第141話酒は吞んでも吞まれるな

 重要な話をするので、場を改めた。

 僕が住んでいる宿所に移動し、黒田官兵衛とその家臣、栗山善助、母里太兵衛の三人の話を聞くことにする。

 とりあえず黒田と僕で話そうとしたが、義昭さんが面白がって同席してしまった。

 上座に義昭さん、その斜め右に僕、反対側に黒田が座った。ちょうど義昭さんを頂点とする三角形の配置だ。


「あんたが雨竜殿か。噂は聞いているぜ。猿の内政官って言えば有名人だもんな」


 口調を崩していいと僕が言うと、黒田は巷の悪ガキのように話し出した。


「ほう。ちなみにどんな噂ですか?」

「主に播磨の商人が言ってたけどよ。京の商人と取引するとき、必ずあんたの名前が出る。ま、畏れられてるって思ってくれて結構だ」

「ふうん。悪い噂じゃなければいいか……」


 黒田は「そこの人は何者だ?」と疑わしい目つきをする。

 どうやら義昭さんのことが気になるみたいだ。


「私はただの隠居だ。置物として扱ってほしい」

「その歳で隠居だと? どこか身体をおかしくしてんのか? でも団子あんだけ食ってたからそれはないよな」

「ふふふ。隠居と言っても楽隠居だな」


 自分で言っておかしくなったのか、義昭さんは軽く笑った。


「おかしい人だな……まあいい、さっそく本題に入るぜ」

「本題? なんでしょうか?」

「俺を織田信長殿に会わせてほしい。平たく言えば取り次いでくれ」


 播磨国の小寺家は大名ではあるが、勢力は大きくない。

 そんな大名の家臣が上様に何用だ?


「いろいろ考えているようだけどよ。俺の目的を聞けば必ず会わせてくれるだろう。良い話だぜえ」

「……聞かせてください」

「播磨に隣接する摂津は織田家の領土だ。しかし小寺家は中国の覇者、毛利家と縁深い。ここまで言えば分かるだろ」

「つまり、小寺家は織田家と手を結ぶと?」

「手を結ぶ、じゃねえな。事実上傘下になるんだからな」


 その話が本当なら、毛利攻めの拠点が手に入る。それどころか西国攻略の足がかりになる。


「しかし、よく小寺家がそのような決断をしましたね」

「この俺が説得したからな。大変だったぜ? 主君の小寺政職さまは日和見主義のどうしようもない人だ。どんだけ道理を説いても頷かなかった」

「主君の陰口を言うものではないですよ?」

「おや。意外と潔癖なんだな。分かったよ、もう言わねえ」


 僕は「あなたの話で分からないことがある」と黒田に聞く。


「小寺家の利益がない。どうやって説得したんですか?」

「はあ? 織田家に従えば家は存続できるだろ?」

「道理としてはそうだが、利益がない以上、人は簡単に頷かない。日和見主義なら尚更だ」

「…………」

「目に見えた利益がない。加えて毛利家に従うという選択肢もあったはず。もう一度聞きます。どうやって説得したんですか?」


 黒田はにやりと悪そうに笑った。


「なかなかどうして、鋭いな。流石に西国まで名の通るお方だ」

「質問に答えてください」

「……簡単に言えば、騙したんだ」


 騙した? どういう意味だ?


「重臣たちに賄賂を贈ったり、あるいは説き伏せて、ほとんどの賛同を得られたときに評定で提案して、殿が考える間も与えず、強引に合議で決めた」

「……まあそれは卑怯でもなんでもないですし、むしろ上手くやったなと思いますが」

「ほう。賄賂を認めるのか?」

「商人たちは普通に使ってきますしね。一回、ひで――羽柴さまと相談したら、数割ほど城に納めるなら貰って良いと昔言われました」

「なかなか柔軟だな。羽柴さまは」


 しかしこれでますます分からなくなった。


「では、黒田さんの一存で織田家への傘下が決まったわけですね。しかし、どうして織田家を?」

「天下統一に一番近いし、当主の器も格上、重要な土地である近畿を手中に収めている。理由ならざらにある」


 だとしても親交のある毛利家を選ぶのが、普通の思考だろう。

 目の前の黒田は普通ではないのか?


「それで、織田信長殿に取り次いでもらえるのか?」

「せっかちだな……覚慶さん、どう思います?」


 義昭さんに水を向けると「良いんじゃないか?」と気のない返事をした。


「しかし、その前に羽柴殿に取り次いだほうがいいだろう。そなたは陪臣だからな」

「そうですね……黒田さん。ひで――僕の主君は明日岐阜城に来る。今日はここで休んでください」

「ああ。ありがてえ。そうさせてもらうよ」


 僕は立ち上がり「岐阜城に帰りますよ、覚慶さん」と言う。


「えー? もう少し良いではないか」

「僕はやっぱり村井さんに押し付けた仕事をしなきゃいけないと思うんです。だから僕も行きますから、一緒に帰りましょうよ」

「真面目だなあ。あのぐらいあやつはこなすと思うが」


 なかなか腰の重い義昭さんを説得して、ようやく同行することを了承させた。


「本当に何者なんだあんた? まさか織田家の一門衆か?」

「いや。そうではない」


 黒田は最後まで正体が分からないようだった。

 客間に行って雪隆くんたちに出かける旨を言おうとすると――


「ぷっは! これでどうだ!」

「ま、負けた……」


 酒盛りをしていた。しかもどれだけ吞めるかの勝負を雪隆くんと母里がしていた。


「はっはー! 真柄雪隆、敗れたり!」


 母里という男は相当強いらしい。雪隆くんはそれほど弱くないはずだ。

 島と栗山は呆れた様子で二人を見ている。


「おいおい。何やってんだ太兵衛。善助、どういう経緯でこうなったんだ?」

「……いつもの流れですよ。太兵衛が挑発して、真柄殿が乗ってしまいました」


 やれやれ。雪隆くんは二日酔い確定かな?

 僕は島に出かける旨を言おうとすると――


「へへ。織田家はたいしたことねえなあ」


 母里のそんな言葉が聞こえた。

 これは少し灸をすえなければいけない。


「よし。じゃあ次は僕と勝負しよう」


 母里の前にどかりと座る。

 すると母里は目を丸くして――大笑いした。


「あははは! やめておけよ。あんたみたいなひょろひょろじゃ勝てねえぜ?」

「……どんだけ吞んだんだ?」

「ああん?」

「言い訳になっちゃうもんな。だから雪隆くんと勝負したのと同じくらい吞まないと」


 母里は少しためらったが「そこの一升樽二個だ」と言う。

 なるほど、確かに四個ほど空が転がっている。


「島、一升樽くれ」

「と、殿? いいのか?」

「いいから、くれ」

「……分かった」


 島は一升樽を開けて僕に渡す。

 僕はそれを一気に飲み干した。


「うええええ!? マジかよ!?」


 母里だけではなく栗山も黒田も驚いた。

 渡した島も目を丸くしている。


「……次の樽、くれ」

「わ、分かった……」


 もう一個も飲み干した僕。

 そして母里に言う。


「なんだ真っ青な顔になって。酔いが覚めたのか? おお、有利じゃないか。良かったな」

「こ、こいつ……」

「さあ、始めようか……」


 僕は落ちていた杯を掲げた。

 母里も同じようにするが、震えていた……




「も、もう許してくれ……」

「何言っているんだ? まだまだ序の口だぞ?」


 青を通り越して白くなった母里の杯に酒を注ぐ。


「頼む……もう吞めねえ……」

「情けない……今度から相手見て喧嘩するんだな」


 ここまでにしておくか。

 僕は余裕で立ち上がり「行きますよ」と義昭さんに言う。

 義昭さんは「よくぞやったな!」と喜んでいた。


「酒が強いとは思わなかったわ! 天晴れだ! 雲之介!」

「お褒めの御言葉、感謝いたします」


 振り返るとまるで化け物を見るような目のしらふの三人。


「と、殿がこんなに強いとは……」

「太兵衛が、あの太兵衛が酔い潰れるなんて……」

「とんでもねえなおい」


 その後、義昭さんを送り届けて、仕事をしようとしたが、頭が回らなかったので、結局できなかった。

 次の日。二日酔いに苦しむ雪隆くんと母里の世話をしつつ、僕は秀吉に黒田を紹介した。

 上様に会えるかどうかは、黒田次第だ。

 できることなら成功してほしいが……

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