第116話会議と隠居

「大殿! 私は将軍の位に就くのは反対ですぞ!」

「左様。私も反対です」


 年が明けて、睦月の中旬。

 主だった諸将を伴って、上洛した大殿は妙覚寺を宿舎とし、そこで自身が将軍の位に就くことを宣言した。

 しかしそれに反対したのは、家老の佐久間さまと林さまだった。


「……理由を聞こうか」


 大殿が厳しい目つきで二人を見た。佐久間さまは臆さずに物を申した。


「第一に、武田勝頼との決着をつけていない上、この時期に将軍となったとしても、従う大名はまずないでしょう。第二に弾正忠から左近衛権中将への昇任はともかく、間を置かずに将軍となられるのは、源実朝公の先例ありますれば、大殿に災いが有らせられるかもしれません」

「然り。加えて織田家は平家の出。平家が将軍になられた例はございません」


 林さまの追従する言葉に「こやつらの意見に賛同する者は居るか」と不機嫌そうに大殿は言う。

 この場に居るのは、秀吉、明智さま、柴田さま、丹羽さまといった重臣に加えて、ご嫡男の信忠さま、側近の堀秀政、そして何故か僕だった。

 少し沈黙が流れた後、丹羽さまが「筆頭家老の言うことはもっともですが」と前置きしてから述べる。


「今や織田家は近畿のほとんどを制圧した大大名。将軍に就かれるのはごく自然なことかと」

「丹羽殿! 私と林殿は、未だその機にあらずと申しておるのだ!」

「分かっております。御ふた方の言うことも分かります。平家が将軍に就かれた前例がないのも重々承知です。しかし、公方さまのご希望に添えないのも些か問題がございます」


 そして丹羽さまは「柴田殿の意見もお聞きしたい」と影響力のある柴田さまに水を向けた。

 柴田さまは口髭を掻きながら「俺は戦以外のことはよく分からんが」と正直に言う。


「将軍の位を公方さまがくれるというのなら、貰えば良いと思うが」

「そのような単純な話ではないのだ!」


 床に拳を叩きつける林さま。行政官として優秀な方だけど、意外と冷静さが欠けているのだろうか?


「道理の話をしているのだ! 私も大殿が将軍になられることは喜ばしい! しかし周りの情勢を見てみよ! 四方八方に敵が大勢居るではないか!」

「しかしそれを牽制するために将軍になられるのは、悪いことではないと思いますが――」


 四人の家老は見事に二つの意見に割れてしまった。

 秀吉はどうするつもりなのだろう――横目で見ると余裕たっぷりで座っている。

 明智さまも同じく泰然とした様子で、行儀良く座っている。


「信忠。お前はどう考える?」


 大殿が次に意見を聞いたのは、ご嫡男の信忠さまだった。信忠さまは大殿によく似ているが顔が険しくない。むしろ優しげすらある。母親似かもしれない。


「俺はいずれ、親父殿は将軍になられると思っていましたよ」


 軽く笑うそのお姿は、秀吉たち以上に余裕綽々だった。


「でもね。道理を考えるとこれは難しい。秀貞の言うとおりだ。だけど親父殿が公方さまの養子になって、平家から源家になれば、矛盾無く成立する。ま、そこは公方さまとお考えください」


 自分の言いたいことを言ったとばかり、それっきり信忠さまは何も言わなかった。


「奇妙丸めが。言いよるわ」


 不機嫌にそう吐き捨てて、大殿は「猿。金柑頭。何か意見あるか」とそっけなく言う。

 秀吉は「将軍以外に、武家の頂点を示す官位はありますかな」と逆に問う。


「明智殿はご存知ですかな?」

「そうですな。武家の頂点ならば、平清盛公と足利義満公が就任された太政大臣がありますね」

「なるほど。では、将軍ではなく、太政大臣になられてはいかがですか?」


 秀吉の提案に佐久間さまは「そのような馬鹿な話があるか!」と怒鳴りつける。


「将軍位を蹴って、太政大臣になるなど――」

「しかし佐久間さまや林さまがおっしゃるとおり、織田家は将軍に就くのは難しい。ならば位人官を極めるには、別の称号が必要となります。であるならば太政大臣が適当かと」

「ならば、今の公方さまはいかがする――」

「隠居していただくのがよろしいかと。その上で公方さまの女子とご嫡男信忠さまのお子と婚姻させれば、正統性が生まれます」


 弁舌にかけては秀吉の右に出るものはいない。佐久間さまは何も言えなくなってしまった。


「そもそも佐久間さまと林さまが反対なさったことで、このような妥協を模索するしかなかったのですよ」


 明智さまがとどめを刺す。誰も何も言わなくなってしまった。


「……雲之介。公方さまにこたびの次第を話せ」


 大殿が僕に命じた。だからこの場に居させたのか。


「俺は将軍には就かん。しかし今後は朝廷との関係を深くする。公方さまは何も心配なく、隠居なさってほしいと伝えてくれ」


 僕は平伏して「承知仕りました」と言う。

 こうして妙覚寺での会議は終わった。

 しかし、この会議が後の確執の原因になるとは誰も知らなかった。




「そうか。信長殿はそう言ったのか」


 二条城の評定の間。

 義昭さんと一覚さんに会議の詳細を告げると、二人は納得したように頷いた。


「分かった。一覚、朝廷に赴く。将軍位を返上するためな」

「……公方さま。私の心中は無念でございます」


 一覚さんは静かに涙を流した。


「十五代続く足利将軍家の歴史を終わらすのは、無念にてございます」

「ああ。私もそう思う。しかしだ。新しい世の始まりと思えば、喜ばしいではないか」


 それから義昭さんは「これで与一郎と二条兼良の陰謀を阻止できた」と安心したように笑う。


「ところで雲之介。隠居したら長浜に行っても良いか?」

「もちろん構いません。なんなら凄い屋敷建てますよ」

「そうか? では金閣寺みたいな屋敷が良いな」

「あはは。それは無茶ですよ」


 僕は一覚さんに「あなたも長浜に来ませんか?」と申し出た。


「長浜に居る子飼いたちに礼法など教えてあげてほしいのですが」

「……そうですね。公方さまのことが心配ですから」

「なんだ一覚。私は子どもじゃないぞ?」


 そんな冗談を言いつつ、僕たちは談笑した。

 そして翌日。

 義昭さんは、将軍を辞した――




「雲之介。なんだか顔色悪いけど、大丈夫?」


 義昭さんが将軍を辞めてから十五日後。

 ようやく暇を見つけて、僕は施薬院に行くことができた。

 志乃が心配そうに僕の顔を覗きこむ。


「ああ……なんとかね。この連日、公家たちのご機嫌伺いをして、それと同じく、いろいろ仕事して、寝られていなかったから……」


 仕事とは足利家の京における領地と利権を織田家に委譲する手続きなどだ。足利御用達の商品を織田家御用達にすることも忘れない。角倉の協力もあって八割がた済んだけど、まだ終わらない……


「とりあえず、寝なさい。倒れたら元もこうもないんだから」

「ああ、そうする……」


 ふらふらで何も考えられない……

 施薬院には相変わらず怪我人や病人が詰めていた。


「雲之介さん。志乃さんに添い寝してもらいなよ!」


 手拭を被った明里さんが茶化して言う。


「ちょっと明里! 何を言っているの!」

「おー、そうしろそうしろ! お熱いね、お二人さん!」


 周りの患者たちも囃し立てる。


「ああ、そうする……」


 このとき、何も考えられないほどだったから、素直に言うことを聞いた。

 志乃の手を引いて、奥の部屋に入る。


「く、雲之介!? 何本気にしているのよ! ちょ、ちょっと!」


 施薬院が騒がしい。うるさいなあ。

 奥の部屋に敷いてあった布団に倒れこむ。

 志乃も一緒だ。

 次第に眠気に支配される。


「もう。しょうがない旦那さまなんだから……」


 そう言って僕の頭を撫でる志乃。

 とても優しい顔だった。

 夢の中へと引き込まれていく。

 優しい夢の中に――

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