新宿異能大戦㊸『風と共に参る』
――これが、理外の化物の強さ。
「……く、ふ……ッ!」
肘で上体を持ち上げ、ミシェルは口に溜まった血を吐き出した。
眼前の化物と戦い始めてから、およそ四十分が経った。
既に肉体は痛みと苦しみを通り越し、麻痺の領域に差し掛かっている。
「折れたのは……ええ、肋骨の右六、七番に左八番。
それに左の前腕も、ヒビが入りましたわね」
これまで出会った中で、あまりにも圧倒的すぎる膂力。
生来の頑丈さと『異能』のおかげで何とか耐えてこれたが、限界は徐々にそして確実に近づきつつあった。
「ですが、まだまだでしてよ……!」
ミシェルはアスファルトを握りつぶすようにして手を付き、よろよろと立ち上がった。
肉体は既に満身創痍。
おまけに自慢のドレスもボロボロという有様だが、それでも退くわけにはいかない。
「しぶとい。
いい加減、腹が立ってきた。
早く死なないと殺すぞ?」
「あら。
私が死なないのではなく、貴方が殺せないのではなくて?」
「――!」
目を見開いた、と思った瞬間、その化物は既にミシェルの眼前まで迫っていた。
(全く、その巨体で出していい速さじゃないですわよ……!)
ミシェルは内心毒づくが、同時に千載一遇のチャンスに身構えた。
劣勢とは言え、無意味にここまで戦闘を続けてきた訳ではない。
その速度はもちろん、相手のクセ、性格、得手不得手は拳を交えている中で既に掴んだ。
そして怒りに任せて一直線にこちらへと突進してくるこの時こそ、カウンターの好機。
ミシェルは全霊で拳を握り、
「ラアアアアアアアアアアアッ!」
レックスの顔面目掛けて振り上げた。
彼女の『栄光はこの手の中に』は握る強さによって硬度や重さ、強度を上昇させる能力。
その対象はあくまで生命を除外した物体であるが、一つだけ例外がある。
それは、彼女自身の拳。
――ギッ、イ”ィィィィィィンッッ!
インパクトの瞬間、到底人体から発せられたとは思えないような金属音が空気を震わした。
「アアアアアアッ!」
それは最大の握力による、最大膂力の一撃。
当たれば人間の頭部は勿論のこと、地下金庫の分厚い扉すらブチ抜く。
今回は贅沢にもそれを、思い切り振り抜いた。
「――――!?」
三メートル近い巨体が跳ね、宙を舞って吹き飛ぶ。
さらに数回バウンドを重ね、向かいのビルに勢いよく激突した。
「……っ、はああぁぁっ……!」
拳を下げた後、ミシェルは嘔吐にも似た息を吐いてその場に膝を付く。
既に満身創痍の中での、渾身の一撃。
かつてない程に無茶に無茶を重ねたことで、体内では骨と筋の悲鳴がぐわんぐわんと響いていた。
「……これで、少しは大人しくしてくれるとよいのですが」
痛む右肩を押さえ、ミシェルは土煙を見つめた。
最早こちらに先程の一撃以上の攻撃は出来ない。
だから倒すとまではいかずとも、何らかの策が講じられる程度の時間は気絶していて欲しい――
「…………まぁ、そんな甘いはずはないですわよね」
しかし奥から薄っすらと浮かんだ化物のシルエットが、その淡い期待を綺麗に消し去った。
「――痛かった」
土煙の中から、低く重い声が響く。
さらにわずかに覗いたトカゲの顔はミシェルすら顔をしかめる程に、怒りの一色で染まっていた。
「痛かったじゃないかあああああああっ!!」
「く……!」
拳を振り上げ突進してくるレックスに対し、ミシェルは近くに剥がれ落ちていた車のボンネットを掴んで盾にする。
だがそんなものはまるで紙だと言わんばかりに化物の拳はそれを容易く突き破り、ミシェルを襲った。
「が、は……っ!」
咄嗟に体を捩らせて急所だけは避けたが、それでも体の芯に重く響く。
さらに今ので左の上腕骨にヒビが入った。
「ああ死ね!
今すぐ死ね!」
もちろん相手はその程度で手を緩めるような常識人ではない。
レックスは吹き飛ぶミシェルの体に即座に追いすがり、思い切り蹴り落とした。
「………っ!」
最早、声すらまともに出ない。
肺の空気は一気に押し出され、痛みと息苦しさが一気にミシェルの脳を襲う。
さらには背骨を伝って微かに響く、ジャリジャリという気味の悪い音。
多分、肋骨も今ので砕けた。
「死ねぇっ!」
まるでゴムボールのように地面に打ち付けられてバウンドする肉体。
その中でミシェルはレックスと空中で目が合った。
人と獣の目だった。
人間性と獣性がちょうど半分ずつ混じっているような、瞳の色をしていた。
(……けど、それは善性と悪性ような二律背反では断じてありませんわ。
この身の毛のよだつようなおぞましさは……!)
そう、それは例えるならば人の悪と獣の悪の融合。
人の持つ理性的な悪性と、獣の持つ暴力的な悪性が、その目には同時に宿っていた。
眼前に、再び拳が迫る。
だが打ち付けられた時の衝撃で体は動きそうもない。
今度こそ、やられる。
そうミシェルが悟った瞬間、
「ハアアアアアアアッ!」
突如吹いた突風が、レックスの巨体を吹き飛ばした。
「……え、」
突然の出来事にミシェルは僅かに目を見開くが、その身体は力なく落下していく。
しかしその直前に空気のクッションで優しく抱きとめられ、
「――どうやらかなり苦戦しているようだな、ミシェル=クロード=オートゥイユ。
だがもう心配はいらない!」
頭上から、まるでオペラ歌手のように明瞭な声が響いてきた。
ミシェルは内心呆れながら、そっと声の主へと視線を移す。
「何故ならこの英雄の生まれ変わりたる我が、こうしてやって来たのだからな!
しかも道中全ての犯罪者どもに制裁を加えながらという偉業を成し遂げてだ!
ハッ、ハハハハハハハ!」
輝くような金髪に、「超人」という表現が相応しい完成された肉体。
そこには連邦共和国が誇る『
何故か上半身裸で。
「……まあ、野蛮人ですし今更驚きませんけれど」
「おお、まだ口が聞けたか!
無事で何よりだ!」
「……それ、馬鹿にしていますの?」
眉間に皺を寄せ、ミシェルはふらつきながら立ち上がる。
正直今すぐにでも気絶したかったが、そこは意地で立った。
「いや全く。
しかしその体では戦闘続行は厳しいだろう、休んでいるがいい」
「そうしたいのは山々です……がっ」
ミシェルは震える脚に拳を打ち付け、さらには大きく息を吸って頬を叩く。
「少々疲れたからといって己の仕事を譲るような人間を、世界は『最高』とは呼びませんのよ……!」
『
まさにそれを体現するかのように、ミシェルの瞳に宿る闘志はいささかも衰えてはいなかった。
「さすがは第五共和国が誇る女傑、素晴らしい。
思わず惚れ惚れとする程だ……ならば、」
言いながら、ギレスブイグは野球の投球動作のようなフォームでゆっくりと振りかぶる。
そして凄まじい速さで拳を突き出し、
「どちらが奴を倒すか競争といこうじゃないか!」
その先から極限まで圧縮した空気の弾丸を発射した。
――チュドオオオオオオンッ!
まるで砲弾でも着弾したかのような音と衝撃が、辺りに響く。
「ハッ、ハハハハハハハハハハ!
もう一発!」
さらにそれがもう一発。
レックスの周囲には再び土煙が舞った。
「くっ……余波で埃が目に……!
相変わらず無茶苦茶な『異能』ですわね!」
「ハッ、ハハハハ!
そう褒めるな我の『
「別に褒めていませんわよ!」
目を拭いながらミシェルはツッコんだ。
ギレスブイグ=フォン=シュトゥルムの『異能』、『
それは自身の周囲にある空気を自在に操るという、単純な能力である。
だがその規模と強度は常人の比ではない。
「はあああああっ!」
圧縮して打ち出した空気は岩をも砕き、纏った風は銃弾すら弾く。
まさに攻守一体の無敵の能力。
しかしこの超人の真価はこの『異能』だけではない。
「だから痛いと、言ってるだろオオオオオッ!」
土煙の中から、レックスがギレスブイグ目掛け突進してくる。
「ハッハハ、来たか!」
だが対するギレスブイグは笑顔で両腕を広げ、がっぷり四つでそれを受け止めた。
「な……!?」
「ハッ、ハハハハハハ!
すごいな、この我を2メートル近く後ずさりさせてしまうとは!
こんなパワーは生まれて初めてだ!」
「ぐ……っ、死ね!」
動きを封じられたレックスはギレスブイグの肩に噛みつこうとする。
「おおっと!」
だがギレスブイグは流れるような動作で避けてアッパーを見舞った。
「ガ、あ……っ!」
三メートルを超える巨体が大きな放物線を描き、地面に墜落する。
ここまで来れば、すでに明らかだろう。
圧倒的なパワー、圧倒的なスピード、圧倒的な柔軟性。
そう、彼の真価とは、地上のあらゆる生物の中で最強と目されるその身体能力にあった。
だが『異世界』産の化物も、これで終わりではない。
仰向けになったレックスは小さく呟く。
「――『
使徒第三位 対 『
その第二ラウンドが早くも幕を開けた。
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