新宿異能大戦㊹『怒れる竜』

 レックス=リガードマン。

 彼は俗に言う、ハーフであった。


 彼の父は『竜人』として『異世界』にて名を馳せていたリザードマン。そして母は人間の一般庶民。

 ある時父がこちらの世界に転移した際、とある山の麓で彼等は出会い、恋に落ちた。

 そうして生まれた一人息子が彼である。

 そう、つまりレックスはリザードマンと人間の間の子であったのだ。


 とはいえ父はこの世界にとっては異邦人どころか化物である。

 彼ら家族はこっそりと山奥に家を建て、人目を憚って暮らすようになった。

 幸い、父が人の目をくらます結界術に長けていたお陰で地元の人間に見つかる事はなく、安全に過ごすことが出来た。

 畑を耕し、時には狩りをし、さらには釣りもする生活。

 決して裕福とは言えなかったけれど、家族三人水入らずの暮らしは本当に幸福と思える時間である。


――と、父と母だけが愚かにもそう思っていた。


 なぜ憚るのか。

 なぜ隠れるのか。

 なぜ大人しくしているのか。


 それは自身に流れる血からくる怒りではない。

 父も母もそれなりに敬愛しているし、生んだことに感謝もしている。


 それは人間に対する憎しみでもない。

 別に誰かから直接迫害された訳ではないし、そもそもさして興味もない。


 ではなぜ怒るのか。

 それは言うなれば、違和感。

 自身はこの世界においてただ一つの異物であるという自覚からだった。


 この世界で自分は孤独である。

 おそらくそれは父の生まれ故郷である『異世界』においてもそうだろう。


――怒りが、湧いてくる。


 別に、孤独が嫌いという訳ではない。

 孤独に生きて死ぬことを選ぶのも、それはそれでありだろうと思う。

 しかし自分は違う。

 生まれたその瞬間から、この自然で孤独に生きることを強いられている。それがどうしても気に食わなかった。


 なぜ自分が甘んじて受け入れなければならないのか。

 なぜ両親はこの生活を笑って受け入れているのか。


 それじゃあせっかく生まれてきた意味がないではないか。

 いくら傍から見て無茶苦茶でも、何も自ら檻の中に収まることはない。

 一度はぶっ壊そうとしてみないと。


「……父さん、母さん」


 というより、早く壊さなくちゃ。

 そうでなきゃきっと、

 きっと、


 俺は俺が分からなくなる――



 ――――――


 ――――


 ――



 午後11時55分。

 新宿大ガード下。


「オオオオオオオオ……ッ」


 化物の肉体が漆黒の闇に包まれた。


「……む、あれが報告にあった彼奴等の第二形態か」


 僅かに目を細め、ギレスブイグは腰に手をやる。

 同時に体中の産毛が逆立っているのを感じた。


「早応大の事件においても第四位の男が披露していたようですわ。

 その影響で、操られていた人間の戦闘力が大幅に向上していたことは私も直に体感しています。

 ……本体の方は彼が単独で倒したので存じませんけれど」


「ヒデト=ヤサカか」


「ええ」


 ミシェルが頷くと、ギレスブイグはふむと息を漏らす。


「未だ直接見えたことはないが、相当の武人だと聞いている。

 成程、彼は既に倒しているか……ならば、」


 そのままぐぐぐ、と丸太のような腕を再び大きく振りかぶり、


「私もこの蜥蜴とかげを完膚なきまでに打ちのめしてやらねばな!」


 空気の砲弾を勢いよく射出した。


 ――チュドオオオオオオオンッ!


「ハッ、ハハハハハハァッ!」


 轟音と共に、闇に空気の砲弾が突き刺さった。

 昆虫においても羽化を控えたさなぎの状態が一番脆い。

 まさにそれを狙い撃たんとギレスブイグは次々と空気弾を打ち出していく。


 だが次の瞬間。


「ングッ!?」


 身長にして224cm、体重にして200kgを超える巨体が、真横に吹き飛んだ。


「……な、にが……!?」


 刹那の出来事だった。

 常人より数段優れた動体視力を持つミシェルであっても、殆ど何が起こったのか分からなかった程に。

 かろうじて視界の余韻に残ったのは、真横に走る黒い線上の何か。


「……ッ」


 ギレスブイグの安否を気遣う余裕などない。

 ミシェルは息を呑み、レックスがいた筈の場所を刮目した――


「――GUUUUUUUUU…………ッ!」


 そこには、幻想があった。


 鋭い爪。

 鋭い牙。

 立派な顎。


 その全身は強靭な黒い鱗に覆われ、巨大な胴体からは筋の塊のような太く長い尾が伸びている。

 おそらくギレスブイグはあれにやられたのだ。


 そして、翼。

 一度広げれば空を覆いかねない程に巨大なそれは、まさにその存在の象徴とも言えた。

 そう、それはこの世で最も有名な化物。


「『ドラゴン』…………!」


 最強の生物が、現実に顕現した瞬間だった。


「GUUU……ッ!」


 黒き鱗に覆われた竜は猛禽のような瞳でミシェルを睨み、舌を出す。


「…………ッ」


 ミシェルは、動けなかった。

 蛇に睨まれた蛙の心境とはまさにこのことなのだろう。

 あまりに非現実的な光景を目にし、完全に体が硬直してしまっている。


 黒竜が、ゆっくりと顎を開いた。

 次に繰り出される攻撃は馬鹿でも予想がつく。炎のブレスだ。


「ぐ、く…………っ!」


 このままでは、やられる。


(……ええ。このままでは次の瞬間、やられます。

 ではミシェル=クロード=オートゥイユ、貴女はそれをただ待つだけの愚物なのですか!?

 違うでしょう!)


 ミシェルは歯茎が出血するほどの力で歯を食いしばり、右手を振り上げる。


「ハアアアアアアアアアッ!」


 そのまま自身の膝を殴り、無理矢理足腰を叩き起こした。

 火炎は既に黒竜の顎から漏れ始めている。

 ミシェルはすぐさま後ろを向いて全力で走った。


 数瞬して、ものすごい轟音が耳に入ってくる。

 同時に背中が一気にカっと熱くなる。


「ハアアアッ!」


 避けるなら今しかない、とミシェルは横に跳んで瓦礫の影に滑りこんだ。

 そのまま何も見ず、目と口を閉じてドレスの裾と瓦礫を全力で握りこむ。


 ――ゴオオオオオオオッ!


 地獄のような音と熱が、ミシェルの全身を包み込んだ。

 おそらく『栄光はこの手の中にグロワール・ダン・ラ・マン』を僅かでも緩めた瞬間、その肉体は即座に消し炭となるだろう。


 たった数秒が、拷問のように長い。

 しかし彼女は不屈の精神力と体力でそれを乗り切った。


「ハァァ…………ッ」


 よろけながら、ミシェルは立ち上がった。

 全霊の力で握った拳を緩めたせいか眩暈がする。

 だがそれを差し引いても、眼前の風景は強烈だった。


「見掛け倒し、なんてことではないわけですわね……」


 大ガードが、跡形もなく消えていた。

 おそらく、溶けてなくなったのだろう。それを誇示するかのように溶けた鉄がポタポタと垂れ、アスファルトを焦がしている。


「GUUUUUUUU……ッ!」


 黒竜は、依然としてミシェルに狙いを定めていた。


「口から炎は漏れていない……予想通り、連射は無理なようですわね」


 ミシェルは再び走った。

 今度は後ろではなく、前に。


(あのブレスがある以上、距離を取って戦うのは被害・勝機どちらの面で考慮しても言語道断。

 勝つためには、この拳を叩き込むしかありませんわ……!

 ……でも、)


 そう、接近戦に持ち込んだからといって自身がこの化物には勝つことは不可能だろう。

 一撃で吹き飛ばされたギレスブイグがいい証明である。


 けれど僅かでも勝機があるかもしれないならば、迷わずそれを取る。諦めるなんてことは断じて有り得ない。

 これは、自身の矜持が選ばせた選択。


 そして、八坂やさか英人ひでと

 どうやらこの国で出会った庶民の男は、このような化物と戦い続けてきたという。


「ならば、貴族である私がやらない理由はありませんわね……!」


 ミシェルは笑い、拳を握った。

 次の瞬間。


「――オオオオオオオオオッ!」


 突如跳んできた上半身裸の大男が、黒竜を頭上から殴りつけた。


「貴方……!」


「いやぁ済まない済まない! 俺としたことが数秒も気を失ってしまっていた!

 戦士として、『国家最高戦力エージェント・ワン』として、まこと汗顔の至りである!」


 豪快に笑いながら、ギレスブイグは仁王立ちになってミシェルの隣に立つ。

 尻尾の一撃によって腹のあたりが腫れてはいるが、その瞳は依然として過剰な程の自信に満ち溢れていた。

 この男もまた、化物。


 ミシェルはふっと笑って小さく息を吐き、


「……まぁ、あれで死ぬとは思っていませんでしたけれど」


「それは当然。

 しかし、竜か……成程、」


 ギレスブイグはしばら黒竜を眺めるとひとりでにうむと頷き、肩を鳴らす。


「英雄ジークフリートの生まれ変わりたるこの我にとっては、最高の相手じゃあないか!

 ハッ、ハハハハハハハハハハ!」


 雄叫びに似たその笑いは、開けた交差点に良く響いた。





――――――――――――――――――――――――――――――――――――――

【お知らせ】

いつもお読みいただき、ありがとうございます。


次回の更新ですが、所用によりお休みすることにいたします。

またまた休んでしまい、申し訳ありません。


次回は10/27(水)更新予定です。

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