第164話紀州攻め、終結

 紀伊国雑賀庄を熟知している孫市の先導で、羽柴軍とその他の山手側から攻め入っている軍は簡単に土橋が守っている弥勒寺山城近くに着陣できた。浜手側から攻めている軍もこちらが圧力をかけることで徐々に進軍できている。

 それに猛将の正勝と稀代の軍師の半兵衛さんが居る。城が落ちるのに時間はかからないだろう。

 八百人の雑賀衆も参戦してくれるし、僕はただ後方支援をしていれば良かった。まあ忙しいことには変わりないが、あっさりとしているのは否めない。


「雲之介。この戦の後のことを考えているか?」


 本陣で秀吉と二人きりで居ると、そう話しかけられた。


「戦の後のこと? 戦後処理か?」

「違う。孫市――雑賀衆の扱いだ」

「降伏したんだから織田家家臣になるんじゃないか?」

「もしくは織田家の誰かの組下――丹羽さまかもしれん。そこに組み込まれるかもな」

「それがどうしたって言うんだ? 直臣になれなくても丹羽さまの組下なら不満は出ないだろう? なんと言っても織田家の中でも指折りの地位にあるし」

「ああ。はっきり言って名誉なことだ。しかし――自由を好む孫市は、はたして受け入れるだろうか?」


 ハッとした思いで秀吉を見つめる。

 笑うことなく真剣な表情のまま、続けて言う。


「直臣でも組下でも、断りでもしたならば、今度こそ根絶やしにされるだろうよ」

「そんな……どうにかならないのか?」

「今、このようなことをおぬしに話した意図、分かるか?」


 僕は――気づいてしまった。


「…………」

「黙ったということは、察したな。勘の鋭いところはおぬしの美点よ」

「……孫市のところに行ってくる」


 秀吉は頷いた。何もかも分かっているように。

 本陣を出て孫市が居る陣へと向かう。外で人が殺し合う音が続いている。次から次へと新しい人間が参加しているのに、音は大きくならない。次から次へと亡くなっていくからだ。

 孫市の陣には雑賀衆が何人か見張りで居た。僕は「孫市殿は居るか?」と訊ねる。


「頭領なら中に居るよ。何の用だ?」


 見張りの一人が横柄に言う。


「話したいことがあるんだ。中に入っていいか?」

「ちょっと待ってくれ。聞いてくる」


 しばらく待って中に入っていいと言われた。

 陣中に入ると孫市が正面に座っていた。左右には蛍さんと小雀くんが控えていた。


「おう。何の用だ雲之介?」

「確認したいことがあってな」


 単刀直入に用件を切り出すと孫市は眉をひそめた。


「確認したいこと? なんだよそれ」

「この戦が終わったら、どうするつもりだ?」


 曖昧な訊き方だったけど、意味は通じたらしい。

 孫市は「雑賀衆は織田家に任せる」と何の迷いも無く答えた。


「俺はこいつら連れて旅に出ようと思っている。それがどうかしたか?」

「もし織田家の直臣になれと上様が言われたらどうするんだ?」

「そんなもん従う義理はねえよ。雑賀衆を預けたら後は知らん」

「……それでは駄目なんだよ」


 自分の置かれた立場をまるで分かっていない。

 頭を抱えたくなるような思いだ。


「駄目ってなんだよ? 大将の俺が居なくても雑賀衆は機能するぜ?」

「雑賀衆に『雑賀孫市』がいて、織田家に従っているという事実は必要なんだ。それこそ自由気ままに生きられたら織田家が困る」

「……俺は宣伝のための看板か何かか?」

「そう思ってくれて構わない。とにかく織田家に降伏したのなら、それなりに立場を弁えてもらう」


 別に圧力をかけているわけではない。事実を事実のまま話しているとしか言いようがない。

 蛍さんがこちらを殺気を込めた目で見ているのは分かっていた。小雀くんが不安そうな目で蛍さんと僕を交互に見ているのも分かる。

 孫市が僕に見定めるような目を向けている。


「……断る」


 長い時間が経って、孫市が口にしたのは拒絶の言葉だった。


「理由を聞いてもいいか?」

「理由? 分かりきったこと訊いてんじゃねえよ。自由に格好良く生きなきゃつまらねえだろうが」

「……そうだな。そうだろう。お前はそういう男だ」


 利益もなく恐怖もなく、ただ己の生きたいように生きる。

 その結果、死んだとしても後悔はないと信じている男だ。


「だけど、確実に死ぬぞ」

「構わねえよ。死んだら死んで、そんときはそんときだ。でもまあ、ただでは死なねえけどな」

「いや、あんたのことじゃない」


 僕は孫市を生かすために。

 最も残酷で卑怯な手を使った。


「蛍さんや小雀くん、その他の雑賀衆――全員死ぬってことだ」


 それまで余裕だった孫市の顔色がさっと変わった。

 徐々に険しくなっていく。


「……どういうことだ?」

「言葉どおりの意味だ。それ以上でもそれ以下でもない。僕は事実を言っている」


 追い詰めるつもりはないけど、このくらい言わないと分からないだろう。


「上様は苛烈なお方だ。従わない者は皆殺しする。家臣になるのを断れば、あんただけじゃなく、全員殺すだろう。そりゃあそうさ。殺して自分の配下に紀伊国を治めさせる方法もあるんだから」

「て、てめえ……」

「なあ雑賀孫市。僕は思うんだけど――」


 動揺している孫市の目を覗き込む。


「自分の同胞を巻き込んで死ぬって、最高に格好悪いよな。あんたもそう思わないか?」

「――っ!」


 そのとき、蛍さんが音もなく僕に近づいてきた。

 そして――思いっきり僕の頬を殴った。

 地面に倒れてしまう僕。


「頭領を、脅迫するなんて! 少しは信用してた私が馬鹿だったわ!」


 僕は顎を伝う血を拭った。唇が切れていた。


「脅迫じゃない。忠告だ。僕はもしもの話をしている。上様の前で断ってしまったらどうなるかの仮定の話だ」

「だからって……!」

「――やめろ蛍」


 いつになく厳しい声の孫市。蛍さんは何か言いたそうだったけど、元の位置に控えた。

 小雀くんはおろおろした表情で様子を伺っていた。


「言うじゃねえか。そうだよな。確かに格好悪い」

「頭領!」

「まあ待て蛍。でもな、自由でなければ生きる意味はねえと思ってる。それは代わりねえよ」


 孫市は深く溜息をして、僕に言う。


「なあ雲之介。どうしたらいいと思う?」

「言ったらそのとおりにするのか?」

「するかしないかは俺が決めるさ」


 孫市は腕組みしながら蛍さんと小雀くんを見た。


「織田家の家臣にならずにこいつらを守れて、なおかつ俺が自由になる方法ってあるのか?」

「あるよ」

「そうだよなあ。あるよなあ……ってあるのかよ!?」


 孫市がその場でひっくり返ってしまった。

 蛍さんと小雀くんは目が点になっている。


「あるなら先に言えよ!」

「今までの話をしなかったら、言うこと聞かないだろう?」

「だからってよ……」

「僕がここに来なくて、あんたが上様の命令を断ってたら、みんな殺されるかもしれなかったよ?」

「そ、それは……そうかもしれないが……」

「それで、その方法だけど――」


 僕の考えを言うと孫市はあっさりと了承した。特にこだわりはないらしい。

 本当に世話が焼けるのと同時に、秀吉の先見性には頭が下がる思いだ。




 土橋守重はこちらの雑賀衆の銃弾で死に、指揮官を失った敵の雑賀衆はことごとく織田家に降伏した。

 紀伊国は織田家のものになったのだけど、これで終わりではなかった。惣村の多い治めにくい土地をこれからどう治めるかが重要なのだ。


 僕は紀伊国から離れる寸前、雑賀城で孫市と話していた。


「それで、誰にしたんだ?」

「ああん? そりゃあ誰もが認めて外に出しても恥ずかしくない奴を選んださ」


 笑う孫市だったけど、上座に居る頭領に選ばれた当人――小雀くんは困惑していた。

 流石に話せない彼が雑賀衆を一人でまとめるのは無理なので、蛍さんが補佐に回っている。僕は蛍さんが頭領になるのかなと思っていたが、自分には向いていないと彼女は言っていた。


「しかし上手い手を考えたもんだ。今回の件で俺は頭領から隠居。代わりに新しい頭領を立てて、織田家家臣として仕えさせる。筋は通っているな」


 それを聞いた新頭領、雑賀小雀くんは迷惑だと言わんばかりに腕を振り回していた。


「それであんたは鈴木孫市になったんだな」

「昔に戻っただけさ。大して変わらねえ」


 そして遠くを見つめる目で孫市は言う。


「こういう冴えたやり方なら、土橋の野郎も死なずに済んだのかもな」

「……よっぽど気に入っていたんだな。土橋のことを」

「違えよ。ただ何も死ぬことはねえって思ったんだよ。お前と一緒でな」


 そして最後に孫市は言う。


「あんたには世話になったな。礼を言う」

「なんだよ。改まって」

「もしも雑賀衆の力が必要ならいつでも言ってくれ。必ず助ける」


 僕は笑いながら「ありがたいね」と応じた。


「それじゃあ、僕が窮地に立たされたとき、助けてもらおうかな」

「ああ。約束する。誓ってもいいぜ」


 こうして紀州攻めは終結した。

 この一連の戦によって、織田家の武威は高まり。

 本願寺の勢力が弱まることとなった。

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