新宿異能大戦51『無道者』
――ぺらり、と書類をめくる音が鳴った。
「済まない、今のうちに出来るだけの決裁をしておきたくてな。
変に滞らせて社員の顰蹙を買うわけにはいかない」
「意外と心配性だな」
英人は社長室の重たいドアを閉じ、答えた。
「これでも一応は責任ある立場だ……それより、少し寛いだらどうだね?
茶は出せん、というより出した所で口をつけないだろうが」
「別に好きにさせてもらうさ。
だがあまり時間が掛かるようなら、お前を無視してそのまま美智子の所へ行く。
……屋上にいるんだろ?」
「それは困るな、急ぐとしよう」
頷きと同時に、ぺたんと判を押す音が響いた。
「……あまりそういう目で見るな。弊社でも一応捺印の電子化は進んでいる。
だが役員以上のレベルになると中々そうもいかなくてな、何せ権威や面子と言うものが関わってくる」
「…………」
英人はさして興味もない、という風に佇む。
「ああ、まだ君は社会人ではなかったのだったな。
ならばいずれ分かる時が来る……そう言えば、そろそろ就活を考える時機か。
どこか希望はあるのかね?」
英人はしばらく沈黙し、
「…………さぁ、今の所は考えてない」
「そうか。しかし早めに目星くらいは付けておいた方がいい。
立場上採用活動にも多少関わったことがあるが、今の就活は早く動いた方が圧倒的に有利だぞ?
ただでさえ君は年齢でハンデを背負っているからな」
「お気遣いどうも」
「ちなみに弊社ならいつでも歓迎しよう」
「……来年も
英人は応接用のソファに腰かけた。
部屋は薄暗く、その表情はよく見えない。そもそも英人自身ですら自分が今どういう顔をしているのか分からなかった。
「そうだ、もうひとつ聞いてみたいことがあった」
「なんだ」
何か思い出したように声を上げる十然に、英人は問い返す。
「昨今の新卒はキャリアアップに主眼を置く者とワークライフバランスを重視する者、このどちらかに二極化しているきらいがある。
君はどちらかね?」
すると十然はこれまでで最も興味深そうな目つきで聞いてきた。
あまりに意外過ぎる質問に、英人は無表情のまま戸惑った。
この状況においてもまだ、
(……だが裏を返せばその部分こそが彼の一番の強み、かつ最も驚異となる部分だ)
英人はしばし熟慮した後、
「……さぁ、考えたこともなかった」
僅かに首を傾げた。
「ほう」
「けど、」
磨かれたテーブルに映る自身の顔を見、英人は続ける。
「仕事とか関係なく、俺自身が心から納得出来るようなことをする――これに勝るものはないと思う」
「そうか……」
書類をめくる音が止まった。
「なんだ、これじゃお祈りか?」
「いや違う……ただ、今の答えを自分自身に当てはめて考えていた。
うむ、成程……私もつまるところ、君の言う『納得』が欲しくて今まで金を稼いできたのかもしれない。
ふふ、この年にしてようやく腑に落ちた。礼を言う」
英人は何も返さなかった。
理由は明白、その言葉が間違っても心地よいと言える代物ではなかったから。
「じゃあ礼ついで俺から質問だ」
――だから。
「何だね?」
「アンタは本当に、俺のことを息子の仇として恨んでいるのか?」
だからその不快感をそのままに、その問いが口から漏れた。
初めて会って日から薄々と勘付いていたその問いを。
「ああそのことか――」
捺印をする手を止めずに、十然は口を開く。
「結論から言えば、否だ。
君と釣る為の方便みたいなものだよ」
聞きたくなかった言葉が、遠慮も抵抗もなく返って来た。
英人は口を結んだまま、前に組んだ両手を強く握った。
「だから君も変に気を使わなくてもいい。
あんなものに気を削がれるなど、これからの戦いに泥を塗るようなものだ」
「あんなもの……仮にも息子だろ」
英人は語気を荒げるが、書類をめくる音は止まらない。
「あれの為に怒ってくれるのは大変結構だが、これは嘘偽りのない本音だ。
確かにあそこまで育てるのに金と時間をそれなりに掛けはしたが……だとしても感情とは全く別の問題だ。
私はあれに、生産者以上の情を持つことはありえんよ」
ぺたん、と判を押す音が響いた。
「……もういい加減分かっただろう?
これが私だ。これが私と言う人間だ。自分でも反吐が出るほどのどうしようもなさだと思っている。
それでも君は、私を諦めないと言うのかね?」
十然はようやく顔を上げ、英人を見つめる。
「……分からない。だが、」
表情は伺えない。
しかし纏う空気が変わった。
「ここで戦う以外に、その結論は出なさそうだな」
そう、それは闘争を望む者の空気――
感じた瞬間、十然の口角が自然と上向いた。
「ああ、全くの同意見だ」
「……いいか?」
「問題ない。
今、終わった」
言って十然は席を立ち、ゆっくりと前に出る。
その足取りは、逸る気持ちを必死に抑えているかのよう。
十然は前を見た。
元『英雄』は既に立ってこちらを見ている。構えてはいない――が、とっくに臨戦態勢である。
「恥ずかしながら、こうして戦うのは初めてだ」
十然は小さく息を吸った。
「繰り返すが、
私が倒されれば解放される手筈だ」
「了解した」
英人は短く答え、ほんの僅かに重心を動かした。
もう、弓の弦は限界まで張りつめている。
「――改めて名乗っておこう。
使徒第一位、『無道』の
宜しく頼む」
「……ああ」
「佳い戦いを、しよう」
後は、互いの呼吸を合うのを待つだけ。
「「――――――!」」
だが彼等には刹那の間すら必要なかった。
◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇
同刻。
新宿茅ヶ崎ビル、屋上。
「ん、ん……!」
冷たい風に頬を撫でられ、少女は目を覚ます。
どうやらあの後、再び気絶させられていたらしい。
「――お目覚めですか、都築美智子様」
「えっ、と……」
やや下の方から女性の声が聞こえた。
半ばぼやけた意識のまま、美智子は声の方へと視線を向ける。
瞬間、自身の置かれた状況に彼女は驚愕した。
「……これ、何……!?」
得体のしれない、生物めいた黒い何かが自身の両手と両脚を覆っていたのだ。
しかもそれは地面より湧き出て背中を這いずり、まるで磔のように彼女の肉体を固定している。
「拘束具です、通常の物とは少々毛色が違いますが」
戸惑っていると、スーツに身を包んだ女性が事務的に言い放った。
おそらくは茅ヶ崎十然の秘書だろう。
「気持ち、悪い……ッ!」
だが彼女の返答など即座に吹き飛んでしまうほど、美智子の全身を不快感が襲う。
湿っぽい。
生暖かい。
そして何より、おぞましい。
「私を、どうするつもり……!?」
だが負けじと美智子は秘書に問い返す。
気を強く張っていなければ飲み込まれると思ったから。
しかし秘書は冷めた目で美智子を見返し、
「それはこれから、決まります」
「え」
――――ドオオオオオオオッ!!!
その時、凄まじい振動と衝撃が辺りに響いた。
そして、
「おおおおおおおおおおおッ!!」
ある男の雄叫びが、新宿の夜空を揺らす。
それは彼女が恋焦がれた、とある家庭教師の声色。
「……八坂、先生……っ!」
震える声で、少女はその名を呟いた。
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次回の更新ですが、所用によりお休みすることにいたします。
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次回は11/24(水)更新予定です。
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