第135話人の気持ちを決めるな

 全てを語り終えたのは、もう空が白み始めた頃だった。

 晴太郎は俯いたまま何も口出ししなかった。

 かすみは僕の顔をずっと見ていた。

 はるは僕の手を握っていてくれた。

 誰も何も話さない。僕は咳払いして気まずい中、話を続けた。


「僕は晴太郎が悪いとは思えない。志乃だってできる限りのことをしたんだろう」

「……その悪僧は、どうしたの?」


 震える声で問うかすみ。僕は「殺したよ」と短く言った。


「この手で殺した。報いを受けさせたよ」

「そ、そう、なんだ……」


 かすみは明らかに怯えていた。

 悪人だろうが僧侶を殺したんだ。当然のことだと思う。


「晴太郎。僕はお前が苦しんでいることは知っていた」

「…………」

「でも、お前から言うのを待っていた。どうしてか分かるかい?」


 晴太郎は――横に首を振った。


「それはね。僕から言ってしまえば、とても傷つくと分かっていたからだ。一年と半年前は、まだお前は幼かったからね」

「…………」

「しかし自分から言えるようになったのは、強くなったのだと思うよ」


 慰めにもならないことだけど、これが僕にできる精一杯の優しさだった。


「兄さま……どうして、私にも、教えてくれなかったの?」


 かすみは責めるような口調ではなかったけど、晴太郎はハッとして顔をあげた。

 かすみは、静かに涙を流していた。


「……いつか言おうと思っていた。でも言えなかったんだ」

「……どうして? 兄さま」

「かすみだけには、知られたくなかった」


 晴太郎も涙を流しながら言う。


「俺には、かすみしか居なかった。母さまは、俺が殺してしまったから。そして父さまは――」


 晴太郎はここで初めて、僕を責めるような目で見た。


「父さまが一番大切な人を、奪ったのは俺だ。そんな俺なんか、愛される資格なんていない」

「……そんなことはない」


 僕はできる限り穏やかな言葉で諭す。


「僕は晴太郎を愛している。たとえどんなことがあっても――」

「嘘だ! そんなの、嘘に決まっている!」


 晴太郎は立って、僕に近づいて無理矢理立たせるように胸ぐらを掴んだ。


「信じられるかよ! 母さまを殺したのは俺なんだ! いくら僧に脅されたとしても、殺したのは、俺なんだよ! 今でも母さまを刺した感触が残っている! 母さまの最期の表情が目に写っている! 俺は親殺しの大罪人だ!」


 晴太郎は、ずっと苦しんでいたのか。

 どうして、気づかなかったのか。いや、気づかないようにしていたのか。


「父さまだって、俺のことが憎いんだろう!? 嫌いだってそう言えよ! 愛しているとか、信じているとか、全部嘘だって言えよ! 絶対に俺のことを憎んでいるって――」


 そこまで晴太郎が言ったとき、僕は――晴太郎を殴った。

 初めて、晴太郎を殴った。

 畳の上に倒れる晴太郎。

 悲鳴をあげるかすみ。

 はるは動揺はしただろうけど、何も言わない。


「……僕の気持ちを、勝手に決め付けるなよ、晴太郎」

「…………」


 今度は僕が晴太郎を無理矢理立たせた。

 しっかりと目を合わせる。

 逸らすことなんて、許さない。


「お前が僕をどう思っても構わない。信じなくてもいい。でもな、僕の思いを勝手に決め付けるのは、良くないだろ。お前は――何を恐れているんだ?」

「父さま……許して……」


 晴太郎は怯えていた。悪夢を見た子どものように、震えていた。


「謝るから……もう、そんなこと、言わないから……許して……」

「父さま! もう兄さまを許してあげて!」


 かすみが僕の着物の端を掴んで懇願する。

 僕は晴太郎を放した。


「かすみ。お前もおかしなことを言うね」

「……えっ?」

「僕が許すかどうかじゃない。晴太郎が自分を許せるのかが問題なんだよ」


 すっかり怯えてしまっている晴太郎に、厳しく言う。


「晴太郎。お前は弱い。何故なら母親を守れなかったからだ」

「……と、うさま」

「そして今、僕に対して怯えている。父親から愛されないことに対して恐怖を感じている。だから、弱いんだよ」


 僕は――晴太郎に言う。


「もちろんそうなってしまった原因は僕にもある。志乃を施薬院で働かせたのは僕だしね。だから、僕も責任を取らないといけない」


 僕は脇に置いていた刀の鞘を抜いた。


「今ここで、お前を殺してあげる」


 かすみの行動はほとんど反射的だった。

 晴太郎の前に出て、身をもって庇ったのだ。


「駄目! そんなの、やめて!」

「……どけ、かすみ」

「兄さまを殺さないでよ! なんで殺すのよ!」


 必死の訴えに僕は「こうなってしまったら、晴太郎はもう駄目だ」と応じた。


「もちろん僕も息子を殺したとなれば、生きていけない。安心しろ。後を追って切腹するよ」

「なんでえ、そうなるのよ! 私はどうするの!」


 僕は「雨竜村で暮らせ」と冷たく言った。


「弥平さんも福さんも受け入れてくれるだろ」

「そんな……はるさん、なんとか言ってよ!」


 はるは――首を振った。


「晴太郎は抗わない限り、もう駄目だろう。私もこれで未亡人か……」

「う、ううう……」


 かすみはもう何も言えずに泣き出してしまった。

 僕は上段に構える――


「かすみ、どいて」


 小さな声。掠れているみたいに、小さな声。


「兄さま……?」

「父さま、お願いします。俺は――死にたくない」


 晴太郎は僕に懇願した。


「……どうしてだ?」

「母さまから、貰った命を、父さまに殺させるわけにはいかない」


 晴太郎は泣きながら言う。


「ましてや、父さまを自害させるわけには、いかないんです……」

「…………」

「俺は、父さまのことが大好きなんです」


 晴太郎は滂沱の涙を流しながら叫んだ。


「かすみだって一人ぼっちにさせるわけにはいかない! 俺は一人だって思っていた! 母さまが死んでから、一人きりだと思い込んでいた! でも違っていた! 俺には父さまとかすみが居る! 俺は一人なんかじゃない! だから――」


 晴太郎は懇願するように頭を伏せた。


「だから、死にたく、ない……」


 ようやく、その言葉が聞けた。


「……その言葉を忘れないように」


 鞘に刀を納めて、呆然としている晴太郎とかすみに言う。


「僕は――お前たちを愛しているんだ。だから殺させないでくれ」

「父さま……」

「僕も志乃が死んだことは悲しい。でも、お前たちを失うことも同じくらい悲しいんだ」


 僕は二人に寄って――抱きしめた。


「もう家族を失いたくないんだ。分かっておくれ」


 二人は――僕に抱きついて泣き続けた。

 はるは離れたところで泣いた。

 ようやく家族がまた一つになれたことを実感した。




「おっ。雲之介。何か良いことでもあったのか?」


 やや遅れて評定の間に着くと、揶揄するように秀吉は言った。


「まあね。久しぶりに良いことがあった。それより、他のみんなは?」


 評定の間には僕と秀吉しか居なかった。秀長さんたちはどうしたんだろうか?


「他の者には外してもらった。実を言うとおぬしに話しておきたいことがあってな」

「うん? なんだい話しておきたいことって」


 秀吉は珍しくそわそわしていた。

 僕の中に不安が募っていく。


「実は……わしには側室が数人居るのを知っているだろう?」

「ああ。そうだね」

「その一人にわしの子が身ごもり産まれたのだ」


 あまりの衝撃に何も言えなかったけど、しばらくして「お、おめでとう」とだけ言えた。

 秀吉は満足そうに「うむ。おぬしならそう言ってくれると思っていた」と本当かどうか分からないことを言う。


「もうすぐそれなりの歳になるのだが。その、ねねには……」

「……言ってないのか?」


 黙って頷く秀吉に僕は頭を抱えた。

 秀吉はなんと僕に向かって平伏した。


「頼む! ねねにこれから言うから、付き合ってくれ!」

「ふざけるな! 僕は修羅場請負人じゃないんだぞ!」


 一難去ってまた一難。

 まあその後のことは胃が痛くなったので語るまい……

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