新宿異能大戦㊿『想う女、想われる男』

 十二月二十五日、深夜。

   

【イブ終わってクリスマスになっちゃったけど、状況が状況だから中々眠れないね。

 真澄ちゃんは大丈夫?】


【うん大丈夫!

 騒ぎの影響もないし、私の家は至って平和!

 そもそも新宿には一度もいったことない笑】



「……っと」


 送信のボタンをタップし、栗色の髪の美少女は浅い溜息をついた。

 時々カーテンを動かして外を見るが、メッセージ通りその景色は至って普通の住宅街の夜景。

 そもそも距離的にも方角的にも新宿の様子など見える筈もない。

 でも、そこで戦う男――八坂やさか英人ひでとをよく知る者として、そうせずにはいられなかった。

 そんな彼とは年の離れた幼馴染である少女、白河しらかわ真澄ますみはカーテンから手を放してベッドに蹲る。


「英人さん……」


 画面をスワイプして開くのは、英人とのトークルーム。

 一番下には真澄が送った【気を付けて!】に対する【分かった! ありがとう!】の返事が残る。

 表示されている時間は21:20。そろそろ三時間が経とうとしていた。


「…………」


 メッセージを打とうと親指を伸ばしてみるが、すぐに引っ込める。この動作を今夜だけで何度くりかえしただろう。

 心配が、迷惑はかけまいという気持ちを浸食するように膨らんでいく。


(……信じて待つ。

 何も出来ない以上、それだけは徹底しようと誓ったはずなのに)


 真澄は膝を抱えた。スマホはまるで磁石のように手に握られたまま。


――自分の心が、こんなにも弱いとは思わなかった。


「――ッ!

 ダメダメ、暗くなっちゃ! えい!」


―――ゴッ


「イギッ!?

 い、痛たた~っ!」


 気付けがてら頬を叩いたら見事にスマホが頬骨を抉ってしまった。

 真澄は涙目になりながら頬をさする。


「うう……我ながらなんてドジ…………ん、」


 視線を落とすと、ベッドの上にはスマホが落ちていた。多分ぶつけた時に離してしまったのだろう。

 拾うために真澄は手を伸ばすが、


「……どうせなら、声に出した方がいいですよね」


 寸前の所で止めてそのまま窓を開けた。

 開いた瞬間、冬の夜風が一気に部屋へと入って来た。肌寒くはあるが今はこれくらいが心地いい。


 肚は、もう何回も括った。

 ならばと思い切り息を吸い、


「頑張れーーーー! 英人さーーーーん!」


 まさに新宿まで届かんばかりの勢いで、真澄は叫んだ。


「――ふぅっ」


 当然だが、この叫び自体は英人までは届かないだろう。

 でも、彼なら。

 今なお自分たちの為に戦ってくれるあの人なら、きっと拾ってくれるだろう。それに込められた、想いと願いを。

 あの人は、そういう人だ。


「……あ」


 真澄はふと夜空に白い粉のようなものが舞っているのに気付いた。

 そっと両手を差し出して受け止めてみる。


「雪――」


 これはきっと幸福の兆し――そう真澄は思いたかった。




 ◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇




「うわすっごい渋滞と検問……見れば分かると思うけど、これ以上は無理よ?」


「……分かってる」


 車の後部座席で、サングラス姿の美女が灰色のミディアムヘアをいじりながらそっけなく答えた。


「念の為もう一回言っとくけど、車降りて徒歩で近づくのは絶っっっ対ダメだからね」


「それも分かってる。

 そもそもそういう約束で特別に出してもらってる訳だし」


 美女は物憂げに車窓の外を見つめる横で、そのマネージャーらしき女性が呆れたように溜息をついた。


「はぁ……有名女優がわざわざ野次馬になりに車を出すってのも大概よねぇ。

 お忍びデートの方がまだ格好がつくわ」


「……ちょっと」


「あーもうそんな目で見ないで。

 そういうのとは違うっていうのはよーく分かってるわよ。一応私も女やってるし。

 でも世間じゃあくまで有名人だってことは、片隅に置いといて。

 女優、水無月みなづき楓乃かえのとしてね」


「大丈夫。

 これでも長いから」


 国内屈指の若手女優、水無月みなづき楓乃かえの――本名、桜木さくらぎ楓乃かえの

 彼女はマネージャーからの忠告に対して静かに答えた。


「そう、ならいいわ。

 ……しっかしこんなピリついたクリスマス、生まれて初めて。

 まぁ事が事だし仕方なくはあるけど……あ、ケンさんひとまずこの辺りぐるぐる回ってて頂戴」


 「あいよ」と景気のいい返事をするのは事務所お抱えの運転手。その後、車はゆったりと都会の道路を巡っていく。


 確かにマネージャーの言う通り、街はクリスマスとは思えない空気をしていた。

 外す時間がなかったのだろう、街路樹に巻かれた電飾や種々のイルミネーションは残っていたがどれも点いていない。今、都会の大通りを照らしているのは街灯のみである。

 街がいつもより暗い――言葉にすればただそれだけのことだが、都会に生きてきた楓乃にとっては事態の深刻さを伺うには十分だった。


「…………っ」


 楓乃は右手のスマホを強く握った。

 夕方に充電して以降、ずっと手に持ったままだ。


 今回マネージャーに無理を言って車を出してもらったのは、高校時代の先輩があの新宿に行くと聞いたからだ。

 とはいえ直接会えない以上向かう意味などない。そもそも彼女自身、その中に入れるとは思っていなかった。

 ただ彼に少しでも近い場所にいたい、楓乃の中にあったのはそれだけだった。


(……本当は私一人で勝手に行くことも出来たけど、さすがにね。

 子供じゃないし、色んな人に迷惑がかかる立場だから……でも今はそういうしがらみを気にしてセーブしてしまう自分が、ちょっと嫌)


 ふとスマホを持ち上げ、画面を見た。

 もちろんメッセージに既読の文字はついていない。多分この戦いが終わるまでつくことはないだろう。


「……分かり切ったことではあるけど、ね」


 楓乃は諦めたように息をつき、スマホをバッグの中にしまった。

 開いた右手は代わりにコートのポケットに突っ込む。その中で手に触れた感触に、楓乃は少しほっとした。

 そう、このポケットの中にはあの日英人からもらった栞が入っているのだ。


――私も、連れて行って欲しかったな


 栞を指で弄びながら、心の中で本音を唱えた。


 『異能』の発現で、多少なりとも戦う力を得たと思った。

 けどあの先輩からしたら、共に戦うには物足りないものではあったらしい。

 いやそもそも彼の性格からして身の回りの人達を巻き込むような真似はよしとしないか。


 でもやっぱり力があれば――


「……ふぅ」


 暴走しかけた思考にストップをかける為、楓乃は大きく息を吐いた。


(……全く。

 気を抜けばすぐにあの人がどう思っているか、そしてあの人にどう思われているかを考えてしまう。

 何と言う惚れた弱み……)


「? どうしたの、楓乃ちゃん」


「いえ、何でも」


 誤魔化すように、楓乃はドアに寄りかかる。


「……私にこんな思いさせて、帰ってこなかったら許さないですよ。

 ――先輩」


 車窓には不安の滲んだ笑みが映っていた。



 ◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇



 神奈川県、某所。


「……寒」


《いいかげん中に入ったらどうだ? 私よ。

 馬鹿でも風邪引くときは引くぞ?》


「叩き割るわよ」


 一人の美少女が電柱を背に手をこすり合わせ、小さく震えていた。


 ここは少女の自宅から五分ほど離れた地点。

 かつては忘れていたが今は忘れもしないあの日――今年の四月に、東城とうじょう瑛里華えりかが初めて八坂英人に出会った場所だった。


「……」


 時折ふと辺りを見回してみる。

 何の変哲もない住宅に、何の変哲もない道路。

 それは思い出の場所と言うにはあまりにも普通過ぎる光景だったが、此処こそが運命の場所だったのだ。


《ここじゃないと、今日はさすがに落ち着かない?》


「……そうかも」


《英人さん、いまどうしてるんだろうねぇ……》


「さぁ。

 とりあえず生きてはいるでしょ、多分」


 ぶっきらぼうに答えながら、瑛里華は夜空を見上げた。

 この空も新宿まで続いているのか……なんて、らしくもない考えが浮かんでくる。


「……詩人か」


《まさか。

 ただの恋する乙女レベル1だよ》


「………………」


 瑛里華は静かにバッグを背に回して寄りかかった。


《あああああ止めて! 割れる割れる!

 電柱でゴリってなっちゃってるから!》


 悲鳴を上げる「そいつ」を無視し、瑛里華は白い息を両手に吐いた。


 正直、寒い。すぐにでも家に帰ってしまいたい。

 でもアイツが、英人さんが今頑張ってると思うと、自分もこれくらいはしなきゃと思った。


(……そう考えると、私って本当に恋する乙女なんだな。

 自分でも恥ずかしいくらいに)


 そしてまた一つ、白い吐息が夜空に浮かぶ。


《……二つ先の角に、自販機がある。

 コンポタでも買って飲めばいいさ》


「……うん」


 恋する少女はその上に想い人の姿を思い浮かべていた。



 白河真澄。

 桜木楓乃。

 東城瑛里華。


 それぞれ想い方は違えど、想う人は同じ。

 皆が彼の無事を祈り、皆が彼との再会を願う。



 そして午前0時17分。

 新宿茅ヶ崎ビル、最上階。



「――――来たか」


「……ああ、待たせた」


 想われる男は、倒すべき敵と相見えた。

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