第142話二人の軍師、邂逅

「黒田という男、なかなか賢い男だな。まるで半兵衛のようだ」


 秀吉は上様に黒田を引き合わせたらしい。織田家の次の戦略を考えれば播磨国の大名の力は確かに必要だ。当然と言える。

 僕たちは上様と面会している黒田を待っていた。何でも成功したら長浜に招待すると秀吉が約束したのだ。

 目的は先ほど名前が出た半兵衛さんに会うことらしい。


「大丈夫かな? 口が悪いから上様の機嫌を損ねなければいいけど」

「あれはあれで場を弁えるだろうよ。ところで仕事は終わったんだろう? 一緒に長浜に帰るぞ」

「うん。分かってる。雪隆くんと島にも言っておいたから、大丈夫だ」


 そんな会話をしていると城の中から黒田が出てきた。

 手には立派な刀を携えている。


「おう。黒田殿。上様から、その刀を頂いたのか?」

「ああ。秀吉殿。よく分からねえが、名刀らしい。雨竜殿、知ってるか?」


 僕は刀を見せてもらった。刀に対して審美眼はないが、この刀は一目で分かった。


「圧切長谷部だ……上様秘蔵の名刀だ!」

「ほう。あの名刀を賜るとは。気に入られたようだな」


 黒田はよく分かっていない様子で「へしきり、はせべ?」と首を傾げた。


「長谷部国重が打った名刀で、圧切の名は茶坊主を切ったときに名付けられた……そうだな? 雲之介」

「うん。善棚に逃げ込んだ茶坊主を隙間から圧し切ったのが由来だ」


 それを聞いた黒田は「……物騒な由来だな」と呟いた。


「まあいい。とにかく信長公に気に入られたのは収穫だ。それじゃ秀吉殿、長浜城に案内してくれ」

「いいぞ。おぬしの家臣たちは雲之介の家臣と一緒に待っているはずだ。まずは迎えに行こう」


 というわけで播磨国の大名、小寺と誼を通じることができた。

 このときは他人事だと思っていたけど、後に大きく関わることになるとは思わなかった。

 なぜならば、中国に攻め入るとしたら、摂津国の武将の仕事だと思い込んでいたからだ。

 その思い違いが大きな禍根になるとは……




 北近江、長浜城――


「ここが長浜城か! 琵琶湖を利用した守り、見事だな!」


 自分のやった仕事を手放しに褒められるのは嬉しい。


「見る眼があるな。伊達に小寺の家老をやってはいない」

「ふふふ。まあな。それで竹中殿はどこだ?」


 きょろきょろと周りを見る黒田。登城はしているはずだから、居ると思うが。


「どうしてそんなに会いたいんだ?」

「愚問だな。軍師を志す者にとって、今孔明と名高い竹中半兵衛は憧れだ」


 黒田はにやりと笑う。


「何でも物静かに策を練る、誠実で男らしい人物と聞いている」

「…………」


 その言葉に僕は何も言えなかった。

 傍に居た秀吉も言えなかった。雪隆くんも島も言えなかった。


「ああん? どうしたんだ? まるで『なんでそうなった!?』みてえな顔をしてるけどよ」

「おい、太兵衛! 失礼だぞ! すみません、分別のつかない男でして……」


 母里と栗山が何か喚いているが、僕はどうしようか悩んでいた。

 だって現実は、やかましく策を練る、意地の悪い女みたいな人物だから――


「あら。秀吉ちゃんと雲之介ちゃん。いつ帰ったの?」


 噂をすれば影というのは本当らしい。いつもの女姿の半兵衛さんが城の中から出てきた。

 化粧もばっちりで、肌の白さも相まって、見た目には女としか見えない。

 隣には正勝も居て「殿! それに兄弟!」と手を挙げた。


「あ、ああ……二人とも、どうしたんだ?」

「うん? 仕事のついでに城下で飯食おうと思ってな。それよりどうした? 複雑そうな顔をしているが?」

「それに誰よ? その三人組は」


 正勝の兄さん、どうしてそんなに鋭いんだ?

 それに半兵衛さんは目聡い!


「こちらは播磨国の大名、小寺家の家老の黒田官兵衛孝高さんとその家臣の方々だ」

「ふうん。播磨国の小寺家ねえ……織田家と毛利家、どっちに着くか決めたのね」


 いつも通りの頭の冴えを見せる半兵衛さん。

 正勝が「どういうことだ?」と訊ねた。


「正勝ちゃん。決まっているでしょ。織田家と毛利家が敵対しているの。その両家の間にある大名はどっちに着くか決めなきゃいけないのよ。自分の家を保つために」

「じゃあなんで織田家なんだ? 近いのは毛利家だろ?」

「近畿を押さえている織田家のほうが有利と見たんでしょ。そうよね? 黒田ちゃん。ていうか、あなたの策で合ってるわよね」


 黒田に水を向ける半兵衛さん。

 すると彼は「……あなたは何者だ?」と警戒している。


「俺の考えをそこまで読み、なおかつ策を考えたのが俺だと……」

「小寺家の当主は優柔不断って聞いてたし、あなたのことも注目してたわ」


 半兵衛さんはにこにこ笑いながら言う。


「あなたみたいな男が――あたしの後継者だと良いわね」

「後継者……?」


 不思議そうな顔をする黒田。

 半兵衛さんは秀吉に「あれ? そのつもりで連れてきたんじゃないの?」と問う。


「雲之介ちゃんはともかく、秀吉ちゃんはそう考えていると思ったけど」

「……はあ。おぬしには勝てんわ」


 苦笑する秀吉は企みを白状した。


「半兵衛と会わせて、説得させれば、心強い軍師として加わってくれると思ったが」

「秀吉ちゃんは計算高いわねえ。でも残念。あたしはもっと計算高いの」


 半兵衛さんは「行きましょ、正勝ちゃん。雲之介ちゃんもどう?」と先を行こうとする。


「ま、待てよ! も、もしかして――」


 黒田は半兵衛さんに向かって喚いた!


「あ、あんたは、竹中半兵衛の身内か? 竹中殿の知恵を間接的に伝えようと――」

「はあ? なんで『あたし』がそんな面倒なことしなくちゃいけないの?」


 半兵衛さんは黒田に「結構鈍いわね」と笑いかけた。


「そんなんじゃ、軍師として大成しないわよ? 官兵衛ちゃん」

「ど、どういう――まさか!?」


 やっと気づいた……いや、噂の印象を思い込んでいたから、遅くなったんだな。


「あたしが竹中半兵衛重治よ」


 その言葉に黒田も栗山も母里も驚愕した。


「よろしくね、官兵衛ちゃん」


 そう言って、半兵衛さんは片目を閉じた。




「まったく! 西国だとそんな噂になってるの!? 信じられないわ!」


 半兵衛さんは怒っていた。どうして怒るのかというと、自分とはまったく異なる噂が一人歩きしているのに憤りを感じるらしい。


「……俺が、憧れを抱いた、あの天才軍師が」

「殿! 気を確かに!」

「よくあるって! そんなに気を落とさないでくれ!」


 黒田がかなり落ち込んで、家臣がそれを慰める光景を見ながら、僕は飯屋のご飯を食べていた。

 飯屋の者は戦々恐々としていた。治めている城主の重臣が三人も居るのだから。

 ちなみに雪隆くんと島は僕の屋敷に向かった。帰ってきたことを知らせるためだ。


「あっはっは! 半兵衛が西国でそんな風に言われてたのか! こりゃ傑作だ!」

「正勝ちゃん! 酷いわよ! 笑わないで!」

「そりゃあ、真逆だもんなあ」


 僕はそう呟くと「どうしてそうなっちゃったのかしらね?」と半兵衛さんは首を捻った。


「それで、いつまで衝撃受けているのよ! しっかりしなさいよね!」

「……あんたに聞きたいことがある」


 家臣の力を借りて立ち上がる黒田。


「稲葉山城を十六人で乗っ取ったのは、本当か!? 嘘だったら容赦しないぞ!」

「容赦って……ええ、本当よ。間違いないわ」

「僕も保証するよ。こんな成りだけど半兵衛さんは天才だ」


 それを聞いて少しだけホッとする黒田。


「乗っ取った理由が、奸臣に小便かけられたってことだけど」

「ぐふう!?」

「ああ! 殿!?」


 からかうつもりで言った何気ない事実に、黒田は心に多大な傷を負った。


「ちょっと雲之介ちゃん。本当のこと言わないの」

「ほ、本当なのか……」

「殿が、弱まっている!? もうやめてくれ!」


 なんか楽しいな。


「兄弟。やめてやれよ。憧れがこんなんだと知ったんだぜ?」

「うん。もうやめるよ」

「あんたたち……覚えてなさいよ?」


 僕と正勝を睨む半兵衛さん。


「どうして、そんな格好をしているんだ! 異常じゃないか!」


 黒田がとうとう怒り出した。


「異常って何よ? 失礼しちゃうわ」

「じゃあなんで……はっ!? そうか、竹中半兵衛だと見破れないように、変装を――」


 ここで僕と正勝、半兵衛さんは奈落へ落とす一言を言った。


「いや。半兵衛さんの趣味だ」

「こいつの趣味だよ」

「あたしの趣味なんだけど」

「――ぐふっ!」


 黒田はあまりのことに泡吹いて倒れてしまった。


「殿! 殿!」

「ひでえ! あんまりだ……」


 なんか不憫だなあ……


「そんなことより、次の戦、始まるわよ」


 半兵衛さんがひそひそ声で僕に言う。


「どこだ? どこを攻めるんだ?」

「越前よ」


 半兵衛さんは短く言った。


「一向一揆に奪われた、越前国を取り戻すのよ」

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