新宿異能大戦㊳『失恋』

――どうか、男の子に生まれてきますように。


 初めて母親の言葉を聞いたのは、まだ胎内にいた時のことだった。

 もちろん胎児の頃の記憶なんて普通はない。だがこの言葉だけは、今でも何故かはっきりと覚えていた。


 そんなちょっと不思議な赤ちゃんに付けられた名前は、いずみかおる

 出生時の体重は3,030グラム

 性別は――男。


 私の実家は、それなりの名家だった。

 とはいってもそこまでお堅い家風というワケでもない、そもそも外国人のクォーターだし、私自身もそこそこ好きにやってたからね。

 しかし一方で男の跡継ぎを無意識に望むくらいには格式高かったのも事実だ。

 だから結婚してから10年近くも子宝に恵まれなかった母親に対する重圧は中々のものだったという。

 別に周囲が意地悪していたっていうことではないけど、やはりそういう空気があったし、何より母親自身が焦っていた。

 だからようやく私を授かった時は心の底から祈っただろうね。

 どうか男の子であって下さい、と。


 そしてそれに応えるように、二つの奇跡が起こった。


 ひとつはその言葉が胎児に届いたこと。

 そしてもう一つは、その胎児には願いを叶えるだけの『異能』をもっていたということ。


 ここまで言えば、もうお分かりだろう?


 私は男として生まれたんじゃない。

 母の胎内で、男に生まれ変わったんだ。


 それからずっと、私は男の子として生きてきた。

 そりゃあ戸籍的にも医学的にも男だったわけだし、疑いようもない。周囲はもちろん私自身だってそう思っていた。

 けど小学生も終わりに差しかかかった頃。

 「男」として完成されていく己の身体に違和感を覚えた時、私は思い出してしまった。

 生まれる前、まだ意識すらほぼなかった時、私は女であったということを。


 だが、思い出した所でもうどうしようもなかった。

 何故なら家族はもちろん友人も、先生も、みな私のことを男であると信じ切っていたからね。

 周囲の人間が思い描く姿に変身するという性質上、男であることは絶対だ。


 もちろん「実は私、女だった」と打ち明けるという手もあったが……出来なかった。

 だってあまりにも、今更過ぎる。

 もしそんなことを言ってしまったら――


 母はどうなってしまうんだろう?

 家は?

 友人は?

 学校は?

 将来は?

 そもそも私自身は?


 たくさんの想いで、私の中はぐちゃぐちゃになった。


 それから私は現実逃避するように、ファンタジーにのめり込んだ。

 もしこの世に『魔法』があって、『英雄』がいたらどんなにいいことだろうかと四六時中考えていた。

 中学の時も、高校の時も。

 気のいい友人や黄色い歓声に囲まれながら、ただそれだけを。


『サン・ミラグロ』の勧誘を受けたのも、その頃。


「――ねぇ薫ちゃん聞いてよ。

 どうやら『異世界』では今、五人の『英雄』が戦っているんだって」


 そして有馬ユウから初めて八坂英人の事を写真と共に聞かされた時、私の中で何かが弾けた。


 初めて、恋をした。

 一目惚れだった。

 この人を私だけのモノにしたい――そう思ったと同時に、私もこの人だけのモノになりたいと心から願った。


 そこからはあっと言う間だった。

 私は『異世界』に行く前の彼の過去を徹底的に調べた。

 母親の死、受験の失敗、義堂誠一という親友、彼を一途に思い続ける女――すぐに私は世界でいちばん彼に詳しい人間となった。

 だって、好きな人のことを知り尽くすのは女として当然だろう?


 高校卒業後、私は親元を離れて上京し早応大学に入った。もちろん彼を出迎える為だ。

 彼の第一志望がそこだったことは調査で知っていたからね。

 母は心配していたけれど、全国的にも名の知れた名門ということもあって祝福してくれた。


 そうして講義初日。


「私は泉薫。

 ちょっと男っぽい姿をしているが、ちゃんと女なので宜しくね」


 私は人生で初めて、親が付けてくれた名前に感謝した。


 名前さえしっかりしてれば、変に疑われることもない。

 もちろん書類上は男だったけど、普通に大学生活を送っていれば指摘されないだろうしね。性別に寛容なご時世でもあったし。


 とにかく早応のキャンパス限定で、私は女と認識されるようになった。


 徐々に、女と化していく私の身体。

 最初の頃は全然男だったけど、服装やメイクに気を遣えばそうそうバレることもない。少なくとも免疫のあまりない男子の眼を欺くには十分、理工学部を選んだのもその為だ。


 その後、私は廃部寸前だったファンタジー研究会の扉を叩いた。

 元々ファンタジーが好きだからと言うのも勿論ある。

 だがそれ以上に、彼を迎え入れる場所が欲しかったんだ。


 だって、剣と魔法の『英雄』が入るサークルとしてこれほど相応しい所もないだろう?


 それからしばらくして、部長となった私は無駄に豪華な椅子に腰かける。


 準備は整った。


 ひと目その姿を見て以来、私は全てをその恋の為に費やした。

 それでもまだ足りないと思えてしまうのが、恋の恋たる所以なのかもしれない。


 日々膨らむ胸部と臀部をそっとさすり、古ぼけた天井を見上げる。


「――ああ、八坂やさか英人ひでと様。

 早く私に、会いに来てください……!

 そして私を愛して下さい……!」


 そしてその数か月後の春、私はこの部屋に彼を迎えた。

 あの時の胸のときめきは、今でも忘れられない。



 ああ本当に、本当に人を愛するって素晴らしい。



 ――――――


 ――――


 ――




「いやだあああああああぁぁぁぁっっ!」


 荒れ地と化した西新宿の中心で、一人の少女が慟哭していた。

 すらりとしながらも曲線のある体躯、白銀のショートヘアに王子様系の顔。

 それはまごうごと無くファンタジー研究会代表、泉薫その人だった。


「ああああああぁぁぁあっ!」


 普段は凛としていたはずの両の眼から、大粒の涙が絶えず流れ続けている。


 もちろん、フラれた悲しさ故の涙ではあるだろう。

 しかし同時に自我を捨てると言いながら捨て切れなかった――その情けなさが、その粒をより大きくしていた。


「……思った通りだ。やっぱり貴方は、残ってた。

 もしかしたら、という望みを諦めることをしなかったから」


 『最強の戦士ウォリアー・オブ・ストロンゲスト』を解除した英人が、静かに口を開いた。


 泉薫という少女が最後まで諦めることのなかった望み――それは、もしかしたら自分の想いを八坂英人が受け入れてくれるかもしれないという期待。

 自身の姿形すら捨てられても、それだけはどうしても捨てきれなかった。

 何故か。

 それは彼女が本気で恋をしていたからに他ならない。


「ち、違う……っ!

 私はっ、私は君に……っ!」


「……最後に、もう一度だけ言います」


 よろよろと近づいてくる薫に対し、英人は僅かに息を吸い、


「俺は貴方と、愛し合うことは出来ません」


 諭すように、静かに振った。


「う、う…………!」


 それは誰かを想う者あるなら、誰しもが聞きたくない言葉。

 薫は顔を青ざめさせ、倒れかかる様にして英人の胸を掴んだ。


「……やだ」


 胸板の上で、小さな拳がきゅっと握られる。


「やだやだやだやだやだやだやだ!」


 しだいにその強さは大きくなり、ドンドンと胸板を叩き始める。

 英人はひと言も発さず、微動だにもしなかった。


「こんなの絶対にいやだ! 納得できない!

 私が、私がいっちばん君のことを好きだったんだ!

 だから私が八坂君と愛し合う権利があるんだ! こんなの絶対認めない、認めないからな!」


 薫は視線を上げ、英人を下から睨む。

 その顔は涙と鼻水でぐちゃぐちゃだった。


「そもそも君は私の一体何が不満なんだよ!?

 学歴があって、顔もスタイルも良くて、実家だって太くて、自慢じゃないが私はすごくモテるんだ!

 だから君みたいなキャンパス内で浮いているアラサー男からすれば、普通に高嶺の花な筈なんだ!

 それが好きだと言ってるのだから、黙って受け入れろよ!」

 

「それに私、君のためなら何だってやるよ!?

 働きたくないなら私が稼ぐし、入りたい所があれば実家のコネ使ってどうとでもしてみせる!

 それにもし、気に入らないやつがいれば私が代わりに殺してやろう!

 そして溜まったらいつだって好きな時に私を抱けばいい! もちろん大歓迎だ!

 たとえ壊れてしまうような行為でも、全部笑顔で受け入れて見せる自信がある!」


「さぁどうだ!

 世界中のどこを探したってこんなにも君を愛し、それでいて都合のいい女なんて見つかりっこないだろう!やっぱり君は私を愛するべきなんだ、違うかい!?

 さぁ早くさっきの言葉は嘘だと言ってくれ!」



「早く!」



 そう言って焦燥した表情で、薫は英人に詰め寄った。

 荒い息遣いだけが、辺りに響く。


「…………ごめんなさい」


 最後の拒絶は、消え入りそうな程にか細い呟きだった。


「……う、うああああああああああ……っ!」


 薫はその場に崩れ再び涙を流す。

 もうどうあっても、自分と八坂英人は結ばれない――確定したその事実が彼女の心を散々に打ちのめした。


 少女一人の嗚咽と慟哭が、西新宿に木霊する。

 美鈴も、カトリーヌも、リポーター達も、その場にいた全ての人間はそれを黙って聞いていた。


 しばらく佇んだ後、英人は蹲る薫の肩に手を伸ばす。

 だが薫の手がそれを跳ねのけた。


「……余計に惨めになるだけだって、君なら分かるだろ?」


「……はい。

 でも俺は貴方に、生きていて欲しい。それではダメですか?」


「君に愛されることのない世界なんて、私はいらない」


 薫は視線を下げたまま、答えた。


「……立ちましょう、代表。

 本当は振った俺が手を差し伸べるべきじゃないんでしょうけど、それでも俺は貴方にこのままでいて欲しくない」


「無駄なことは、やめてくれ。

 想いが断たれた以上、私に残ったのはおよそ抱えきれない量の罪だけだ。

 ……見給えこの光景、全部私だ。私がやったんだ。

 こんなの化物以外の何者でもない」


 薫は視線を落とし、尖った瓦礫を手に取って首に向けようとする。


「……だったら私たちも、化物ですよ」


 しかしその手を、美鈴みすずがそっと掴んだ。


「コノ瓦礫の10パーセント位は、私たちのせいですもんね」


「美鈴君、カトリーヌ君……」


 呆ける薫の手から、カトリーヌは優しく瓦礫を取り出した。


「それにそんな私たちよりもずっと、英人さんの方が強いんですよ?

 化物うんぬんは言いっこナシです」


「……でも君たち三人は、れっきとした人間だ。

 けど私は……あれを見ただろう? 

 私は自分の姿形すらロクに定まらないような、化物なんだ」


「ソンナことは……」


「ある。

 これでも客観視はしてるつもりだ。

 だから私は、」


「――いいですよ」


「…………え?」


 薫は視線を上げると、英人はゆっくりと膝を落としてその高さを合わせた。


「……代表のなりたい姿で、いいですよ。

 男でも、女でも、化物でも。

 たとえどんな姿であれ、俺は、俺たちは、しっかりと受け入れますから」


 泉薫に思うがままの姿でいて欲しい――それは英人の本心だった。


(本気でぶつかってみて、分かった。

 この人は「本当」をさらけ出すことが、苦手だったんだ。

 多分、その能力のせいで)


 大きな嘘は、たとえ誰かを想うものであっても時には心を蝕む。

 愛が偏ったのもその為だ。


「い、いや……だから君もあれを見ただろう!?

 君への想いが届かなかった今、私はただの犯罪者だ!

 生きてる資格なんて、」


「ありますよ」


「いやしかし!」


 薫は身を乗り出して反論する。


「……だって代表、まだ誰も殺していないじゃないですか」


 英人はそっと肩に手を置き、優しい口調で言った。


「……い、いや、」


「確かに間接的には、という点ではそうかもしれない。

 でも貴方の手はまだ血には汚れていないはずだ。ならまだやり直せる。

 というよりそれでやり直そうとしないのは、ただの逃げだ」


「八坂、君……」


 その険しい目を見、薫はきょとんと肩を落とす。

 八坂英人に叱られる――それは彼女にとって初めての経験だった


「だからもし貴方が今ここで投げ出すと言うのなら、今度こそ俺は本当に貴方を嫌いになります。

 多分一生口を聞くこともないかもしれない。

 貴方はそれでいいんですか、代表?」


「そ、それは……」


「ん?」


 双眸はさらに険しくなる。


「い、嫌だけど……」


 剣幕に押される形で、薫はおずおずと答えた。


「なら、貴方はまだ生きるべきだ。

 たとえどんなに苦しくても、犯した罪を償って……ってこれじゃ義堂だな、うつった。

 とにかく、死ぬのだけはダメですよ、代表」


「でも……」


「代表」


「う……」


 有無を言わさぬ眼が、薫を突き刺す。

 薫もしばらくは唸って抵抗していたが、


「…………分かったよ」


 最後は降参して、頷いた。


「良かった」


 言って、英人は改めて手を差し出す。

 薫がそれをそっと手に取ると、英人は薫を持ち上げるようにして立ち上がった。


 視点が上がったせいか、破壊された街の様子がより鮮明に薫の目に映った。


「……とはいっても、これを償うのは大変そうだな。

 終わった時にはおばあちゃんになってしまうかも」


「……それでも俺は、俺たちは待ちますよ。

 あの部室で、ずっと」


 英人は薫を真正面から見つめ、言った。

 その傍らでは、美鈴とカトリーヌも笑顔で頷いている。


「君たち……」


 ファンタジー研究会。

 それは本来、八坂英人を迎え入れるために用意した居場所だった。

 選んだ理由もただ単に自身の趣味と合っていたからで、最初は愛着なんてあろうはずもなかった。

 

(でもいつしか、私自身の居場所にもなっていたという訳か……) 


 ふと薫の脳裏に、部室での情景が浮かんだ。

 たった数日前の景色。

 なのに懐かしい、と思った。


 薫は小さく息を漏らし、口を開く。


「……でも償ったところで、付き合ってはくれないんだろう?」


「はい」


 英人は即答した。

 薫は眉をひそめる。


「そこは、冗談でも否定して欲しいなぁ」


「嫌ですよ。

 ああまでして想いを伝えてきてくれた人に、嘘はつきたくないですから」


「え――」


 薫は眼を丸くし、英人を見る。

 彼は先程よりも強い視線で、彼女を見ていた。


「だってそうじゃないですか。

 貴方が本気で来てくれたから、俺も本気で振ろうと思えたんです。

 己の臆病や弱さと向き合うきっかけをくれた人に、そんな不義理は出来ない」


 英人はそっと、薫の右手を両手で掴んだ。


「だから代表、ありがとうございます。

 そして何十年か経った後、また同じ台詞を言わせてください、あの部室で」


「――ふふっ。

 本当に、」


 薫は左手を口に当て、顔を下に向けて笑う。


「本当にひどい男だ、君は」


 再び上げた時、その表情は涙まじりの笑顔だった。




――――――――――――――――――――――――――――――――――――――

【お知らせ】

いつもお読みいただき、ありがとうございます。


次回の更新ですが、所用によりお休みすることにいたします。

申し訳ありません。


次回は9/29(水)更新予定です。

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