新宿異能大戦㉝『正義の使命と悪の意義』

 午後11時23分。

 新宿駅南口、バスタ新宿付近。


「殺せ、救え!

 悪人とそれ邪魔する人間は、皆殺してしまえ!」

「ああ何で、何で警察なのに分かってくれないの!?

 どうなってるのこの人たちは!」

「本当に警察なら我らと同調する筈。

 だからこいつら名ばかりの給料泥棒だ、殺せ殺せ!」


「ああクソ、好き勝手言ってくれるね全く……!」


 迫りくる信徒やシンパ達を捌きながら、警察庁『異能課』課長、長津ながつ純子じゅんこが毒づいた。


『新宿異能大戦』が開始されてより、およそ一時間。

 新宿駅周辺は地獄そのものと化しつつあった。


「死ねええええっ!」


「あーはいはい。

 でも悪いけど、それは聞けないね」


 突っ込んできた信徒に、純子はふぅと煙草の煙を吐きかけた。

 するとその身体は一瞬にして五メートルほど上空へと転移する。


「な、あ、あ……?」


「一度落ちて反省しな」


 当然身体は落下してアスファルトに激突、そのまま信徒は気絶した。

 『禁煙御法度スモーキング・エリア』による転移と自由落下――現状この繰り返しで彼女は信徒の攻撃を見事に防ぎきっていた。


(しかし、これじゃあキリがない。煙草の数にも限りがある。

 やっぱりこっち側の人間が寝返ってしまったのが痛い……!)


 眉をひそめ、純子は都合十本目となる煙草に火を点けた。

 チラリと横目で見ると、『サン・ミラグロ』の思想に共感した機動隊や警官が参加者を襲う様子が見える。

 直接こちら側に向かってこないのは、同士討ちは避けたいという心情からなのだろう。

 正直今更何を、とも思うがお陰で現状最悪の状況は免れている。


(けど、彼等の離反で失ったのは単純な人員数や指揮系統だけじゃない。

 士気――こと戦いにおいて、最も大事な要素が大いに削がれてしまった。それも相互不信という猛毒によって。

 これは戦況にかなり響く……!)


 テクノロジーが席巻する現代においても士気、つまりやる気は最重要と言っていい項目である。警察が暴徒たちに勝るのも、装備の質や人員の多さ以上に厳格な規律や組織力に裏打ちされた士気による所が大きい。言いかえるならば「自分たちは日本の治安を担う警察である」、という自負心だ。

 しかし少なくない数の警官の寝返りによって、一気に同僚や組織に対する信頼を疑うことになってしまった。今はベテランを中心に長年培ってきた使命感によって何とか対抗できているが、この相互不信が残した爪痕は深い。


(だからどこかで……どこかでこの戦場の流れを変えなければならない。

 それには敵の大将を討つことが一番手っ取り早いけど、フランシスコ=ヴェガはすぐにここから去ってしまった。

 あとこちらに残されている手段と言えば……)


 純子の脳裏に、一人の男の姿が浮かんだ。

 それは自らの部下でもあり、この国を守護する『国家最高戦力エージェント・ワン』でもあった男。

 いま士気を上げるには、彼のような存在が旗印となって味方を鼓舞するしかない。


「義堂……!」


 純子はぎり、と歯ぎしりして夜空を見上げた。




 ◇



「……義堂さん?」


 同刻、代々木。

 ヴェガの言葉が、義堂の耳と意識をすり抜けた。


「どうでしょうか、気に入っていただけましたか?

 二時間ほど前に斬ったばかりのものですが」


「――――」


 返事をすることもなく、義堂は高級フルーツの如く桐箱に収められた父の首にそっと手を当てた。


「あ……」


 それにはほんの僅かに熱が残っていた。

 少なくとも、つい先ほどまで生きていたと感じられるくらいには。


「父さん」


 今度は両手で、触れてみた。

 思ったよりもしっかりしている。嘘みたいな感触だ。


 じわり、と後悔に似た念が手の平を通じて広がっていく。

 結局あの訣別からひと言も交えることなく終わってしまった。


 父は、間違っていた。

 けど何をどう間違っていたのか? 再び会ってそれを言わねばならぬと思っていた。

 しかしその死を目の当たりにしても、未だ答えどころか言葉の一つすら浮かんでこない。

 それが義堂にとって何よりも苦しかった。


「警察上層部による死刑の権利および犯罪者の売買の件、義堂さんにおかれましても既にご存じだと聞いております。

 そして我々がその上客であるということも。

 ……まこと、申し訳ございません」


 義堂の傍らでは、ヴェガが神妙に地に伏して頭を垂れた。


「この世に正義を為すという我ら修道会の信仰に基づく行為ではありましたが、警察組織の一員である貴方が不快に思うのも無理はないこと。

 これは我らなりの謝罪とけじめであると思っていただきたい」


 さらに彼に続き、周囲にいた数十もの信徒たちが土下座をして義堂に詫びる。

 殺戮をバックにした、謝罪。

 義堂はそれを一瞥もしない。

 たぶん直接見たら、狂ってしまうだろうから。


「………いったい、」


 義堂は叫びそうになるのを堪えながら、一文字ずつはっきりと発音するように言った。


「はい?」


「なんなんだ、お前たちは……!」


 義堂はなおも信徒たちの方を向かない。

 対するウェガは数秒その横顔を眺め、静かに立ち上がって口を開いた。


「……我々は貴方を含めた一般の市民と同様に、善良たらんとする者の集まりです」


「……殺すことが、善良なのか」


「蒙昧な我らにとっては、そこから始める必要がありました。

 何故なら正義とは得てして見失いやすいものであり、それゆえ悪を殺すという行為は分かりやすく善でありますから」


 言いながら、ウェガは義堂貴康の首を見下ろした。


「だからこそ悪とは貴重な資源であり、正義もまたその実りに感謝して消費しなければならない。

 つまり彼等を嬲り、殺すのは感謝の印なのです。その点、どうかご理解いただきたい」


「何を……」


「そして感謝だからこそ、我々は決して妥協しないのです」


 ウェガは懐からボイスレコーダーを取り出し、再生ボタンを押す。



『があああああああああっ!!!!

 やめっ、やめろおおおおおおおおおっ!!!!!!』


 すると、音が割れんばかりの父の悲鳴が響いた。


『次、右足を3㎝』


 ウェガの声がしたかと思うと、今度はぎいぃと鋸が引かれるような音が聞こえた。


『あああああああああああああっ!!!!!』


『叫ぶ暇があったら謝りなさい! 次、左足5cm!』


『な、何故こんなことをする!

 私と君たちはずっと良好な関係でいただろう!? それが今更になってどんな理由で、』


『仮にも警察のトップたるものが、こんな人身売買のようなマネをして良いわけがない。

 まずそこはご理解いただけるだろうか?

 確かに我々とも長らく取引をする関係にあったことは事実だが、それはそれ。

 貴方はここで救済しなければならない』


『待て待て待て待て! さすがにこれは不条理が過ぎる!

 そ、そうだ話をしよう! もしこちらに要求があるというのなら全力で叶える!』


『……分かっていない、まるで貴方は分かっていない。

 ことここに至って貴方がたに求めることはただ一つだけ……それは無惨な死だけです。

 それに、この結末は我々だけが求めているとお思いで?』


『何……?』


『他ならぬ貴方のご子息ですよ』


『な――』


『では左足5cm、始めてください』


 その後は、肉と骨を切る音と断末魔だけが録音されていた。


「……まこと勝手ながら、貴方の名を出してしまいました。この場を借りて謝罪いたします。

 ですが我が修道会の教義として、悪人は心身両面で嬲ることは絶対。

 義堂ぎどう貴康たかやす氏の心を壊す為には、息子である貴方の存在がどうしても必要だったのです」


 申し訳なさそうに話すヴェガの横で、義堂は絶句していた。



 ここまで。

 ここまで、やるのか。

 いや正義とは、ここまでさせてしまうものなのか?



 義堂の中で、背筋を通る寒さと腹から上がる熱さが同居する。


「……お前たちは、狂っている…………!」


 そのひと言は、身体の奥底から絞り出したものだった。


「そうですか、ですが私はそうは思いません。

 悪しきものを憎み、自らを善たらしめたい――これは普遍的な願いであり、最も純粋な希望。

 だからこそ狂いようがない、そう私は考えています」


 対するヴェガはひと呼吸おき、まるで諭すように言う。

 

「身も蓋もない言い方をさせてもらえば、悪人を懲らしめるという行為は素晴らしい。

 自らが正しい存在であると知るこれ以上ない機会となるし、実際に世の為にもなる。

 義堂さん、我が修道会の信徒にはどのような人間が多いかご存じですか?」


 義堂は目を細めて信徒たちの殺戮を見据える。


 目を血走らせるもの。

 涙するもの。

 叫ぶもの。


 共通しているのは、全員が歓喜の表情を浮かべている点だった。


「……委ねてしまった人たちだ。

 善悪の価値観すらも」


「言い得て妙ですね、流石。

 ですが別に彼等とて最初からそうしたかったわけではない。

 これまでの人生の中で様々な挫折と苦難とささやかな成功を経験し、苦悩の果てに辿り着いた境地が此処なのです」


「苦悩……?」


「人は、自らを心から正しいと思えぬからこそ苦悩する。

 それは謙虚で物言わぬ人間もそうであり、またしきりに世の常識や普通を押し付けるような人間もそう。

 不安だからこそ彼等は黙り、一方では度を越して熱狂する。だからそのような苦悩から解放される為には単純明快な線引きが必要なのです」


 言いながらウェガは慈悲の笑みを浮かべる。

 気付けば、殺戮を行っていた筈の周囲の信徒全員が義堂を見ていた。


「……だからといって、こんなことが肯定されていいわけがない…………!」 


「でもがお父様の姿を見た時、貴方は少しだけ胸がすく思いがした。

 違いますか?」


「そんなわけないだろう!」


 義堂は激高し、ヴェガの胸倉を掴む。

 しかしウェガは慈悲の笑みを欠片も崩すことなく、まるでこちらの全てを見透かしたような瞳を向ける。


「これでも長年信徒と接してきた身、そのような機微は分かってしまうのです。

 義堂さん、貴方は確かに喜んでいた。父の生首を見た瞬間、僅かに。

 ですがそれを恥じることはありませんよ?

 その感情は間違いなく正義なのですから」


「こ、の……!」


 義堂は反射的に拳を握り、振り上げる。

 しかし、どうしても振り下ろす事が出来ない。それはヴェガの貫禄ゆえか、はたまた自身のうしろめたさゆえか。


「どうか、そのような目をなさらないで。

 貴方は我々を否定するでしょうが、我々は貴方の全てを肯定したい。

 貴方こそがまこと正義の人であると」


 いつしか、大勢の信徒が集って義堂に祈りを捧げていた。

 血と肉片にまみれた彼等のそれは、まるで生贄を伴う邪教の儀式に見える。


「ですが、貴方はそれを自覚為されていない様子。

 ですから思い出させてやらねばならない、知示してやらねばならない。

 正義の使命と、悪の意義を」


 胸倉を掴まれながらウェガは静かに目を瞑り、


「『異能』、発動――」


 少しだけ歪んだ笑顔を浮かべた。

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