新宿異能大戦㊾『束の間』

 十二月二十五日、午前0時06分

 北新宿


「…………誰だ……?」


 なおも土煙が舞う中、ケネスはその男を見ていた。


 身長170cm前半、やや体格こそ良いがその風貌は典型的な日本人。

 おそらく興味本位でこの新宿まで来た参加者の一人で間違いないだろう……が、明らかに他の参加者とは佇まいに一線を画していた。

 これが、レベル10に至るまで罪を重ねた人の姿なのか。


「…………」


 男が、静かに対物ライフルの銃口をケネスへと向けた。


「…………っ」


 瞬時に身構えるケネスの頬に、汗が伝った。

 アンドレイの『異能』によって障害物ひとつない状況に、さらに相手は本来は人に放つことは禁じられている口径10ミリ超えの弾丸である。掠るどころかその衝撃波ですら致命傷を負いかねない。

 どうにかして隙を作らねばと思った矢先、


「……はっ」


 男は吐き捨てるように鼻で笑って、ケネスに背中を向けた。


「…………!

 待て……!」


 ケネスはすぐさま後を追おうとするが、踏み出した瞬間に体がふらついて思わず片膝をつく。

 50分間に及ぶダメージと、最後の破壊の衝撃。命までは届かせなかったものの、戦士の肉体を鈍らせるには十分なものであった。


 ますます遠ざかっていく背中。そしてバイクのエンジン音が鳴り響く。

 辺りには粉々になった街と首の無い獣の肉体。


「…………行ったか……」


 戸惑いの混じる呟きと共に、第六位『利己』との戦闘は終結した。




 ◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇



 同刻、新宿御苑。


「……うし、ひとまず完了だな」


 水壁によって隔離した安全地帯の光景を眺めながら、英人は安堵の息を吐いた。

 ヴェガとの戦闘を終えた義堂や警官隊と合流してから二十分以上、数多の信者や参加者たちをようやく先導し終えた。

 一人二人なら英人が抱えて飛べばすぐだが、三桁単位だとそうもいかない。当然道中はポイントを稼ごうとする『異能者』の襲撃もあり、中々に骨の折れる作業であった。


「悪いな八坂。

 色々あったというのに、結局移動中も頼りきりになってしまった」


 振り向くと、ペットボトルを二つ持った義堂が立っていた。


「色々はお前の方だろ、義堂」


 言いながら英人はひとつ受け取り、キャップを開けて中身を飲んだ。

 思えば、『新宿異能大戦』の開始から初めて何かを口に入れる。味はただの水以外の何物でもなかったが、どことなく体がリセットされる気分だった。


「……今更だが、大丈夫か義堂?」


「何がだ?」


「親父さんのこと、さっき純子さんから聞いたよ。

 なんつーか、うん……」


 英人は言い淀みながら、頭を掻いた。


「悪い、言葉が出ない」


「……それだけで十分だよ、八坂。

 一応あの戦いで最低限のケリはつけた。そこからは俺自身が向き合うべき問題だ」


 言って、義堂はペットボトルの水を飲み干す。


「だから多分、どうにかなるさ」


 口元の水を拭って見せた表情は、僅かに微笑んでいた。


「……肩の力が抜けたか」


「そうかもしれないな」


 二人は静かに北方向にある摩天楼――新宿茅ヶ崎ビルを見た。

 ほぼ全域が戦場と化した新宿に置いてそのいまだ綺麗な外観は異様な存在感を放っている。


「……囚われているのか、あそこに」


「ああ」


 英人は頷かずに肯定した。

 ビルから目線を切りたくなかったからである。


「俺も協力する」


「いや、こっちは俺一人で行くわ。

 義堂は有馬を頼む」


「しかし……いいのか?」


「『サン・ミラグロ』の目的がゲームの進行にあると考えられる以上、トップである有馬の迅速な確保は必須だ。

 この国……いやこの世界のことを考えたらここで時間的猶予を与えるのは得策じゃない。

 下手に茅ヶ崎ちがさき十然じゅうぜんと合流されても困るしな」


 語られたのは、ひどく冷静な戦況分析だった。

 義堂は改めて思い出す。そう、八坂やさか英人ひでとという男は幾多の戦場を渡り歩いてきた猛者であるのだ、と。

 すなわち茅ヶ崎十然に対する単独突撃は個人的感情と全体状況を秤にかけた上で出したギリギリの妥協案なのだ。


「けど大切な人なんだろう?」


「それは代表……いずみかおるも同じだったさ。たまたま順序がこうなっちまっただけの話。

 今は敵の余裕につけ込んで救助活動を優先できているが、さすがにこれ以上待たせるわけにはいかない。

 だから、俺が行く」


「……そうか」


「だから有馬の方、頼むわ。俺も片付け次第すぐに合流する」


「……ああ」


 義堂は力強く頷き、ペットボトルを握りしめた。

 今、互いに目指す方向は違う。だが終着点は同じで、今は互いが互いを支えられる力を持っている。


「おーおーいーねー。

 そういう男の友情的なの、あたしゃ嫌いじゃないぜ?」


「ミズハ」


「ちっすちっす」


 二人が振り向くと、そこには『水神ノ絶剣リヴァイアサン』に宿る精霊、ミヅハがニヤケ面で立っていた。


「とりま現状報告だけど、壁の耐久力はまだ全然余裕アリ。

 最初期はちょっかいかけてくる『異能者』もいたけど、無理だと悟ってもう寄ってこないしね。

 精々がこちらを目指す参加者狙いの待ち伏せだね」


「なるほど……とはいえ待ち伏せは問題か。異能課と警官隊の一部で対処するよう掛け合ってみる」


 義堂は頷きつつ提案した。


「そうしてもらうと助かるわー。

 こっちの世界だとこの規模の壁を維持するだけでワリとしんどいのよね」


「なら私が代わってやろうか?」


 声に振り向くと、炎をそのまま編んだような髪をした美女が、紅いドレスに身を包んで立っていた。

 晴れて『炎神ノ滅刀カグヅチ』の精霊となった『火竜サラマンダー』の令嬢、フェルノ=レーバンティアである。


「うわ、オメーはいつぞやかの『火竜サラマンダー』やん。

 精霊になってたのけ?」


「色々あってな。

 宜しく頼む『水神ノ絶剣リヴァイアサン』よ」


「うわマジ……『神器』と会うのなんてめっちゃ久しぶりなんだが。

 ……あ、とりあえず精霊歴はワタシの方がべらぼーに長いから敬語使えな?」


 ガンを飛ばしてくるミヅハにフェルノは目を丸くして長い沈黙。


「…………フッ」

 

「はああああああぁぁっ!? 

 おい契約者、今コイツ鼻で笑ったんだけど!?

 やっぱいいトコ生まれの嬢ちゃんなんてロクなもんじゃねぇな! ぶっ飛ばしていい!?」


「いいトコの嬢ちゃんを今から助けようって話をしてたのに何てこと言うんだお前は」


「君もあまり失礼な態度は取るな、フェルノ=レ―ヴァンティア」


「失礼? むしろ礼を言って欲しいくらいだ。

 こういうのは初っ端でガツンとかますのが大事だからな! ハハハハハハ!」

 

「……」


 大笑いするフェルノの前で、義堂は頭を抱える。

 兎にも角にも、次なる決戦を前にして束の間の休息とも言うべき時間が彼等の間には流れていた。



 ◇


 同じく新宿御苑の、英人たちからほどほどに離れた地点。

 

「ひとまず、アンタの居場所はここだ。

 ……分かっているとは思うが、」


「大丈夫です。

 もう抵抗する意思はありませんし、もし万が一、それもこの期に及んで血迷うようなことがあれば遠慮なく殺して下さって結構です」


 天幕によって作られは簡易の留置所には、異能課課長である長津ながつ純子じゅんこと『サン・ミラグロ』の元第五位、いずみかおるがいた。


 薫の言い草に、純子は小さく溜息をつく。


「まぁ合理的に考えりゃそうなんだけどさ、こうもハッキリ言うかね」


「……八坂君との言葉を違えるくらいなら、死んだほうがマシです。

 それに、」


「それに?」


「彼にこれ以上、嫌われたくない」


 見せた表情は、何とも言えない微笑みだった。

 純子は僅かに目を伏せて後ろを振り向く。そのまま台の上のペットボトルを手に取って薫に手渡した。


「……ありがとうございます」


「愛してくれた人にもう会えないのと、いつでも会えるのに愛してくれない人――いったいどっちが幸せなんだろうね?」


「……え」


 薫が顔を上げると、純子は傍にあったパイプ椅子を広げて乱暴に座った。


「旦那に先立たれちまったのさ、幼い子供を残してね。

 ……あぁ、アンタも『サン・ミラグロ』ってことは知ってるかもしれないのか」


「……はい。有馬ユウが殺したとは」


 薫はおずおずと頷いて言った。

 「私が憎いですか?」なんてことはとても言えなかった。


「まぁそういう訳で、私らは愛に焦がれたモン同士さ。

 独占欲と復讐って違いはあるけど」


「でも愛されていた分、貴女の方が幸せだと思いますよ。

 ……愛は命で変えないことは、もう散々思い知りましたから」


「それは逆も然りだよ。

 いくら想ってもその人が生き返るなんてことはない。

 そもそもあの世でとっくに愛想尽かされてる可能性だってあるわけだしねぇ」


「そんな事――」


 薫が顔を上げると、純子はその肩を優しく叩く。


「生きてりゃどうにでもなる、なんて無責任なことは言わない。

 でもどうにか出来るのは生きている間だけだから……だからあまり捨て鉢になっちゃ駄目」


「刑事、さん……」


「ね?」


 そこにあったのは刑事・長津純子ではなく子を持つ母としての微笑みだった。


「……う、うぅ……っ!」


「しっかり泣きなさい。

 ……響かないようにしてあげるから」


 華奢な体をそっと抱き寄せ、純子は天井を仰ぎ見る。


 ふと、一人の男子の姿が思い浮かんだ。

 それはこの国の為に戦う英雄、ではなく同じマンションに住むちょっと暗いけど親切な一人の学生。


(多分、あの人も私たちと同じ――)


 純子は思った。

 彼の思いが、いつか報われる時が来るのだろうかと。



 そして、


「――さて、」


 それと時を同じくして、


「行くか」


「ああ」


 その学生は今、次なる戦いへと旅立とうとしていた。

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