新宿異能大戦㉞『ファンタジー研究会』

 午後11時29分。

 西新宿。


「……つ………くっ」


 数分前まで雑居ビルだった瓦礫をどかし、英人はゆっくりと立ち上がった。


「予想以上の、威力だったな」


 言いながら、服についた砂利をパラパラと払う。

 正直な所、ここまでの規模の攻撃をしてくるとは思ってもみなかった。

 この世界どころか『異世界』でも通用するほどの攻撃――現状はまだ余力を持って対処が可能だが、彼女の能力の性質上まだまだ威力は上がるだろう。

 英人が目線を上げると、ヒトの姿に悪魔の翼を生やしたシルエットが、煙の中で揺蕩いながらこちらに向かってくる様子が見えた。


「……ゴメンね八坂君、ついカッとなって君を傷つけてしまった。本当に済まない。

 でもこれは君も悪いんだ、そこは分かってくれるよね?」


「……確かに、そうかもしれないっすね」


 英人は僅かに視線を下げ、言った。


「ふふ、分かってくれたみたいで嬉しいよ。

 八坂君はすぐに色んな女と交友関係を持ってしまう傾向があるからね、そこは直していかないと。

 ――私が、直々に」


 『覚者かくしゃ』は目にも止まらぬ速さで飛び上がり、月を背にする。

 次の瞬間、夥しい数の黒き魔弾が夜空を覆いつくした。


「『中級聖障壁ミドル・セイントガード』!」


 英人は即座に魔力障壁を展開し、魔弾の雨の直撃を防ぐ。

 『再現変化トランスブースト』によるアシストなしで即座に発動できるレベルの魔法はよくて中級程度。


――ガガガガガガガッ! バキィッ!


 当然『使徒』の本気の攻撃に耐え続けられる筈もなく、ものの十秒で亀裂が入り始めた。


「『反復詠唱アゲイン』!」


 英人は『中級聖障壁ミドル・セイントガード』を繰り返す形で唱え、障壁を再び展開する。


「『反復詠唱アゲイン』!」

「『反復詠唱アゲイン』!」


 そのまま破壊と再構築を繰り返すこと数度、魔弾の雨は徐々に弱まっていく。

 英人はその瞬間を見逃さず、


「『追加詠唱・強化プラス・リィンフォース』!」 


 『強化』の魔法を追加して障壁を強化。


「らぁっ!」


 さらにはそれを渾身の膂力で押し投げた。

 強化された障壁は魔弾の雨を弾き、一直線に『覚者かくしゃ』を襲う。


「ぐっ!?」


「そこ!」


 一瞬の隙、だが距離を詰めるには十二分。

 英人は跳躍し、勢いのまま『覚者かくしゃ』の腹あたりに拳を見舞った。


「――――っ!」


 感触は、まるで何かを溶かしこんだような、密度の高い液体のようだった。

 その証拠に黒いシルエットはバシャァ、という音を響かせまるで抉れたように姿を歪める。

 おそらく、確たるダメージはない。


「八坂君……!」


 眼前ではすぐさまその身体を再生、もとい変化させてこちらを狙う『覚者』の姿。

 そしてこの怪物に、単純な物理攻撃は通用しない。

 英人は冷静に、次なる手を撃つ。


「『再現変化トランスブースト』――」


 その腕に再現するは、京都で見えた『四厄しやく』の一人。


「『絶凍の氷狼アブソリュート・フェンリル』!」


 また『異世界』ではフェンリルと呼ばれ恐れられた『魔人』の力であった。


「――!

 こ、凍」


「らああああっ!!!!」


 英人は叫び、冷気を纏った脚で蹴り下ろす。

 今度は受け流せない。極限の冷気によって揺蕩っていたシルエットはピシリと固まる。

 そのまま『覚者かくしゃ』は地面まで吹き飛ばされた。


「つ、ぐ……!

 ひどい、ひどすぎるよ八坂君……! 

 でも、これでいい。これでいいんだ……!」


 よろよろと立ち上がり、辛うじてヒトの姿を保つシルエットは凍った部位を切り離す。

 ぼとりと音を響かせ落ちるそれは、大粒の涙のようにも見えた。


「君に愛されない泉薫なんて、いらない。

 これまで私と君が培ってきた時間ごと葬り去るべきなんだ……!」


 その鬱屈した感情に呼応するように、『覚者』は再びそのカタチを変えていく。

 泉薫の『異能』、『愛する者の為に粧うトランスフォーメーション』。

 その能力は『憑魔来臨デモニック・ポゼッション』による悪魔化を経て、今や周囲の負の感情を吸収して成長する力へと変化しつつあった。


「流れてくる……殺す、生きたい、奪いたい、潰したい、死にたい、終わって欲しい……。

 ああそうだ、私も彼との全てを終わらせたい。

 だってあの男はいつも、そういっっつも思わせぶりだからね……!」


 ゆらり、とそのカタチは姿勢を変える。

 目の前にいたのは、この世で最も愛しいひと


「……八坂君」


 男は答えなかった。


「……皆、見てるね」


 気付けば、参加者たちはいつの間にか殺し合いを止めて固唾を飲んで見守っていた。

 いくら『異能者』という超常の存在になったとは言え、二人の戦いはまるでレベルが違う。

 それゆえ、誰もが血染めの手を止めてこちらに釘付けになっている。


「……もっと、見てもらわなきゃ。

 泉薫という人間が、どれだけ残酷で卑劣な化物かを」


『覚者』はその身体を触手のように伸ばして近くにいた参加者を突き刺そうとする。

 英人はすんでの所でそれを掴み、止めた。


「させない……!」


「でもそうしたいんだよ、私は!」


 もはや触手が伸びたのは腕からなのか腹からなのか背中からなのか、分からない。

 ただ『覚者かくしゃ』は四方八方にそれを張り巡らし、無差別に参加者たちを襲う。


「『脚力強化』!」


 英人はすぐさま跳躍。

 次々と放たれる触手を瞬時に凍らせ、捌いていった。


「全く持って完全に予想通りだよ、八坂君……!

 君はいつだって、周囲の人間を助けてしまう。でも私が欲しいのはそれじゃない!

 もっと苛烈な激情なんだ!

 だから私は化物になるしかなかったんだよ!」


 だが徐々に徐々に、触手の本数と速さが増していく。

 傍から見ればそれは、もはや人を殺すことだけを使命とした化物でしかなかった。


「愛してくれ! そうでなければ憎んでくれ!

 早く! 早く!」


「く……っ!」


 まずはこの攻撃を止めなければならない。

 英人はそう腹を括り、『覚者かくしゃ』本体に向かい冷気を放って凍らせる。

 しかし、


「――仕切り直しの為に、ひとまずの活動停止を目論む。

 君なら必ずそうくると思ってたよ」


(しまっ――っ!)


 後ろから響いた声に、英人の背筋が凍った。

 今攻撃したのは、本体ではなく彼女の末端。つまりどこかのタイミングで切り落とした触手と本体が入れ替わっていたのだ。


 振り返ると、既に『覚者かくしゃ』は参加者を串刺しにしようと触手を伸ばしている。

 ここからでは、完全に間に合わない。


「くそ――!」


 終わった、と思ったその瞬間。


「――ハアアアアアッ!」


 鋭い蹴りが、すんでの所で触手を弾いた。


「何……?」


 驚いたように佇む覚者。


 その前には、二人の少女が立っていた。


「――ヨウやく、見つけました」


 一人は、モデルのような長身に輝くような金髪をしたラトビア人の美少女。


「泉代表も英人さんも、私たち抜きで話を進めようとするなんて酷いです。

 ……私たちだって、ファンタジー研究会なのですから」


 もう一人は長い黒の前髪が特徴的な、オカルト好きの美少女。

 英人は目を見開いて二人の名を呟く。


「カトリーヌ、それに美鈴……」


 カトリーヌ=フレイベルガに、秦野はだの美鈴みすず

 魔都と化した新宿に、ファン研メンバーが勢揃いした瞬間だった。





 ◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇



 午後11時31分。

 代々木駅周辺。


「『異能』、発動――」


 ヴェガが笑った瞬間、その腕からは炎が立ち上がる。

 聖夜の夜に煌々と燃え盛るそれは、ある意味では美しい。


「『連鎖万獄(ヘル・ゲヘナ・インへルノ)』」


 だがそれも僅かに一瞬。

 見とれる暇すらなく、炎は一気に眼前へと迫って来た。


「くっ!」


 横に飛んだのは、ほぼ反射に近い行動だった。

 咄嗟の回避行動だったので受け身すら満足に取れず、義堂は伏すような形で地面に倒れ込む。

 掌に伝わる、アスファルトの無機質ながらも重い痛み。

 しかしそれ以上に背中に感じる熱さと鼻をつく焦げ臭さが、義堂の心胆を寒からしめた。


「出来れば避けないで頂けると。

 これは清めの炎なのですから」


「ふざけたことを……っ!」


 吐き捨てながら、義堂は立ち上がる。

 目の前のヴェガはなおも慈悲の笑いを浮かべていた。


「貴方の『異能』は既に存じています。

 『不屈の信念』――自身に対するあらゆる精神操作や催眠の類を完全にシャットアウトする能力。

 とても魅力的な名前で、実用性も十分。

 しかし惜しむらくは直接的な戦闘力がない」


 ウェガの全身から、炎を噴き上がる。


「さぁ信徒諸君、そして我らの志に従う参加者および警察関係者各位!

 私を見よ! この全身から湧きたつ炎を見よ!

 これこそが現世の罪を焼き滅ぼし、理想の世を為す正義の炎です!」


「「「「「「おおおおおおおおおっ!!!!」」」」」」


 応えるは、代々木全体を包む雄叫び。

 さらにそれに観応されるように、炎はますます勢いを増した。


「炎が大きく……?」


「そうです。

 『煉獄ヘル・ゲヘナ・インヘルノ』の源、それすなわち正義。

 我らが修道会の正義に同調するものが増える程、この炎はより大きく強くなる。

 そして――」

 

 ヴェガは両手を広げる。


「我らに同調する者たちもまた、同様の力を行使することが出来るようになるのです!」


 すると信徒や同調者たちの身体からも同様に炎が立ち上った。


「おおおおおおっ、ヴェガ様の炎だ!」

「これぞまさしく同志の証!」

「すごい、まるで正義そのものになったみたいに……!」


 まるで延焼するかの如く、次々と広がる炎の輪。

 信徒、参加者、警察官――灯る相手はどんな立場だろうと関係ない。狂った正義が為した炎は夜の代々木を眩しく照らした。


「素晴らしい光景でしょう? 

 最初はマッチほどの火から始まり、今や街一つを照らすまでに至った。

 これも偏に、皆が我らと同じ正義を信じてくださったお陰。

 大切なのは、志を同じくする仲間との絆。

 ただの独りでは何ひとつ為せない『異能』――それが私の『連鎖万獄ヘル・ゲヘナ・インヘルノ』なのです」


 両腕を上げた状態で、ヴェガは一歩一歩踏みしめるように義堂へと向かって歩く。

 逆に義堂は一歩も動けなかった。

 信徒たちに囲まれていることもあったが、それ以上に明るすぎるのだ。まるでこちらの意図も全て照らされているように。


「……我らと共に正義の道を歩みましょう、義堂さん」


「何を……!」

 

 義堂は睨み返す。

 精一杯の抵抗だった。


「我らと共に来れば、貴方も『連鎖万獄ヘル・ゲヘナ・インヘルノ』の恩恵に預かる事が出来る。

 つまりはもっと実用的な力を手に入れることになる。貴方にとってこれはとても価値のあることのはずだ、違いますか?」


「俺に、犯罪者とはいえ人を殺せと……!?」


「どうやら誤解されているようですが、我らが修道会にとって殺しとはあくまで手段。

 この現世に神の教えと正義を為すためのものでしかありません。

 そしてその正義も時代によって徐々に移り変わってゆくもの……もし現状に不満点があるというのなら、我らにも譲歩する準備があります。

 むしろそれ故に貴方を修道会に招きたいと思っているのです。

 どんな組織にも、新たな風は必要ですから」


 言って、ウェガはそっと右手を差し出す。


「さぁ、この手を」


 その手は炎に包まれていなかった。


「…………!」


 義堂は一瞬、掴んでみたいという衝動にかられた。


 確かに彼等は間違っている。

 それは疑いようもない。


 でもそれを言うなら、自分もではないか?


 かつて国民に多大な迷惑をかけた過去。

 人道を外れた父に対して何ひとつ出来なかった現在。


 こんなの、正しい訳がない。

 ならいっそ――


『――後は、任せた』


 その時、とある男の背中が義堂の脳裏を過った。


「え……」


 さらに同時に炎の勢いが、まるで何かに吸われたように一瞬弱まったのである。

 理由は不明だが、千載一遇の好機。


「……っ、おおおおおっ!」


 義堂は雄叫びを上げながら走り出し、包囲を突破して走り去った。




「申し訳ありませんヴェガ様。

 先回りして包囲いたしますか?」


「……いえ、このままでいいでしょう。

 相手が不屈ならば、塞ぐのではなくわざと開けて誘導するのが上策。

 身体も、そして信念も」


 ◇



 包囲を抜けてから数分。


「はぁっ……はぁっ」


 息を切らしながら、義堂は近くの定食屋に飛び込んだ。


「は、あ……!」


 それはもちろん追手の目から逃れる為であったが、それ以上に義堂は喉が渇いていた。焼けそうなくらいに。

 全速力で走ったのと、『煉獄』の炎にあてられたせいだろう。


 義堂は真っ先に給水機へと向かい、コップ二杯を鷲掴みにして水を注ぎ、一気に飲む。

 二回ほど繰り返し、彼はようやく椅子に座った。


「…………ふぅ」


 外では、信徒や参加者たちの声が聞こえる。

 とはいえたった一人対しあれだけの人数を割いて未だ捕まっていないというのは奇跡、というよりおかしい。

 おそらく、わざと時間を掛けているのだろう。

 こちらの精神をすりつぶす為に。


「あくまで最終目標は俺を引き入れることか……」


 口から漏れ出た息は、僅かに震えていた。


 ほんの一瞬であったが、あの時確かに自分はウェガの手を掴もうと思ってしまった。

 けれどふと脳裏に浮かんだ刀練白秋の背中お陰で、自分は今もギリギリの所で何とか踏み留まることが出来ている。


「しかし踏みとどまった所で、今の俺に何が……」


 そう、今の自分には何もない。


国家最高戦力エージェント・ワン』という称号も。

無双陣羽織むそうじんばおり』という鎧も。

『警察官』という誇りも。

『正義』というしるべも。


 そしてついには家族まで、失ってしまった。


「…………」


 義堂は懐から拳銃を出し、銃身を軽く撫でる。

 そのまま壁に背を預けて仰ぐように上を見た時。


「……点いてる」


 古い型のテレビが、天井の隅に置いてあった。

 消す暇すらないまま店主は逃げてしまったのだろうか。

 それに先程までは外の様子に注意を割いていたせいで気が付かなかったが、ちゃんと音声も出ている。

 改めて目と耳の焦点を合わせてみると、


『見えていますか、聞こえていますか!?

 どうやら今まさにあそこで、八坂やさか英人ひでと氏が戦闘を行っている模様です!』


 そこには親友の戦う姿が映っていた。

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