


 すると秀吉が茶目っ気たっぷりに言う。


「たとえ兄弟同然の官兵衛殿の頼みでも、聞けないな」




 その後、宴会が行なわれて。

 みんな盛大に騒いだけど、翌日には己の務めに励んでいた。

 当面の目標は、播磨国の平定。

 それから毛利家の攻略だ。

  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る