新宿異能大戦55

――何が、必ず守るだ。



――何が、『異世界』を救った元『英雄』だ。



「おおおおおおおおっ!!!」


【おっと、待てだ】


 ずしり、と体が急に重くなって英人はその場に突っ伏した。


【すぐに寄り添っては意味がない。

 それでは憎しみだけになる】


 前からは抑揚のない声が響く。

 首に力を込めて頭を上げると、新たに作られたであろう十然じゅうぜんの肉体が美智子の体を抱えていた。


「ぐ、く……!」


【そうだ。まずは見ろ、しっかりと見ろ、丁寧に俯瞰しろ。

 今の私は倒すべき悪で、今の君は立ち上がるべき善。その事実をよぉく頭に刻み、次なる一撃へと繋げろ】


【その為に感情はいい起爆剤だ。だが決して流されるな、溺れるな。

 突発的な憎しみは善を濁らせる。

 呑み込み、消化し、落ち着いて力を込め給え】


【なに大丈夫、君なら出来るさ。というより出来てもらわなければ困る。

 何故なら君は曲がりなりにも一つの世界を救った元『英雄』なのだから】


 這いつくばる英人を囲み、十然たちが次々と口を開く。

 しかし英人の瞳に映るのは、血を流し目を瞑る美智子ただ一人だった。


「……みち、こ…………!

 美智子みちこ……っ!」


【……成程。憎しみに苛まれることなく、すぐに自責が来るタイプか。中々に泣かせる。

 しかし、それでは少々いかんな】


 美智子を抱えた十然が、ゆっくりと英人の方へ歩を進める。

 その惨状をより近くで見せる為に。


【……見給え、君の無力が招いた結果だ。

 君が私を失望させたから彼女は傷ついた、血を流す結果となった】


【護りたいものすら護れない……もう今の君に存在価値などないに等しいのではないか?

 ならばその価値、私が与えよう。

 最後に渾身の一撃を放って華々しく散る……その機会をくれてやろう】


【さぁ早く立ち上がって、撃ち給え】


【さぁ】


【さぁ!】


 ぐるりと囲む数十もの十然たちが、次々に英人を催促する。

 もはや風の音も、戦闘の音も、聞こえない。耳に入るのは抑揚のない言葉の大合唱のみ。

 そんな無間地獄のような空間で、英人はなおも美智子の姿を見つめていた。


「………………!」


 既に服は夥しいほどの鮮血で染まっており、その表情は目を覆うほどに青ざめ、生気を失っている。

 このまま放っておけば確実に命はない。


(……全ては、この俺の油断だ。

 俺が茅ヶ崎ちがさき十然じゅうぜんという男を見誤ったせいで、彼女を傷つけてしまった……)


 英人は地に伏しながら拳を握り、足腰に力を入れた。


(何が、元『英雄』だ……!)


 だが今更力を込めたとて、それが一体何になるというのか。

 彼女の傷は既にこの目で見ている。即死でもおかしくない程の致命傷だ。今から治療魔法を使ったとしても、自分の技量では最早助かる見込みは低いだろう。

 そういつだって自分は遅すぎるのだ。あの時も、今も。


『おい落ち着け後輩!

 奴の言葉に#$%〇――!』


 脳内では『聖剣』が何やら言っているが、上手く聞き取れない。

 でも、もう聞き取れなくてもいいじゃないか。

 どれだけ実績やら経験やら力やらがあろうと、所詮はデカい口を叩いときながら結局は護れなかった愚図。偉大なる先達に意見してもらう権利なんてあるはずもない。

 聞き取れないくらいが丁度いい。


「……う、く……っ」


 立ち上がって、今度は周囲を見た。

 日本最大の都市が、壊れている。勿論これをやったのは有馬ありまユウで、そして『サン・ミラグロ』だ。

 でも多分、これを引き起こした要素の一部――いや大部分は、紛れもない自分。


(俺がいたからこそ、代表は惑い、茅ヶ崎十然は凶悪さを増し、本来巻き込まれずに済んだ人が巻き込まれた……)


 使い古されたような自責である。

 当然この程度のことは『異世界』でも直面してきたし、その都度割り切ってもきた。

 けど自分の心は期待するほど頑丈ではなかったらしい。


 結局はただの振りだった。

 自分は何一つ、割り切れてなどいなかった。


――これまで散々戦ってきたのだから、散った仲間の為にもこの世界ではせめて静かに暮らしてみたい。


 莫迦な願いである。

 覚悟もなく生き残ってしまった人間が、愚かにも幸せを享受しようとしているのだ。

 報いを受けて当然だ。


「…………ならば、せめて………」


 ゆっくりと『聖剣』を振り上げる。

 護れなかったのなら、せめて最後に最高の一撃を。


 その無謀と共に、眼前の敵を見据えようとした時。


【――――?】


 十然が、神妙な顔で美智子の肉体を見ていた。

 それはまるで何かの違和感を感じ取ったような顔。さらにみるみる内にどんどん険しくなっていき――


【誰だ、貴様は―――――】




 ◇




「――――ん、」


 同刻。


「んん――――、」


 神奈川県横浜市。


「んん……?」


 閑静な住宅街にあるアパートの一室。

 そこでダークブルーの髪色をした一人の少女が寝ぼけ眼をこすった。


「……お。

 起きたか、嬢ちゃん」


 視線の先には、全長40cm程の喋るキノコ。

 若干散らかった学習机の上で英和辞典を背もたれに何やら本を読んでいる。


「んー? マッシュマン……?

 何でここに、って……あれ、私いつのまにか寝ちゃってた?」


「ああ、ぐっすり寝てたぜ」


「ふーん……って、勝手に付いてきちゃだめでしょ。ここ人ん家なんだから。

 えーと確か一緒に勉強しようってお邪魔してて、英語の勉強が一区切りついて……」


 記憶を掘り返しながらおもむろにカーテンを開けた瞬間、美智子は固まった。

 何故なら目の前に広がるのは漆黒の夜空に、寂しく光る街灯。どう考えても日没直後の雰囲気ではない。


「……ね、ねぇ……今、何時……?」


「夜中の0時過ぎだ」


「え」


 さらりと答えるマッシュマンに、美智子はさーっと青ざめた。

 門限を過ぎたなんてレベルではない時刻である、当然の反応だ。

 しかし、


「あーそれと今日は十二月二十五日な?

 しっかし三日近くぐっすりたぁ、さすが俺の胞子だぜ」


 それすら無問題と思えるような爆弾がさらりと投下された。 


「……え、」


 青ざめるを通り越し、無になる少女。


「ん?」


「えええええええええええええええええええええええええぇぇぇっ!?」


 都築つづき美智子みちこの絶叫がアパート全体を震わした。



 ◇



 そして、新宿茅ヶ崎ビル。



「…………誰、ですって………?」


 不自然に風のない屋上で、血に濡れた唇が真横に伸びた。

 その顔の造形は明らかに都築美智子のもの。しかし、


「別に誰だって、いいでしょ――!」


 それは都築美智子ではなかった。


【――――!】


 胸に鋭い痛みを感じ、十然は視線を下げる。

 美智子を貫いていた筈のナイフが、今度は自身の胸に突き刺さっていた。


(虚を突かれた……!

 いや、待て……今私はこの肉体を自分そのものだと認識してしまっているのか……!?)


「あ、あ、あああああ……っ!」


 十然が混乱する間にも、都築美智子を模した少女は渾身の力でナイフを突き刺していく。

 押さえのなくなった傷口からは当然のように鮮血が噴き出している。明らかに捨て身での反撃。


【ぐ、く――――!】


 だがその姿は十然を無性に苛立たせた。


【小癪な!】


 十然はそのまま少女の体を持ち上げ、地面に叩きつける。

 血をまき散らし、力なく転がる肉体。

 英人は脇目も降らずに駆け寄った。


「おい!!

 大丈夫か、おい!!!」


「あ、ぁ…………」


 少女は都築美智子の顔のまま微かな呻き声を上げた。

 直接『看破の魔眼』で見た今なら分かる、彼女は早応女子の文化祭で出会った美智子の同級生だ。

 今は美智子の制服を着ることでその姿を変えているのだろう。


「くそ、何で……『中級治癒ミドルヒール』!」


 即座に出せる最大の治癒魔法を使った。だがそれも到底間に合わない。

 そもそもが即死級の傷、まだ息があることが既に奇跡なのだ。

 奇跡は二度続けて起こることはない。英人自身、よく分かっていた筈のことだった。


「待ってろ、今治してる……!

 心配するな……!」


 でも諦めきれる訳がない。

 あまりにも分かり切った嘘を言いながら、英人は『魔法』をかけ続ける。


「……もう、いい…………」


 しかし震える少女の手が、それを優しく制した。


「もういいって、何でそんな……!

 こんな身代わりみたいなことしなくたって……!」


「いい、から……」


 血に濡れた手が、英人の手首をそっと掴む。


「……ただ、戦いたかった……だけ……。

 …………好きな人の為に、ほんの、少しでも…………」


「……!」


「…………でも、ここまで、だから……。

 悔しい、けど……後は…………後は……」


 その瞳には涙が滲んでいる。

 英人は少女の手をしっかりと握った。


「……あの娘は……私の家で、眠ってる…………。

 終わったら、迎えに…………うくっ」


「おい!!」


 少女の口から鮮血が盛大に噴き上がった。

 胸からの出血も合わせれば、もはや限界の先すら超える量。奇跡がいよいよ終わろうとしていた。


「くそ、こうなったら……『再現変トランス』――」


 時間と魔力こそ掛かるが、『再現変化トランスブースト』で上級魔導士を『再現』すれば可能性は高まるかもしれない。

 だがその腕を少女は再び掴んで制す。


「…………勝、って………………生き、て………」


 英人は口を真一文字に結んで黙った。

 その一言一句、果ては表情の動き全てを脳に刻みつける為に。


「美智子さんの、為に…………」


 そして英人を見ること、数秒。

 奇跡は終わり、少女の腕から力が抜けた。


 英人はその亡骸を眺め続ける。

 穏やかな寝顔だった。刺されて死んだのが嘘だと思える位に。


「――――」


 それは、決して報われることのない恋だった。

 それは、打ち明けることも憚られる愛だった。


 いつ、どこで、どのようにして少女と美智子が入れ替わったのかは、分からない。

 でも、彼女はやり切った。

 この少女は一途な想いだけを武器に、たった一人で最愛の人を護り切ったのだ。いかなる悪意や『異能』やすらも跳ねのけて。


「―――――――」


 気付けば、立ち上がっていた。

 心に火が灯っていた。


「……刀煉とねり一秀かずひで


『……ん』


「終わるまで、護っててくれ」


『応』


 聖剣を少女の真横に突き刺し、英人は一歩前に出る。


【……見送りは終わったかね?

 しかし驚いた、まさかあのような――】


 視線の先では茅ヶ崎十然が一時の混乱から立ち直りつつあった。


 でも、関係ないだろう。相手が誰とか状況がどうとか。

 そんなもの、彼女の覚悟と愛に比べれば――!


「………………勝つ――――!」


 全身に、これまでにない程の力が漲る。

 憎しみとか怒りではない。ただその愛に報いたいという一心が英人の全身を燃え上がらせる。


(……今の俺に出来る、最大の事……)


 同時にフル回転する思考。

 如何にしてその愛に報いるか。如何にして眼前の敵を倒すか。


 繰り返される問い。

 交錯する選択肢。


 その深奥で、



――――私はその力、好きですよ?

    だって本当にヒデトらしい、素敵な力なのですから――




 愛が、その答えをくれた。

  

「…………だよな」


 英人は笑った。

 そっと、左手を前に伸ばす。


左腕レフトアーム再現情報入力インストール――」


 輝く左腕に、変化していく肉体。

 『再現』、それは八坂やさか英人ひでとが持つ唯一の『異能』であり、奥義。その対象は敵味方はおろか種族すら選ぶことはない。

 そう、この力の本質はあらゆるものを糧にするということ。


 傷ついた過去も。

 絶望する現在いまも。


 その全てを受け入れ前に進む為、かつての少年はこの力を授かった。

 それから十一年、



「――『再現憑魔トランスポゼッション無道の使徒アポストル・オブ・アルカディア』」



 今、愛の為に男は戦う。





            新宿異能大戦 第55話

         『それは、愛という名に相応しく』




  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る