新宿異能大戦㊻『何者』

――視界が、グニャリと歪んだ。


「GAAA、ア…………ッ!」


 びきり、と骨にヒビが入る音。

 同時に世界がまるで水面の景色のように曲がり始め、脳を締め付ける。


 痛い。

 苦しい。


 男は『ドラゴン』になって初めて、その二つの感触を味わった。


「ア…………、オオオ……ッ!」


 意識が、混濁している。


 ここはどこだ。

 上下はどちらか。

 そもそも自身は誰なのか。


「オ、お…………!」


 だがそれも徐々に鮮明になっていく。

 自分は何者で、そして何故ここで戦っているのか。


 奇しくもミシェル渾身の一撃は、竜化によって奥底に閉じ込められていたレックスの自我を呼び起こした。


「俺は――――!」



 ――冬。


 リザードマンと人間のハーフの青年は、自身の両親を手にかけた。

 理由はただ一つ、彼等は自分とは違ったから。だから殺した。


 じゃあ何がどう違うのか――レックスの中に確たる答えはなかった。

 それすら分からない程に彼の中は空っぽだった。


 両親を殺した後も季節は巡り、自然はその色を変えていく。

 だがレックスにとっては全てが同じで、さしたる意味のないものに映った。だって彼等には意志がない、つまり何者でもなかったから。


 自然を見下しながら、レックスはずっと自身のことを考えてきた。

 もちろん答が出ることはない。何故ならそもそもの判断材料がないのだ、解を導けるはずもなかった。


 父には、『異世界』での経験と母の存在があった。

 そして母にも、この世界での人生と父の存在が。


 しかし自身にはそういうものは何もない。

 確かに家族はいたが、たった三人だけしかいない環境はその代替とはなれなかった。


――自分は一体、何者なのか。


 それだけが知りたくて、自問自答を続ける日々。

 季節が巡る度、元からさしてなかった人と世界に対する興味がますます薄れていく。


 自分は誰?

 自分は何?

 自分は何処?


 そうして両親の骨が土に還ろうとした頃。


「…………壊してみるか、最後まで」


 レックス=リガードマン。

 彼のアイデンティティは、いつしか世界の破滅を必要とするようになっていた。



 ――――――



「お、俺は……俺が何かを知るために……す、全てを……」


 ゆるゆると下に落ちていく光景。

 顎を打ち抜かれた痛みと苦痛はまだ残っている。


「全てを、壊す……!」


 そんな中、レックスはその意識を完全に覚醒させた。


「オオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオッッ!!!!」


 それは大地を震わす程の産声。歓喜の音色が、巨体と世界に鳴り響く。


 先程まではまるで真っ暗な夢の中にいるような心地だった。

 しかし今は違う。

 少々視点は高くなってしまったが、全てが鮮明に見える。敵も、世界も。


――これなら自分も見つけられる。


 レックスの顔は歓喜に歪んだ。


「…………まずは、貴様等からだ。

 行くぞ」


「来なさいッ!」


 両者の視線が合う。

 ミシェルは大きく一歩、距離を詰めた。


「ハアアアアアアアッ!!」


 もはや互いの呼吸すら感じ取れそうな程の短距離。

 彼女があえてこの死地に飛び込んだのは、この戦闘が既に最終局面であると感じ取ったからに他ならない。


「ガアアアアアッ!」


 巨木のような前腕が飛んで来た。

 ミシェルは全身で受け止めようと身構える。


「……っ、が……は……ッ!」


 受けた瞬間、ミシェルの意識は飛びかけた。

 圧倒的な質量と速度、到底人間の雌が受け止められるような代物ではない。

 そのまま肉体ごと吹き飛ばされそうになるが、


「ハ、アアアアアアアアア…………ッ!」


 ミシェルは右拳を握って空間を固定し前腕そのものを止めた。


「グ、ウ……ッ!」


「ア、ア……ッ!」


 視界が白む。

 さらには体中の血液が沸騰し、血管を食い破ろうとしかねない程に踊り狂っている。

 しかし、それでも先程と比べて出力が足りなかった。

 その証拠にレックスの巨体は今にも動き出しそうな程震えている。おそらく、一歩でも動いたら固定は解ける。だが体力もほとんど尽きかけている状況。


「ミシェル=クロード=オーテュイユ!」


 圧倒的に不利な均衡を破ったのが、ギレスブイグの咆哮と突進だった。

 ミシェルは彼が範囲に入る直前に空間停止を解除する。


「ラアアアアアアアッ!」


 刹那の後、金髪の大男は前腕に強烈なタックルをかました。


「くそ、厄介なぁ……っ、殺す!」


「やってみろ、『ドラゴン』ッ!」


――――ゴオオオオオオオオオッ!


 ギレスブイグの肉体を中心として、突風が吹き荒れた。

 彼もまた僅かな勝機を掴むために全てを出し切ることを選んだのだ。


「我が捌く! 卿は叩き込め、何度でも!」


「もちろんでしてよ!」


 ギレスブイグの言葉を受け、ミシェルは駆けた。

 だが今度は前ではない。前腕を伝い、目指すは頭部。至近距離から拳を見舞うにはもはや此処しかなかった。


「グ……どけ……ッ!」


 当然レックスがそれを許すはずもなく、飛び上がってミシェルを引き剥がそうとする。


「……!!?」


 しかし、翼が思うように動かない。というより空気に押さえつけられているような感触。

 まさかと思いギレスブイグを見下ろすと、


「ハッハハ下降気流だ!

 貴様はこのまま地面に伏してもらう!」


「舐めた真似をおおおおおおッ!!!」


 黒竜は怒りの咆哮を上げた。


「今だ、行けッ!」


「ハアアアアアアアッ!」


「く、こいつ俺の頭に向かって……!」


 ふらつきながら、ミシェルは長く太い竜の首の上を走った。

 目指すはもちろん頭部。そこに最大最強の一撃を脳天から叩き込む為である。


「アアアアアッ!」


 そのままミシェルは竜の頭へと飛び込み、辛うじて鱗の隙間を掴んでしがみつく。


「放せ……っ!」


「させるかぁッ!」


 レックスは首を使って振り落とそうとするが、ギレスブイグが下顎を掴んでそれを阻止した。

 生まれる一瞬の隙。


「は、アアアアアアアアッッ!」


 ミシェルは渾身の力で鱗を掴んだ。

 戦闘開始から今に至るまでずっとこちらの攻撃を弾き続けてきた鱗。勝利を手にする為には、なんとしてもこれを剥がす他ない。


「アアアアアア……!」


 案の定、固い。まるで幾千の年月を経た巨岩の如くだ。

 プチプチと腕の筋が切れる音がする。脳の血管が弾けそうな程に張りつめている。

 だが、


「グッ、ク……クラアアアアアアッ!!!!!」


 この手の平に懸けて、負けるわけにはいかない。

 そのまま彼女の咆哮が天を震わした時、


――――バキィッ!


「……ハァッ、ハァッ………!」


 淑女の手には、黒き鱗が握られていた。


「行け、そのままブチかませミシェル=クロード=オートゥイユ!」


 下からは、ギレスブイグの怒号が聞こえる。

 そう、確かに鱗を剥がした今の状態こそが絶好のチャンスである。


 だが残酷にもミシェルが再び黒竜を見下ろした時、既に真新しい鱗が表皮を覆っていた。


「『ドラゴン』を舐めるな……! 鱗の一枚や二枚、即座に再生する! 

 いい加減諦めて死ね!」


 レックスが勝ち誇ったように言う。

 確かに彼の言う通り、戦力の差は圧倒的である。


「……諦める?

 何をほざいておりますの、」


 だがミシェルはこの戦いにおいて、初めて優雅に笑った。

 彼女はそのままスッと右手を持ち上げる。


「…………栄光は、既にこの手の中にありましてよ……!」


 その手の中にあるのは、『ドラゴン』の鱗。

 そしてミシェル=クロード=オーテュイユの『異能』、『栄光はこの手の中にグロワール・ダン・ラ・マン』。

 それは握った物の強度、固さ、重さを握力に応じて強化する能力――


「ハアアアアアアアアアッ!!!」


 つまり彼女の握る鱗こそが、全てを貫く刃であった。


「ガギャアッ!!」


 脳天に異物が突き刺さり、レックスは苦痛の悲鳴を漏らした。

 痛さや苦しさもあるが、何より命に刃が迫っているという感覚。

 何とか足掻こうとレックスは限界を超えた力で暴れ始めた。


「ガアアアアアアアアアアアアアアアアァァァァァッアアアッ!!!!」


 狂った咆哮が響き、『ドラゴン』が無秩序に動き回る。

 最強の化物が生存本能の赴くまま暴れ出したら、止められる者はもういない。

 ギレスブイグすら下顎から弾かれ、そのまま前腕にしがみつくことが精一杯だった。


「く、そ……大丈夫か、ミシェル=クロード=オーテュイユ!」


「ええ何とか!」


 ミシェルもまた、脳天に突き刺さった鱗を支点にして肉体が右へ左へと宙を舞っている。

 おそらく彼女の驚異的な握力がなければとうに振り飛ばされていただろう。とはいえ、このままではどの道いつかは限界が来る。そして刺さっている鱗はまだ浅い。

 何としてもあと一撃をこの絶望的な状況で叩き込む必要があった。


 ならば、あとはやるだけ。

 僅かとて勝機があるならば、『国家最高戦力エージェント・ワン』は決して退かない。


「ハアアアアアアアッ!」

「ラアアアアアアアッ!」


 二人の雄叫びは、その覚悟を叫んでいるようだった。


「グ、ガ……ッ、アアアアアアッ!!」


 一方でレックスの心中は原始的な生存欲求に満たされつつあった。

 直前まで迫った「死」の予感に、『ドラゴン』という種の本能が蘇ったのである。

 生きたい、生きたい、生きたい。

 細胞レベルから発せられる叫びによって、せっかく目覚めた自我が塗りつぶされていく。


(き、消えていく……何者かすらも分からずに……!)


 死など別に恐れてはいない。そもそも生死の境にすら興味がない。

 ただ自分が何かを知れないことが、何より怖い。


 何年も考えてきたのだ。

 何人も殺してきたのだ。

 何でも壊してきたのだ。

 それなのに答えを知らぬまま終わることなど、許されていいのか?


「俺は、俺は、俺は…………っ!」


 ならばなくなる前に、せめて壊せるだけ壊さなければ。

 急いで口内に炎を溜める。


「――! ブレスか……ッ!」


 そう、ブレス。

 これで全てを――!



 その時、敵と目が合った。

 確かミシェル=クロード=オートゥイユとか呼ばれていた、『国家最高戦力エージェント・ワン』の女だ。

 瞳には、自分の姿が映っている。というより、自分の姿しか映っていない。

 あんなに振り回されているのに、その目は倒すべき敵だけを見つめている。


――このレックス=リガードマンだけを、ただひたすらに。


「俺…………」


 動きを止めた理由は、レックス自身にも定かではなかった。

 自分という個を認めてもらった歓喜か、敵に対する賛辞かはたまた困惑か。


 だがどちらにせよ、淑女はこの隙を逃さない。

 ミシェルは流れるような動作で整えて黒竜の頭部に馬乗りになる。

 目の前には突き刺さった黒き鱗。


 右の拳が、ぎりりと唸った。


「そう、貴方はレックス=リガードマン。

 そして私は――」


 その荒々しくも優雅な姿こそ、第五共和国『国家最高戦力エージェント・ワン』にしてオートゥイユ家当主。


「ミシェル=クロード=オーテュイユですわッッ!!!!!!」


 この世で最も固く強い物質が、『ドラゴン』の脳髄を貫いた。

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