第140話目薬屋

 武田家との戦に勝利したとはいえ、滅びたわけではない。まだまだ強大な軍団を擁しているのは純然たる事実だ。上様は武田家の領地に攻め入ることは無く、岐阜城に引き上げた。

 そして二ヶ月ほど岐阜城に僕と秀吉は滞在することになる。僕の役目は戦後処理で、秀吉は今後の織田家の方針を決めるべく会議に参加していた。

 ま、秀吉の場合は長浜と行き帰りしていたようで、岐阜城に戻るたびに、はるたちの様子を教えてくれた。どうも、かすみが本格的に万福丸に言い寄られているらしい。話半分に聞こうと思っているが、もし事実なら自分を抑える自信がない。


「雲之介さんも子煩悩だな」

「まったくだ。前のように気まずくなるよりはマシだが」


 僕にあてがわれた岐阜城内の仕事部屋。

 雪隆くんと島も残ってくれて、僕の仕事を手伝っていた。

 いや、雪隆くんの場合は馬場信春を討ち取ったことで、上様から気に入られたという事情もある。

 上様には真柄直隆の息子だと伝えたが「で、あるか」の一言しか言わなかった。

 ちなみに褒美として感状と具足を賜った。しばらく森長可くんに自慢していて、本気の殺し合いになっていた。


「うるさいな。娘のことを心配するのは当然だろ?」

「過保護になりそうだから、言っておいたんだ。しかしあのかすみ――姫が言い寄られるとは。月日が経つのは早いな」


 しみじみと言う雪隆くん。まだ若いのに爺臭いことを……


「雪隆くん、次の帳簿持ってきてくれ。島も確認は終わったか?」


 手を休めずに指示を出すと「殿。俺はこういうの苦手なんだが……」と困り顔の島。


「慣れないといけないよ。いずれもっとやることになるんだから」

「嫌になるな……うん? いずれ?」

「ああ。僕もいずれ、城持ち大名になるかもしれないしな」


 算盤を弾きつつ、戦費を計算する……武田家と戦なんてするもんじゃないな。後五回もやったら織田家、破綻するぞ……


「……今さらりと言わなかったか?」

「うん? 城持ち大名のこと? そんな変な話じゃないよ」


 島は僕を凝視している。雪隆くんは帳簿を脇に置いて正座をした。

 僕は算盤を弾くのをやめて、二人に言う。


「一門衆になったしね。それに自分でも言うのもなんだけど、これから戦がなくなる時代が来る。そうなったら内政官の僕が城を任される可能性は高くなるだろう?」

「まあ理屈ではそうだが……殿、そうなれば陪臣ではなく、直臣になるということなのか?」

「いや、それはないだろう。あくまでも秀吉の家臣として城を任されると思う」


 すると雪隆くんは「雲之介さんの羽柴さまに対する忠誠心は高いな」と呆れたように言う。


「直臣になればもっと禄や知行が増えるだろう? どうしてだ?」

「ああ。俺も聞きたい。殿はどうして直臣にならない?」


 二人は真剣な顔をしている。

 僕は溜息を吐いた。


「じゃあ二人は、僕ではなく上様に仕えられたら、そうするかい?」


 二人は顔を見合わせた。


「いや。そうしないが……」

「俺もしないな」

「だろう? 僕も同じ気持ちだよ」


 これで二人は納得したようだった。

 手を鳴らして「さあ仕事を再開してくれ」と命じる。


「今日中になんとかしないと京から処理のために来てくれた村井さんに迷惑が――」


 言い終わらないうちに障子が開いた。


「雲之介。そなた暇か?」


 そこには先の征夷大将軍、足利義昭さんが居た。

 雪隆くんと島が平伏する。僕も同じようにしようとすると「良い。そのままで」と寄って来る。


「なあ。雲之介。城下町に行こう」

「義昭さん……僕仕事中ですけど……」

「ならその仕事を村井がやれば暇だな」

「…………」

「さあ行くぞ」


 義昭さんは強引だなあ。

 しかし元とはいえ公方さまの命令には逆らえない。

 僕は村井さんに仕事を渡して――真っ青になっていたのは見なかったことにしよう――雪隆くんと島も連れて、城下町に行くことにした。


「いやあ。岐阜の町は良いな。京には劣るが、町の者が生き生き働いている」


 にこにこ笑いながらのん気に歩いている義昭さん。


「義昭さんも生き生きしていますね……」

「まあな。重荷が取れて、毎日が楽しいよ」


 その分、僕たちは大変なんだけどなあ。

 でもまあこんな義昭さんは見ていて安心する。

 前は張り詰めていたから。


「おお。いつもの茶屋で団子を食べよう」


 義昭さんはお気に入りの茶屋に真っ先に入っていく。

 中に入ると、義昭さん以外には三人の旅人しか居なかった。

 大柄な男と商人風の男二人の三人組。売り物は……目薬か。


「何をしておる! さっさと座らぬか!」


 僕たちが席に座ると「女将、いつものな!」と慣れた様子で注文をする。


「草二つにあんこが三つですね。そちらの方は?」

「あんこを一本ずつ……ちょっと食べすぎですよ?」

「良いではないか。ここの団子は美味しい」


 女将は「あらやだ! 団子一本付けておくわ!」と世辞を真に受けてしまう。


「よしあ――覚慶さん。あまり騒がないでくださいよ?」


 用心のために、義昭さんとは言わない。

 団子を食べつつ、僕たちは会話する。


「すまぬな。しかし、太平の世となったらこの町のような平和が日の本に訪れるだろう。それが楽しみで仕方ないな」

「そのために頑張ってはいますが……昨今の情勢は厳しいです」


 そう。同盟だった毛利も本願寺に唆されて敵に回ったし、北の上杉も比叡山の焼き討ちで敵に回った。この二国は領土が離れているから、今のところ問題ないが……


「でもまあ武田に勝ったではないか」

「勝ったというか防いだだけです。領土は増えていません」


 あまり否定したくはないが、現実は受け入れなければいけない。

 織田家の利益にならなかったのだ、長篠の戦いは。

 だからこうしてやりくりに奔走している。


「ぬう。そうか」

「しかし、これからどうなるにせよ――」


 言葉を続けようとしたときだった。


「もし。その武家殿」


 振り返ると、商人風の男と大柄な男が後ろに居た。

 もう一人の男はお茶を啜っている。


「何用か?」

「織田家家臣と見受けられるが、いかがか?」


 僕は雪隆くんに目配せした。

 いざとなれば義昭さんを守るようにという意味だ。


「ああ、そうだが? 何者だ?」

「私は栗山善助という。こちらは――」

「名前ではなく、何者かと聞いたのだが」


 すると大柄の男が「俺らが何者でもいいだろう」とぶっきらぼうに言う。


「あんたが織田家で、信長公と話せる立場なら、頼みたいことがあるんだ」

「内容によるが……素性を明かさない人間は紹介できない」


 僕は「出ましょう」と義昭さんを急かす。


「待ってくれ。後二本……」

「おいおい。逃げるように出て行かなくてもいいじゃねえか」


 大柄の男が僕の肩に触れようとする――ばしんと雪隆くんが叩いた。


「……何すんだ?」

「それはこっちの台詞だ。汚い手で触るな」

「ああん? 汚くねえよ! 厠行ったら必ず洗うぞ!」


 そういう意味ではない。


「頭が足りないのか? まあいい、表出ろ!」

「ああいいぞ! やってやんよ!」


 雪隆くんは普段は静かなのにすぐに熱くなるなあ。


「やめるんだ。二人とも。喧嘩なんかしたら『互いの家』の格が知れるぞ」


 これは罠だった。おそらく武家だと思うが……確信が持てなかった。


「てめえ! 黒田家を舐めてるのか!」

「……黒田家? なんだ、やっぱり武家だったのか。ならなんで商人風の装いをしているんだ?」


 その言葉に大柄の男は口を押さえた。

 栗山と名乗った男は片手を頭に付ける。


「……太兵衛。お前そんな簡単な手にひっかかるなよ」


 呆れたように言うのは、椅子に座っていた男。

 立ち上がって僕に顔を見せる。


「ご無礼、勘弁願いたい」


 一目見て、賢そうだと思わせるような、顔立ち。目がでかく鼻が小さい。自信たっぷりな表情。無精ひげが目立つ。武家というより、強かな商人のような雰囲気。


「あなたは、何者だ?」

「申し遅れました、私は――」


 その男は、にこやかな顔で言った。


「播磨国大名、小寺家家臣、黒田官兵衛孝高といいます」

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