第十八章 武田

第136話来る者去る者

「はあ? この人を家臣として雇ってほしいって?」

「……うん。お願いします」


 僕が雇っている忍び、なつめが屋敷に男を連れてきたと思ったら、いきなり変なことを言い出した。

 なつめは隣に居る猿楽師の装いをした男を指差しながら「変な人だけど使えるから」と申し訳なさそうな顔で言う。

 屋敷に居たのは僕だけではない。雪隆くんと島も居た。

 そして当人である猿楽師の男は興味深そうに屋敷をきょろきょろ見ている。


「えーと、どういう経緯でそうなったんだ?」

「……あなたに任されていた任務の途中で、この人に忍びだって見破られちゃって。それで、いろいろと根掘り葉掘り聞かれたのよ。もしこの人に私が探ってたことを言いふらされると困るのよ」

「……口の軽い忍びだな」


 島が呆れたように言う。僕も同じ気持ちだった。


「それで、その人――名前はなんだい?」


 僕の問いに猿楽師の男は答える。


「ああ。俺は大久保長安といいます。見てのとおり、猿楽師で生計を立てていました」


 うーん、大久保長安か。

 僕よりも少しだけ年上か同い年くらい。賢そうな顔つきだが武芸に秀でている感じはしない。武家奉公をしたことがあるのは、素振りで分かった。


「それで、大久保さんはどうしてなつめが忍びだと分かったんだ?」

「そりゃあ所作で分かりますよ。これでも前に仕えていた家で、忍びは散々見てきましたから」

「前に仕えていた家? どこだ?」


 大久保さんは「あんまり言いたくないのですが」と言い辛そうだった。


「言えないのならお引取りを。なつめ、この人に帰りの路銀を――」

「ああ! 言いますよ! 俺は武田家に仕えていました!」


 武田の名を聞いて雪隆くんが抜刀して大久保さんの喉元に突きつける。

 大久保さんは慌てた様子で「待ってくださいよ!」と大げさに騒ぎ立てる。


「もう辞めましたから! それと間者とかじゃなくて!」

「……詳しく聞かせてもらおうか」


 島もかなり警戒しているようだ。殺気が物凄い。


「ええと、実は暇をいただきましてね」

「暇か。それはどうしてだ?」

「俺は元々猿楽師として今は亡き信玄公に仕えていましたが、内政の才を認められて、土屋家の与力として働いていました。けど勝頼さまに疎んじられまして、仕方なく猿楽師に戻って三河で暮らしてたんですよ」


 早口で事情を説明する大久保さん。

 うーん、嘘か本当か分からないな。

 でも嘘なら武田家に仕えているなんて言うはずないか。別の家にするはずだし。


「大久保さん。あなたの得意なことはなんですか?」

「算術が得意です。それと鉱山に関する知識があります」


 甲斐の金山は有名だ。もしも本当にそこで働いていたのなら優秀かもしれない。


「雲之介さんは猿の内政官と呼ばれるほどの実力者だ。内政官は二人も要らないと思うが」

「いや、だからこそ俺が仕える価値がある」


 大久保さんは雪隆くんの言葉や刀を無視して、僕に訴えかける。


「今のご時勢、槍働きの上手い人間が出世する。しかし織田家の天下が近づくのであれば、今度は世を治める力が必要だ。その力が俺にはある」

「口は上手いようだな。殿、俺はこの者を信用できない」


 島が厳しい目で見ている。

 僕は「算術が得意と聞くが」と訊ねた。


「金と銀、そして銅がそれぞれ袋に入っているとする。その三つの袋は八千四百貫で取引される。ではそれぞれの金属の重さは何匁だ? ただし金一匁は千二百貫、銀一匁は六百貫、銅一匁は三百貫で、それぞれの重さは同じだけあるとする。この問いを答えてくれ」


 突然の問いに雪隆くんと島、なつめが何も言えない中、大久保さんだけが「それぞれ四匁ですね」と即答した。

 うん。千二百貫足す六百貫足す三百貫は二千百貫。それで八千四百貫を割れば、各々の重さは出る。

 僕は腕組みをして「それではこうしよう」と提案した。


「僕の家財を大久保さんに預ける。それを運用してほしい。増えた分の三割を大久保さんの取り分にしていいよ」

「はあ!? 雲之介さん、自分が何を言っているのか、分かっているのか!?」


 信じられないという顔で雪隆くんは喚いた。


「うん? 分かっているよ。ああ、安心してほしい。君たちの俸禄とは無関係だ。あくまで僕の家財だけ」

「分かっていないだろう! 自分の財産を、相手に預けるってことだぞ!?」


 僕は「もし騙し取られてもまた増やせばいいしね」と大久保さんを見つめる。

 大久保さんは「どうして三割なんですか?」と不思議そうな顔で訊ねる。


「一割とか二割だと大久保さんにとって旨みがないし、四割五割だと渡しすぎな気がする。だから三割が妥当だと思ったんだけど」

「なるほど。納得しました。では期間はどのくらいですか?」


 僕は「半年間やってほしい」と言う。


「その間、屋敷の出入りは自由だ。ただし家族に手出ししないように。半年間、誠実にやってくれたら正式に家臣として加えよう。いいかな?」

「分かりました。ではその条件でいいですよ」


 このやりとりを見ていて島は「本当に大丈夫か?」と僕に言う。


「家財を持ち逃げされでもしたら――」

「そのときはそのときだよ」


 これで話は終わった。島は最後まで不満そうだった。

 そして残ったなつめに訊ねる。


「弥八郎のこと、調べたんだろう? 素性は分かったのか?」

「ええ。全て分かったわ」


 なつめは居ずまいを正して、僕に報告した。


「弥八郎は――徳川家の者よ」




 僕は長浜城に自分の仕事場に弥八郎を呼び出した。


「へえ。一体何のご用でしょうか?」


 弥八郎はきょとんとしている。僕は「徳川家の者だろう?」と単刀直入に言う。


「……どういう意味でしょうか?」

「誤魔化さなくてもいい。調べはついている。あなたは――本多正信なのだろう?」


 弥八郎――本多正信は「よく分かりましたね」と苦笑した。


「一向宗の者は私の身元など誰も知らないのに」

「うん。だから苦労したよ」

「どうして私が怪しいと?」


 僕は見積もりを書いた帳面を正信に見せる。


「意図的に操作してたでしょう? これはすぐに分かった」

「……恐れ入りました。流石、猿の内政官殿ですね」


 観念したように正信は肩を竦めた。


「それで、私をどうするつもりですか?」

「いや。何もしない。きちんと仕事をしてくれたらこちらとしては文句はない。そもそも意図的に操作しなければ、何も言わないつもりだったのに」

「あはは。それは失礼しました」


 笑う正信に僕は「徳川家には戻らないのか?」と訊ねる。


「三河の一向一揆のことは聞いている。もう何年も前だ。もし良ければ口利きしてもいいけど――」

「いえ。それは結構です」


 正信はあっさりと言う。


「素性が分かってしまった以上、ここには居られません。主君の下に帰参しようと思います」

「……そうか。なら餞別にこれをあげよう」


 僕は懐から十貫取り出した。


「路銀代わりにしてくれ。徳川家に戻っても元気でな」

「……出奔を許すだけではなく、餞別まで。恩に着ます」


 正信は大事そうに十貫を受け取って、深く頭を下げて、部屋から出て行った。


「……良いんですか? ここの内政のやり方、盗まれてしまいましたよ?」


 隣の部屋で様子を伺ってくれた増田くんが襖を開けながら言う。その隣には浅野くんも居た。


「さして困ることじゃないさ。今まで働いてくれたし。盗みたければ盗めばいい」

「……その代わりに、本多正信なる者に恩義を着せたというわけですね」


 浅野くんの言うとおり。この恩義はいずれ返してもらう。


「さて。もうすぐ武田家との戦が始まる。鉄砲や火薬の準備をしよう」


 そう。天下分け目の戦が近い。

 その戦には、僕も参加するのだ。

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