新宿異能大戦㊽『仇、討たれる』

――五年前、ロンドン。


「……行くのか、フレデリック」


「ああ行ってくるよ、兄さん」


「……今度はどんな任務なんだ?」


「機密だからさすがに身内でも教えられない……と言いたい所だけど、今回は特別に許可もらったよ。と言っても概要だけだけどね。

 実はとあるテロ組織幹部の情報が手に入ってさ、それを捕まえにいくんだ」


「テロ組織……」


「組織名は言えないけど、その幹部ってのがそこそこ大物でね。

 かつてウチでも大量殺人をやらかした国際指名手配犯だ」


「まさか――」


「おっと兄さん、名前を言うのはNG」


「……すまない」


「別に謝る必要はないって、兄さんらしいけど。

 まぁそういうわけだからチャチャっと行ってとっ捕まえてくるよ。

 予定通りに済めば、多分クリスマスまでには帰ってこられると思う」


「…………そうか」


「……兄さんもなればいいのに、『国家最高戦力エージェント・ワン』」


「……馬鹿を言わないでくれ。

 俺はお前と違って『異能者』ではないし、運動も得意な方ではない。

 今はこうして静かに本を読めているだけでも満足している……」


「えーそうかなぁ?

 僕は兄さんの方が上手くやれるような気がするけど」


「…………今の『国家最高戦力エージェント・ワン』はフレデリック、お前だ。

 あと俺をあまりからかわないでくれ」


「分かってる。僕も一応連合王国『国家最高戦力エージェント・ワン』だし、しっかりと責務を果たしてくるよ。

 あーでも兄さんを『国家最高戦力エージェント・ワン』にっての、あれは本心だから」

 

「…………」

 

「だって兄さんが本当は強いこと、僕知ってるし」


「……フレデリック」


「まーそう怪訝な顔しないで。とりあえずこの続きはクリスマスってことで。

 んじゃ行ってくるよ――ケネス兄さん」


「……ああ――――」



 ――――――



 ――――



 ――



 北新宿、午前0時02分。


「………………」


 ケネス=シャーウッドは静かに構えていた。


 スタンスを肩幅より少々広く取り、両腕を腰よりやや上の位置に据える。

 しかし両の拳は音が聞こえてきそうなほど固く握られており、立っての打撃を想定していることは明らかだった。


 だがそこまで臨戦態勢を整えてもなお、ケネスは動かなかった。

 両者に一時の静寂が流れる。


「……ハッ!

 ボーっとつっ立ってんじゃねぇぞコラ!」


 当然先に動き出したのはアンドレイだった。

 そもそも彼自身が「待て」を出来るタイプの人間ではない。彼は苛立ちと共に発達した右腕を振り上げようとする。

 しかし、


――――ドッ


「…………あぁっ!?」


 ケネスの左ハイが、それよりも先に右肩を強く打った。


「く……ッ!」


 僅かに驚きながらも、アンドレイは左の蹴りを放とうとする。


――――ガッ


 だが足が地面から離れるよりも前にケネスの右足が膝を打ち抜く。


「ぐっ、クソッ!」


 ならばとアンドレイは大口を開けて噛みきのモーションに入った。

 だが、これはフェイントである。

 本命は左手による人体破壊――アンドレイがそうほくそ笑む間もないまま、


――――メリィッ!


 ケネスが放った右の貫手が、アンドレイの左肩を突き刺した。


「く……ッ!」


 焦燥の汗を垂らし、アンドレイは大きく一歩後ずさった。

 さしもの彼も、ここまでされれば否が応でも悟る。明らかに自身の体が動くより先に、相手の攻撃が飛んできているのだ。


「糞が……ッ!」


 眼前では、長身の紳士が再び静かに構えている。あくまで攻撃を待つ姿勢なのだろう。

 しかしこれでは形勢は完全に五分となった。


 確かに現状はアンドレイの方がパワーもスピードも圧倒的に勝っている。普通に戦えばその勝利は揺ぎ無い。

 しかし、たとえ人外の体となった彼であっても攻撃する際は腕を振り回し、足を跳ね上げる――つまり加速を必要とするのだ。

 逆を言えば加速の無い状態で止められてしまえば、パワーやスピードの差など何の意味もなくなる。


「何を、しやがったテメェ……!」


 獣の全身に、太い血管が湧き上がる。

 攻撃すらさせえもらえないというフラストレーションは、彼の怒りを最高潮にまで押し上げていた。


「……ようやく波長があった、それだけの事だ」


 果たしてケネスから返って来た答えは、当然のように簡潔で短かった。

 怒りに任せ、アンドレイは吠える。


「ギヤアアアアアアアッッ!!!!」


 恰好の隙だった。

 ケネスは瞬時に間合いを詰め、大きく開いた口を蹴り上げた。


「ガァッ!?

 ……グ、ガアアアアアアアアアアアッ!」


 アンドレイはすぐさま反撃に移ろうとするが、それも例のごとく動き出す前に潰される。


「ク、ウウウウウウウウウッ……!」


「……掴んだ、完全に。

 今度は此方から行く……!」


「糞ガアアアアアアアアッ!!!」


 言葉足らずの彼に代わって説明すると、これは偏にケネス=シャーウッドが持つ超人的な五感の賜物であった。


 一般的に、生物が何か行動しようとする際には脳から種々の信号が送られる。

 それは脳波と言う形で現代科学でも観測が可能であり、また人体には常に微弱の電磁波が放出されてもいる。元々ケネス=シャーウッドはその優れた知覚によりそれらを感知することが可能だった。

 だが今回はあまりにも従来の生物とは勝手が違った為に、言わば周波数を合わせるような作業が必要だったのである。


(……しかし、それに50分も掛かってしまった。我ながら不器用が過ぎるな。

 ……フレデリックならこうはなるまい)


「ギャガァッ!」


 ケネス渾身の左ストレートが獣の喉を貫く。

 全ての動きを読める以上、もはやケネスの優位は絶対的となった。


「グ……クフッッ!」


 濁ったようなドス黒い血が、牙の隙間から漏れる。


(……一体何なんだ、この状況は)


 己の血に染まるアスファルトを見ながら、アンドレイの表情は焦燥に歪んだ。


(何故俺は今、地面に這いつくばっている? 

 人を超えた力を手に入れた筈なのに、何故こうもやられている!?)


 気付けば、背筋と足が小刻みに震えている。上手く立ち上がることが出来ない。


「……ここまでだ。

 アンドレイ=シャフライ、貴様を逮捕する」


 静かながらもしっかりとした足音が、目の前で止まった。

 顔を上げると、その先には冷酷にこちらを見下ろす紳士の姿。


「……み、」


 むろん恐怖はあった。

 しかし同時にアンドレイに思い起こされたのは、在りし日の記憶。



『――へぇ、君が「ヴォルガの殺人鬼」さんかぁ。

 思ったよりもパンチが弱いなぁ』



 全てをかなぐり捨てて伏せる自分に、見下ろす有馬ユウ。



『あ、そうだ。じゃあまずは人間食ってみようか?

 悪人なんだし、それくらいは出来るよね?』



 そう。

 自分はあの時、人生最大の挫折と屈辱と敗北を味わった。

 そして二度とあんな思いはすまいと誓った。


「見下ろすな、テメェェェェェェッ!!!!」


 相手が見下ろし、此方が這いつくばる――この構図はアンドレイにとっての逆鱗に他ならなかった。

 激情のままアンドレイは叫び、ケネスに飛び掛かる。


「…………駄目か」


 だが当然それは先読みされ、迎撃を食らう。

 吹き飛び、地面に叩きつける体。しかしそれこそがアンドレイの狙いだった。


「アアアアアアアアアアアアアアアッ!!!

 壊れろ壊れろ壊れろ壊れろ壊れろ壊れろおおおおおッ!!!!」


 地面に触れた両手を中心として、周囲が音を立てて崩れていく。

 アスファルトも、ビルも、標識も。

 アンドレイ=シャフライの持つ『異能』、『破戒デストロイ』による最大出力の物体破壊であった。


「地球ごとテメェを潰し殺してやる!!!」


 全てが崩れ、全てが無に帰していく。

 僅か数秒後、彼の周囲100メートルは散々に破壊し尽くされた。


「…………ハッ」


 盛大に舞う土煙のなか、獣の鼻が鳴った。

 あれだけの規模の破壊、それなりのダメージは与えられたに違いない。


(……だが、それじゃあ足りねぇ。

 最後はこの手で肉片に変えてやる……!)


 湧き上がる怒りに、アンドレイの両手がわなわなと震えた。

 そう最後は自らの手で止めを刺さなければならない。それだけが、彼にとって与えられた屈辱に報いるただ一つの方法。


 人間では到底感知出来ない微小の残り香が、憎き敵の居場所を示す。


――――そこだ。


(死ね――ッ!)


 アンドレイが両腕を振り上げた時。



「…………そこか」


――――ザシユウッ!!


 その手首から先が、鋭利な刃物で切り取られた。


「お、俺の手ぇェェェェェッ!

 クソッ、痛ェッ、痛えェェェェェッ!!!!」


 断面から血をまき散らし、黒き獣が絶叫する。

 眼前では、ケネスが刃渡り三十センチ程の装飾付きナイフを携えていた。


「テメェ、そんなモン隠し持ってやがったのか!!!」


「弟の形見だ」


 直後、ケネスの拳が隙だらけの腹を抉った。

 目が飛び出しかねない程に苦悶した後、アンドレイは力なくその場に蹲った。


「……もう一度、聞く」


「グ、ウ……ク……」


「大人しく逮捕されろ。さもなくば、殺す。

 ……弟の仇に情けをかける理由はないからな」


「そうか、テメェ奴の……!」


「……そうだ。

 先代『国家最高戦力』、フレデリック=シャーウッドは私の実弟だ」


「ふ、ふふ……」


 血の泡を吹きながら、アンドレイは笑った。

 ケネスはそれを静かに見つめる。


「へ、へ……! じゃあ仇討ちってことかよ。

 テメェも災難だなァ、あんな不出来な奴の為によォ!

 せっかく後もう少しで勝てそうだってのに、人質取られたぐれぇ」


 言い終わる前に、ケネスの足が顎にめり込んだ。


「グウウウウウウウッ! フウゥッ!」


「……もう一度言う。

 大人しく逮捕されろ」


 アンドレイの肉体を、再び冷酷な眼差しが見下ろす。


(……嫌だ)


 狂いそうになる程の屈辱が彼の心を埋め尽くす。


 このままゴミのように死ぬしかないのか。

 そうなるくらいなら、何が何でも生きてもう一度――そうアンドレイが腹を括りかけた時。


――――ダアァンッ!!


 銃声と同時に、アンドレイの頭部が消し飛んだ。


「…………」


 あまりにも当然の出来事だった。

 ケネスは目を見開き、銃声の方向――右へと視線を向ける。


「――よし、これで50ポイントゲット。

 そして、」


 そこには、一人の男が立っていた。

 白いスーツを着用し、対物ライフル片手に何やら虚空で指を動かしている。


「遂にレベル10だ……!」


 その男の名は、山北やまきたたつみと言った。

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