新宿異能大戦㊱『背中と背中』
――――十九年前。
「おら、こっちまでこいよー!
返してやんねーぞ!
ほらパース!」
「へへっ、次はこっちー!」
「か、返せよ……っ!」
「返さないよ~ん、へい次パス!」
「あらよっと」
「だから返してよ!」
彼は近所の河川敷で、三人の同級生に囲まれていた。
彼等がひょいひょいとパスし合っているのは、誕生日プレゼントに買ってもらった携帯ゲーム機。
今の英人にとっては宝物と言っていい代物だった。
「うるせぇ、ノロマのクセに!」
「ぐぁ……っ!」
同級生の一人から力強く押され、英人は尻もちをついて倒れた。
ひりひりとした痛みが臀部と掌を襲う。
しかも運の悪いことにそこはぬかるみで、時間差で不快な感触がパンツ越しに染みだしてきた。
「ははっ、汚れてやんの!
ウンコだウンコ!」
「漏らしてんじゃねーよ八坂ー!」
「ギャハハハハハっ!」
「違うって……!」
よろよろと立ち上がり、英人は少年たちを涙交じりに睨んだ。
しかし小四の、しかもいじめられっ子の眼光ではその効果もたかが知れている。
「はははははっ!
何が違うんだよー!」
むしろますます気を良くした少年の一人が再び英人を押し倒そうとした時。
「やめろお前ら!」
よく通る声をした少年が二人の間に割って入り、その手を掴んだ。
「うわ、なんだよ離せ!」
「離すか!」
少年は必死にもがくが、手は全く離れる気配がない。
多分、力の使い方が絶妙なのだろう。纏う空気といい、明らかに小学生離れしている。
「ぎ、義堂……」
そしてその少年は、英人の幼馴染だった。
義堂は振り向き、口を開く。
「そこを動くなよ、八坂!
ここは俺が何とかするから!」
「くそ、お前にはカンケ―ないだろ義堂!」
「ある! 俺の夢は警察官だ!
そして警察官は友達を見捨てたりはしない!」
そう叫んで手を離すと、支えを失った少年の身体はバランスを崩してその場に倒れた。
「ぐわっ!?
う……泥が……!」
「八坂を苛める奴は俺が許さない!
相手してやる!」
義堂は少年達の前に仁王立ちとなり、腕を組む。
ピンと張った背筋に、小学生離れした力強い瞳。
さっきの英人とはまるで役者が違った。
当然ただの小学生三人が食って掛かろうと思う訳もなく、
「わ、ああああああっ!」
「に、逃げろー!」
後ろにいた二人の少年は全力ダッシュで逃げていく。
「ま、待てよ!」
その後やや遅れ、ズボンを茶色に濡らした少年も去って行った。
「……ふぅ、行ったか。
大丈夫か、八坂」
「うん。
……ちょっとお尻が汚れちゃったけど」
義堂が差し伸べて手に引かれながら、英人はよろよろと堤防を登っていく。
眼前には、幼馴染の大きな背中。
「……ゴメンね」
ふと英人の口から言葉が漏れた。
その時は自覚がなかったが、多分弱い自分が情けなかったのだろう。謝らずにはいられなかった。
「別に、気にしなくていい。
警察官なら、こういうのは見過ごせないからな。
でも少しはやり返せるようにならなきゃダメだぞ?」
「うん……」
「だからそれまでの間は、俺が守ってやらなくちゃな」
雑草の生えた階段を登りきると、義堂は振り返って英人の両肩を掴む。
「うん、ありがとう……」
「じゃあ、一緒に帰ろう」
「……うん!」
その時見せた笑顔は、とても頼りがいのあるものだった。
――――――
――――
――
「――俺、」
西新宿。
星の瞬く夜空に、うっすらと土煙が舞っている。
「本当は、お前みたいになりたかったんだよな」
「………はい?」
「親友の話さ」
瓦礫に手をやり、英人はゆっくりと立ち上がる。
目の前には、強大な敵。
小学生の頃と違うのは、今の自分には戦う力があるということ。
その敵が、大切な人でもあるということ。
しかしあの時と変わらないことも、1つだけある。
「俺は今も昔も、臆病なままだ」
そう、ずっと怖かった。
傷つけることも、傷つけられることも。だからいつも義堂に護ってもらってばかりだった。
それは『異世界』にいってからも同じ。
力を得ても、仲間を得ても、最愛の人を得ても。いつだって身震いするくらいに恐れていた。
本当に怖くて逃げだしたくて仕方がなかった。
でも、それでも。
それでも誰かの為に戦う――その第一歩を踏み出そうと思えたのは、
「聞いてるか、義堂。
八坂英人は叫んだ。
全世界に聞こえるように。なにより、たった一人の男に届くように。
「俺はずっと、お前に憧れていた!
お前みたいになりたかったし、羨ましいとも思っていた! 今でもそれは変わらない!
でもどんなに憧れたって義堂誠一は義堂誠一で、八坂英人は八坂英人なんだよな、結局の所。
『
英人は大きく一歩、踏みしめた。
後ろではカメラマンがその背中を余すところなく画に収める。リポーターは必死にマイクを向ける。
どちらも半ば本能的な行動だった。
しかし報道に携わる者として、たとえ死の危険が迫ろうとその全てを流し続ける義務がある――彼等は直感的に悟ったのだ。
「お前が今、どういう状況なのかは大体把握している。
だというのに何もしてやることが出来なくて、悪かった。
…………怖かったんだ、押しつぶされていくお前と、助けてやれない俺自身を見ることが。
でも、もう逃げない。逃げるわけにはいかない。
親友、だからな」
英人はゆっくりと視線を上げ、向き合うべき相手を見る。
「AAAAAAAAAAA……ッ!」
それはこの世界で、居場所をくれた人だった。
◇
同刻、代々木。
どこかの定食屋。
「あ……!」
気付けば義堂は立ち上がって、画面を食い入るように見つめていた。
『今、行く……!』
中では、親友が一歩ずつ真っすぐに敵へと向かっていく。不退転の決意を示すように。
『AAA……!』
対する敵の表情は分からない、だが僅かに震えている。
『AAAAAAAAAAAッ!』
十本近い触手が放たれた。
もはやテレビカメラではその残像しか捉えられないほどの速さ。当たれば英人と言えど無事では済まないだろう。
『…………っ』
だが、彼は避けなかった。
それどころかさらに一歩、脚を前へと踏みしめる。
『AAAAAAAAAAA……!』
『……やっぱ臆病だな、俺。
こうしてたかだかひとこと言う為にも、こんな馬鹿をしなくちゃならない……我ながら、筋金入りだ』
英人は歩みを止めない。
身体にいくら風穴が空こうと、都度再生しては前に進む。進み続ける。
『元々、「英雄」なんてガラじゃなかった。
それでもそう呼ばれるようになったのは仲間に恵まれたのと、あとは単純に運が良かった。
でもよ、そんなおこぼれみたいなモンだって、手を伸ばさなきゃ掴めない。歩かなければ近づけない。
そしてその一歩を踏み出す勇気をくれたのが――』
「いたぞ、ここだ!」
その時、信徒の一人が定食屋の扉を開けた。
『お前という背中だ、義堂』
しかし義堂は、微動だにせずテレビ画面を見つめる。
『俺はお前がいたから、ここまでやってこれた。
どんな苦しい時も、あの背中を思い出したからこそ、ここまで進んでこれた。
右も左も分からないあの世界で、お前は俺の希望だったんだよ、義堂。
だからもう迷うな、責めるな。
お前のやってきたことは間違ってない。
もしこれから間違うことがあるなら、そん時ゃ全力で止めてやる!』
「八坂……!」
『だから今度は俺が、見せる番だ。
あの時お前が教えてくれたものが、どんなに素晴らしいものだったか、』
「――義堂様!
そんなもの見てないで、早くこちらに来てください!」
痺れを切らした信徒の一人が、突然テレビを焼いた。
明らかに旧型だったそれはごうごうとよく燃え、床に落ちる。
義堂はその様子をじっと見つめていた。
「さぁ、ヴェガ様の所へ……!」
定食屋から連れ出そうと、信徒の一人が彼の肩を掴んだ。
だがその瞬間、
「おおおおおおおおおおおおっ!」
その体は宙を舞い、テーブルに叩きつけられた。
「な……っ!?」
「抵抗するのですか!」
「するに決まっている!!!!!」
「えっ!?」
「おおおおおおおおっ!!!!」
義堂は走った。
肩を前に突き出し、猛牛のように信徒たちの身体を跳ね飛ばしながら店を出た。
無論、外にはそれ以上の信徒や参加者たちがいる。
だが、
「怯んでいられるか……!」
義堂は信徒が落とした角材を拾い、正眼に構えた。
『無双陣羽織』もない状況では倒せてもおそらく数人であろう。
しかしそんなことは大した問題ではない。
大事なのは立ち向かう事。
かつて自身が実践し、そしてたった今、親友が思い出させてくれたように――!
「来い……!」
義堂は決死の覚悟で呼吸を整える。
その時、
「――はっ。
どこにいるかと思えば、こんなトコで道草食っていたのかい義堂?」
煙草の匂いが、ふと鼻を掠めた。
「…………
「ま、お前さんのことだから新宿のどっかにいるとは思っていたけどね」
「ですねー」
さらに彼女の傍らにはピンク髪の少女と数人の男女がいた。
「
「私たち全員?
まさか」
「邪魔する奴は殺せ!
我々の目的はあくまで義堂様をお連れすること! 後はどうでもいい!」
純子が余裕そうに煙を吐く前で、信徒たちが炎を巻き上げてジリジリと距離を詰めてくる。
しかし、
「目標確認、一気に放水しろ!!」
当然現れた放水車が挟み撃つように停車し、彼等に冷や水を浴びせた。
「うわっ、冷た……っ!?」
「何だいきなり!?」
「よし今だ、制圧開始!」
さらに今度はその脇から警官隊が繰り出し、怯んだ信徒たちの陣形を引き裂いていく。
放水による奇襲から間髪入れずに突撃。まさに流れるような連携だった。
「驚いたろう?
はるばる神奈川県警から来てくれたのさ、お前と一緒に戦うためにね」
「まさか……」
義堂が目を丸くしていると、警官隊の中から二人の人物が歩いてくる。
「……うむ、どうやら上手くいったようだな。
横浜の一件での経験が活きた」
「とはいっても大変すぎますよこれ~!」
それは厳格ながらも尊敬に値する元上司に、少々抜けた所はありつつも可愛げのあった部下。
「……藤堂さん、足立……」
「久しぶりだな、義堂」
「義堂さん!」
神奈川県警時代の上司と部下であった。
「来てくれてたなんて……!」
「首都の一大事だからな。
神奈川県警以外も関東圏の県警からかなりの部隊が動員されていた。
もっとも、志願者が一番多かったのは
藤堂に促されるまま、義堂は彼等の姿を見た。
「……ほとんどが仕事を通じてお前と知り合った人間たちだ」
共に事件に向き合ってきた同僚。
横浜で共に戦った機動隊。
皆が義堂の顔を見るやいなや、拳を上げて微笑んでくる。
一人の例外もなく、その顔は煤と汗と血で汚れていた。おそらくここに来るまでに相当苦労したのだろう。
しかし、燃えている。
彼等の瞳は一人の例外もなく、燃えている。
『サン・ミラグロ』にも負けない、正義の炎が煌々と。
「……義堂」
「はい」
「火は点いたか?」
「はい……!」
藤堂の言葉に義堂は伝う涙を拭うことなく、深く頷く。
「……第二陣来ました!
先頭にはフランシスコ=ヴェガもいます!」
「来たか……義堂」
「ええ……!」
義堂は背筋を伸ばし、アスファルトを踏みしめて敵へと向かう。
その姿に最早迷いの色はない。
「おっと、忘れモンだよ」
途中で、純子が義堂に何かを投げ渡した。
受け取って見てみると――それは、木札。
純子はニヤリと笑った。
「手帳はともかく、こっちは入り用だろ?」
「…………はい!」
義堂は小さく頷き、木札を握りしめ呼吸ひとつ。
眼前には使徒第二位フランシスコ=ヴェガ率いる炎の集団。
強敵だ。
さらに悪いことに、自身はこの力を未だ使いこなせてはいない。
(……だが。
だが不思議と、落ち着いている)
義堂は静かに目を閉じ、神経を研ぎ澄ます。
――まだ……!
その時。
背中越しに、息遣いが聞こえた。
―――俺はまだ、進み続ける……っ!
一歩一歩踏みしめるようにして歩く、足音も。
――――――代表っ……!
(……そうか、)
――――――――おおおおおおおおおおっ!
(ようやく俺たちは、互いの背中を預けて戦えるんだな)
夜空を仰ぎ、義堂は木札を強く握る。
背中が、熱い。
身体が、熱い。
「全展開――」
そして何より、心が熱い。
義堂は叫ぶ。
「
無双とは、
新宿の地にただ一人の守護者が降り立った。
◇
同刻、西新宿。
「――ようやく、着いた……」
血まみれになった男は、ゆっくりと顔を上げて大切な人の前に立つ。
「すみません、代表――」
その表情は、鮮血で見えない。
けどどこか悲しくも切なそうに見え、
「俺は貴方と、愛し合うことは出来ません」
その日、『英雄』は初めて誰かの想いを絶つことを知った。
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