新宿異能大戦㊺『才能を超えた先』

「GAAAAAAAAッ!」


「来い、『ドラゴン』ッ!」


 黒き竜が、大地を震わさんばかりの咆哮を上げている。

 しかし連邦共和国最強の男は、まるでそれすら楽しむかのように笑顔で両腕を広げた。


「GAッ!」


「おおッ!?」


 振り下ろされる巨木のような前腕。

 ギレスブイグはそれをがっぷり四つで抱きかかえた。


――ガガガガガガガガガガガガッ!


「ラ、アアアアアアアアアアアッ!!!!」


 足元のアスファルトを深くえぐり、224cmの巨体が勢いよく後ずさりする。

 いくら地上最強クラスの膂力を持っているとはいえ、人間は人間。圧倒的な体格差による不利は避けられなかった。

 しかし、


「……ッ、フウッ!

 止まッ、たアアアアアッ……!」


 それでもこの男は人間の範疇では到底成しえないような偉業をやってのけた。

 竜の一撃を素手で止めたのである。


「――ッ!?」


「次は我だ!

 ハッ、ハアアアアッ!」


 一瞬呆けた黒竜の隙を突き、ギレスブイグは全身のバネを使って前腕を跳ね上げる。

 自然、ガラ空きになる頭部。


「ラアアアッ!」


 ギレスブイグはそこ目掛けて空気弾を打ち込んだ。


「GU……ッ」


「まだ行くぞ!」


 ――ゴオゥッ!


 さらに今度は空気を背中方向に急噴射させて跳躍。

 そのまま空中で大きく振りかぶり、


「オオウラァッ!!!!!」


 渾身の一撃を直接食らわせた。


「GAAAAAAAAAAッ!?」


 20メートルを超える巨体も、これにはひとたまりもない。

 前椀と脳を揺らされて体の支えを失った黒竜は、ずしんと地面を震わせて倒れた。


「……フゥッ!」


 巻き上がる土煙の中から現れたのは、もちろんギレスブイグである。

 ミシェルは呆れたように溜息をつき、


「……かねてより無茶苦茶だとは思っていましたが、まさか『ドラゴン』とも肉弾戦で渡り合うとは……」


「幼き時分より夢想していた戦いだからな、気も漲るというもの。

 渡り合えているという事実はまこと喜ばしい限りである……が、」


 言って、ギレスブイグは右手をミシェルに差し出す。

 既に所々肉が潰れ、血の滲む手を。


「これは……!」


「巨岩を殴ったとて、こうはならんのだがな。

 さすがは『ドラゴン』、と言った所か」


 その時、再び地面がずしんと揺れた。


「……6秒か。

 10カウントすら取れないとは、なかなか絶望させてくれる」


「言葉と表情がまるで合っておりませんわよ?」


 ミシェルがたしなめる。

 なるほど彼女の言葉通り、彼の口角は上を向いていた。


「絶望と諦観は必ずしも両立すまい。

 それに、」


 ギレスブイグは拳の血を舐め、構えた。


「此処には『最高』がいる、それも二人も!

 退くという選択肢など、最初からあろうはずもないだろうが!」


「――フフッ。

 まぁ、そこは同意ですわね!」


 ――――GAAAAAAAAAAッ!


「オーテュイユ嬢!

 分かっているとは思うが!」


「勿論でしてよ!

 今度こそ私の『栄光はこの手の中にグロワール・ダン・ラ・マン』で、あの鱗をブチ抜いてやりますわ!

 あとその呼び方はお止めなさい!」

 

 二人は左右に別れてジャンプする。

 その直後、黒い尾が二人のいた場所を薙いだ。


「ラアアアアアアッ!」


 先に動いたのはギレスブイグ。

 彼は風を使って突進し、再び黒竜とのインファイトを演じる。

 その間ミシェルは付かず離れずの位置をキープし、隙を伺った。


(……ああは啖呵を切りましたけど、)


 ミシェルはそっと、自身の手を見た。

 お気に入りの手袋こそ破れてしまっているが、能力のお陰で外傷や骨折脱臼はない。

 殴るだけなら何発でも可能だ。


(第一形態の時でさえ、気絶させられなかった……。

 フフ、6秒間を嘆いていたあの男とはえらい違いですわね)


「GAAAAAAAAAAッ!」


 眼前では、黒竜が翼を広げ飛んだ。

 あの巨体にとっては大都市の交差点ですら狭い、空中でなら自由かつ一方的に攻撃できるとの判断だろう。


「ハッ、ハハハ! 飛ぶか!

 いやそりゃあ飛ぶだろうな、『ドラゴン』なのだから!」


 だが笑顔で『ドラゴン』と渡り合うような男はこの程度で不利になることなどない。

 勢いよくジャンプすると、さらに空中を蹴って跳躍。瞬く間に同じ高度に辿りついた。


「だが空中は我にとっても庭、いや家だ!

 何故ならそこかしこに床や壁、クッションがある状態だからな! ハッ、ハハハハハハハハァ!

 行くぞ!」


 空中を跳ねながら、ギレスブイグはさらなる数の空気弾を打ち込んでいく。

 黒竜ももちろん反撃するが、それは虚空を蹴って見事に回避し、さらなる反撃を加える。


「…………!」


 生身で『ドラゴン』と互角に渡り合う――この言葉を、いったい誰が信じる事が出来るだろうか。

 『異能』があるとはいえ、それはもはや神話の領域に等しい。


(それも、生身で……!)


 ミシェルは無意識に奥歯を強く噛んだ。


 才能とは、際限なき拷問のようなものだ。

 どれだけ極めようとも突き詰めようともそれを凌ぐ者が必ず現れ、立ちはだかる。

 上には上がいる――古今東西あらゆる世界で、何度その言葉が繰り返されてきたことか。

 並よりも遥か上の才能を桁外れの努力で育んできたミシェルですら、その呪縛の中にある。


「……ですがそれが、どうしましたの……!」


 しかしだからこそ、彼女は強がるのである。足掻くのである。

 呪縛から逃れる為ではない。

 それは血統という名の矜持を貫く為に。


「ラアアアアアアッ!」


「GUUUッ!」


 ギレスブイグともみ合いながら、黒竜が地に落ちた。

 しかしその顎からは炎が漏れ出ている。


「ブレスが来ますわよ!」


「分かっている!

 我の後ろに隠れろ!」


 言われるままミシェルはギレスブイグの後背に飛び込む。

 直後、ブレスが二人を狙うが、


「ラアアアアアアッ!!!」


 その火炎は二人のいる場所だけを綺麗に避けていた。


「ハッ、ハハハハハ! 真空のドームだ!

 どんな炎とてこれは貫けまい!」


「ほんっと、無茶苦茶ですわね!」


「そう褒めるな! それと卿は足場の強化を頼む!

 ……後、拳の準備もな!」


「……ええ」


 ギレスブイグの言葉に、ミシェルは神妙に頷いた。


 背中越しに見るだけでも分かった。

 致命傷だけは避けているが、その鋼の肉体は既に傷だらけ。拳や足といった局部に至っては鮮血に染まっている。

 つまり、彼も既に限界。

 後は自分がやるしかないのだ。


「――――ッ!」


 ミシェルは左手で足元の瓦礫を握りながら、右の拳を強く握った。

 ギレスブイグが矢面に立ってくれたお陰で握力も幾分か回復している。


――これなら、やれる。


 そしてブレスが終わった。


「ハアアアッ!」


 空気弾の援護を受け、ミシェルは駆けた。


 狙うは顎先。そこを最大の一撃を以て打ち抜き、昏倒させる。

 倒すにはそれしかない――ミシェルは右の拳に込められるだけの握力を込め、一直線に黒竜へと向かった。


 しかし、


「GUUUUUUU……ッ……!」

 

 その顎からは、既に第二射となる炎が漏れだしていた。


(しま、った…………)


 一瞬で、背中が冷や汗で濡れた。

 だが同時に『国家最高戦力エージェント・ワン』としての経験と機転が、即座に状況を分析する。


 おそらく、この『ドラゴン』はこの短時間の戦闘で成長したのだ。ブレスすら連射できる程に。

 つまりこれまで自分たちが相手していたのは、生まれたての未熟な状態であったということ。


 極度まで圧縮された時間の中、ゆっくりと開いていく顎。

 この拳が届くまでには、まだまだ距離がある。

 ギレスブイグももはや限界である以上、もはや為す術はない。


 結論、自分は何も出来ずに死ぬ。




…………本当に、そうだろうか?


 ミシェルは拳を強く握り、『ドラゴン』を見た。

 ブレスは既に顎から放たれつつある。大勢は決まったと言っていい。

 

 だが、それが即ち何もしないでいい理由になるだろうか。

 このまま死を待つ理由になるだろうか。



――自分の握力だけを信じ、磨いてきた。



 ミシェルは、拳を強く握った。


 勝機や根拠があるわけではない。

 だがこれをせずに終わることは、彼女の矜持が許さなかった。


 最後だからこそ、これまでにないありったけを。

 後は灰すら残さない。

 たとえ力及ばずとも、自分は『最高』の仕事をし続けるのみ。


「……何故なら私は『国家最高戦力』なのですから――!」


 炎が、眼前に迫る。


「アアアアアアアアアアアアアッ!!!」


 ミシェルは全力で、拳を握った――



 ――――――



 ――――



 ――



 辺りが、静かになった。




「…………………………ハァ……ッ」



 聞こえるのは遠くから響く戦闘音と、ミシェルの荒い息遣いのみ。

 瓦礫も風も、ここでは動くことはない。


 そしてブレスもまた、時が止まったようにミシェルの眼前で静止していた。


「G、A……!」


 そのさらに向こうでは、黒竜が震えながら佇んでいる。

 まるで金縛りにでもあったように苦悶の表情を浮かべながら。


「…………行、け……」


 全てが停止した空間でギレスブイグは静かに言った。

 距離の関係だろうか、ほんの僅かだが体は動く。だが彼はその言葉を紡ぐことに全力を注いだ。

 それは彼女こそがこの現象を起こした張本人であると直感したからに他ならない。


「行け!」


 答えるように、淑女の右拳がぎりりと鳴る。


 物質を超えた、空間そのものの固定と強化。

 それは自らの才を最後まで信じ切った者だけが到達しうる、次なる段階。


「行け、ミシェル=クロード=オートゥイユ!」


「アアアアアアアアアアッ!!」


 最強最高の拳が、『ドラゴン』の顎をブチ抜いた。

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